第3話 少女・包丁・初仕事(3)
ミウの依頼を受けた3日後。ウォーバニア王国北東に広がる森林地帯、通称「黒の樹海」にコテツはいた。真昼でも鬱蒼と茂った木々により、不気味な薄暗さを保っている。
黒の樹海にはさまざまな魔族が生息しており、あの王国剣士団でさえ、討伐任務の際は部隊を組むのが鉄則だ。しかし鍛治師であるはずのコテツは、単身でこの森に踏み入っている。魔族が棲む地帯ほど、魔力を秘めた鉱物が見つかりやすく、魔族自体も刀の素材になり得る。コテツは日頃の鍛冶修行に必要な素材集めのため、よくこの森を訪れていた。
目的は、ミウの包丁造りの素材探し。「ミウにとって最善の一振りを造ること」「自分の技術・知識を最大限活かすこと」その2つを考えたとき、魔術が刻まれた包丁、言うなれば「ハザマ包丁」を造るべきだ、という結論に至った。
(目当ての素材は……黒曜竜の鱗)
コテツが求める素材は、強力な魔獣の体の一部。なかなかに厳しい戦いになりそうだ、とコテツは気を引き締める。
魔族には、大別して「魔人」「魔獣」の2種が存在する。ざっくりいえば、人型で言語を操るほど知能の高い種が、魔人。さまざまな獣の姿を有する種が、魔獣。魔人と魔獣の特徴、すなわち魔族共通の特徴は、肉体に魔術の術式が刻まれており、魔術が操れることだ。
それが、魔族と人間の最大の差異であり、その差を埋めるのが「ハザマ刀」の役目。コテツは、今回の戦いに備え持ち出したハザマ刀を、軽く握る。コテツの脳裏に、仄暗い過去の記憶が蘇る。
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両親を、故郷を魔族に焼かれてまもないコテツは、深い絶望の中にいた。クロガネと鍛冶に明け暮れる日々で、コテツは少しずつ感情を取り戻していく。そして同時に、魔族への激しい復讐心も湧き上がっていた。
コテツがクロガネの元で修行を始めて、5年ほど経った頃。クロガネの素材集めに連れ出されたコテツは、その途中で魔獣の群れと遭遇した。あの日以来初めての、魔族との邂逅。嫌悪と恐怖、憎しみと殺意。コテツの頭はさまざまな感情で混沌とし、視界がぐにゃりと歪むのを感じた。
再び、意識を取り戻したそのとき。コテツの周囲は、屍の山となっていた。
いつの間にクロガネから奪い取っていたハザマ刀が、自らの手に握られている。刃を染めた、赤黒い返り血。怯えた表情のまま首を刎ねられた魔獣から、目を逸らす。すると、少し離れた場所で見守っていたクロガネと目が合った。クロガネはコテツを、恐れるでも憐れむでもなく、ただまっすぐ見つめている。そのとき胸に去来した感情は「虚しさ」だった。帰り道、クロガネはコテツに言った。
「復讐して、前を向けるなら。俺は別にやったっていいと思ってる。……ただまあ、こういうのも、向き不向きってのがあるんだよな。……お前も、造る方が向いてるんだよ」
それからもクロガネは、時折コテツを魔族との戦いに駆り出した。復讐のための戦いではなく、鍛治師としての戦いを、コテツに教えるために。
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しばらく樹海を彷徨っていると、黒く巨大な影が視界を掠めた。薄暗い森の中でも、はっきりわかる。全身の血が冷え、緊張が一気に高まる。
(見つけたぞ、黒曜竜)
黒曜竜。全長4メートルほどで二足歩行、竜というよりもトカゲに近いフォルムで、素早く大地を駆け回る。特徴は全身をびっしり覆う黒色の鱗と、全長の半分以上を占める長い尻尾。鱗は硬さ・切れ味ともに一級品で、魔力をこめるとさらに強度を増す。振り回す尻尾に巻き込まれれば、鉄柱さえもズタズタだ。
あちらもコテツの気配に気付き、一気に距離を詰めてくる。コテツは懐の刀を抜き、地面に突き立てた。刀身に魔力を流し込むと、刻まれた術式が鈍く光る。そして、眼前に大きな土壁が立ち上った。
コテツが携えるハザマ刀の名は、『山臥』。地形を操る魔術が刻まれた、黒曜竜討伐のために造った一振りだ。コテツは鍛冶修行の副作用として、一通りのハザマ刀を人並みに扱うことができた。無論、一振りの刀に熟練した剣士に比べれば、強さは遠く及ばない。それでも、相手と相性のよい刀を選び、うまく戦術を駆使すれば、多少の格上とも渡り合える自負はあった。
いきなり現れた大きな土壁。黒曜竜は勢いとまらず、激しくぶつかった。みしみしと、ヒビが入る音が鳴る。コテツは少し距離と取り、再び刀を構えた。黒曜竜は依然ピンピンした様子で、土壁から金色の目をぎょろつかせた。ただ向こうも警戒しているのか、距離を保ったまま両腕を振る。コテツは再び大地に刀を突き立て、土壁を錬成する。
ざくざくざく、と乾いた音が響いた。自らの鱗を飛ばす、得意の攻撃手段。広範囲かつ大量に襲い掛かる鱗を、弾き飛ばすのも躱すのも得策でない。かといって、安物の鎧はあっさり貫かれて役に立たない。しかし、山臥が作り出す分厚い防御壁なら、確実に身を守ることができた。
(壁に突き刺さった鱗を拝借して、そのまま帰れたら楽なんだが……)
しかし獲物への執着が強い黒曜竜は、それを許してはくれない。歯抜けになった体表の鱗は、すぐにまた生えてくる。黒曜竜が用いる、再生の魔術だ。鱗だけでなく、尻尾や手足も凄まじい速度で再生する。黒曜竜を倒すためには、一気に致命的な攻撃を与える必要があった。
土壁の陰に隠れながら、コテツは更に土壁を周辺一帯に立ち上げる。俊敏な黒曜竜の動きを制限するのが、目的の一つ。苛々したような鳴き声が、壁を隔てて聞こえた。こっちも相手の様子はわからないが、さして問題ではない。いずれ痺れを切らして、向こうから姿を現すだろう。コテツは壁を背に寄りかかり、ゆっくりと呼吸を整えた。
(……もう一つの「仕込み」も終えた。あとは、祈るだけ)
数秒後、巨大な影がコテツを覆った。黒曜竜が土壁を飛び越え、一気にコテツへの接近を試みたのだ。地響きとともに着地した黒曜竜。意気揚々と振り返り、歯を剥き出しにして獲物へと一歩踏み出した――
はずが、黒曜竜はそこで大きく体勢を崩す。
その隙を見逃さず、コテツは一息に距離を詰め、黒曜竜の首元に飛びつく。コテツの「仕込み」が決まった。
自らの前方に土壁を作りつつ、背後の地形は脆く崩れやすいよう変質させる。山臥が持つ地形を操る魔術では、こういった使い方もできるのだ。黒曜竜のジャンプを誘い、着地時に体勢を崩したところで一気に仕留める。そういう作戦だった。
最初は混乱していた黒曜竜も、コテツを引き剥がそうと必死に抵抗し始めた。ゼロ距離であれば、鱗を飛ばされる、尻尾で切り裂かれるなどの攻撃は届かない。しかし幾度となく鱗が体を掠め、そのたび鋭い痛みが襲った。これまた今回のために購入した鉄製の手袋も、既に赤く滲み始めている。
しかしコテツは冷静に、刀を突き刺す角度を見極めていた。鱗と鱗の間を通り、黒曜竜の命に届く箇所。鍛冶の最終工程さながらの集中で、コテツの額の汗は次第に引いていく。
2秒後、コテツはその位置を探り当て、一思いに刀を振り下ろした。
なんの抵抗もなく、刀身は鍔まで沈む。逆立っていた鱗は生気なく倒れ、黒曜竜は地に臥した。コテツもそこでようやく緊張を解く。灰色に変色した瞳が、絶命を伝えていた。
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手当たり次第、切り傷に回復薬をぶっかける。荒療治ののち、黒曜竜の鱗の剥ぎ取り作業を始めた。剥ぎ取り用の分厚い短刀を使い、全身の三分の一ほど鱗を回収。それらの方向を揃えて、格納用のケースに入れる。その後、何重にも重ねた麻袋の中に仕舞った。鋭利な黒曜竜の鱗は、運ぶだけでも一苦労。そして最後の一仕事。未だずたずたの掌で「山臥」を再び握り、黒曜竜の遺体を、地中深くに沈める。
(……こんなことを続けていたら、体がもたんな)
帰りの準備を進めつつ、コテツは考える。魔族の討伐は、自分の本領ではない。戦い方はクロガネに教わったものの、基本はクロガネが主に先頭に立ち、コテツは専らサポート役だった。今回もなんとかなったとはいえ、いつか取り返しのつかない事態になるかもしれない。鍛治修行の素材集めが目的なら、危うくなれば逃げればいい。だけど、仕事として刀を打つ場合は、妥協はできない。強力な魔族との戦いも必至になるだろう。
(一緒に素材集めを手伝ってくれるパートナーがいればな。……いや、それは望みすぎか)
ウォーバニアの鍛治師には、王国剣士団から鍛治の依頼を受けつつ、逆に剣士団に素材収集を依頼する、そんな関係を築いている者もいるそうだ。ただそれは剣士から腕を認められた、一流の鍛冶屋に限った話である。
「……そもそも今の俺の客は、あの子だけだしな」
小さく縮こまる依頼人の姿を思い出し、苦笑する。包丁造りの段取りを頭に浮かべながら、コテツは薄暗闇にわずかに浮かぶ帰路を辿った。