第30話 デート・凶星・ハザマ者(13)
目にも止まらぬ横っ飛びの稲妻。マレフィトはその一閃を、自らの刀で受け止めた。……というより、たまたま構えたところに、エクレシャが飛び込んできた形に近い。マレフィトの全身に、雷に打たれたような衝撃が走った。だが息継ぎする暇もなく、エクレシャの怒涛の斬撃が襲いかかる。
(……刀のリーチは相当長いが、その分小回りは効きにくいはず。それにも関わらず、斬撃が全ての間合いを埋め尽くしている。まるで、嵐と対峙しているようだ)
驚異的な手数と反射速度に、マレフィトはまともに近づくことすら敵わなかった。ただ紙一重で、その猛攻をしのぎ続けるほかない。
「……雷を纏うことで生まれる、凄まじいスピードと破壊力。確かに貴女の刀には、『雷霆』から勝ち得た魔術が刻まれているようだ」
「……そっちこそ、随分いい刀を持っているのね。剣術も、なかなか堂に入ってる。一体、誰から奪ったものなのかしら?」
「人聞きの悪い。刀は特注品ですよ。……剣術は、先ほど彼女から手ほどきを受けたもので」
「……へえ。じゃあ、こういうのもご存知?」
降り注ぐ剣の雨が、一瞬だけ止んだ。次の瞬間エクレシャは、強烈な袈裟斬りを放つ。あまりの迅さに、刀身が見えないほどの一振り。
(……だが、先ほどの斬撃の嵐と比べれば、よっぽど軌道は読みやすい)
視線、肩、肘の動き。そこから予測される着弾点に、マレフィトは自らの刀を滑り込ませる。激しい火花が散ったのち、マレフィトはそのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。ようやく間合いを詰められた、と思ったその瞬間。
至近距離からエクレシャの痛烈な膝蹴りが、マレフィトの鳩尾に叩き込まれた。
巨大な鉄球がぶつけられたかのような、重たい破裂音が響く。マレフィトは猛烈な勢いで吹っ飛んだ。途中で地面に刀を突き立て、何とか体勢を立て直す。気づくと、エクレシャからは10メートル近く離れた場所まで転がっていた。
「あら。意識を放しても刀は離さない。剣士の基本はできてるじゃない。……でも」
体勢を立て直そうとするマレフィトに、ぬるりと黒い影が迫る。
「敵から目を離すのは、いただけないわね」
ウォーバニア王国剣士団2番隊隊長、カラスマ。低い姿勢から放たれた居合切りは、エクレシャの一太刀をも凌駕する剣速でマレフィトに迫る。
「くたびれてるところ悪いが。……部下を可愛がってもらった分のツケ、まだまだ払ってもらわねえと」
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(……やはり、剣は奥が深い。もし彼の剣が、あと少しでも遅ければ。かえってその刃は、私の命に届いたかもしれません)
宙を舞いながら、マレフィトは考える。カラスマが居合を放った瞬間、理性による反応を諦めたマレフィトは、本能に身を任せた。結果、脊髄反射による最短の反応により、その一太刀をぎりぎりで躱すことに成功。マレフィトがチハヤから学び得た「直観」は、新たな剣士との出会いにより、更に研ぎ澄まされていた。
(……にしても、彼もまた興味深い剣士だ。存在を忘れるほどの気配の無さが一転、今はその濃厚な殺気に、目が離せないでいる)
カラスマの鋭い眼光と目が合う。周囲にチハヤの姿は見当たらない。エクレシャとの剣戟の間に、どこかに匿ったのだろう。見事な手際だ、と感心すると同時に、マレフィトはひとつため息をついた。
「……まったく。自らの学習能力の無さに、ほとほと呆れますね」
今度は、彼女から意識を放してしまっていた。再び、頭上の太陽の光は遮られた。さらに激しく瞬く、雷の光によって。
(しかし流石に、二度と同じ手は……!?)
回避の体勢を取ろうとしたマレフィトだが、足に違和感を覚える。動かそうとした瞬間、反対方向に糸で引っ張られるみたいな感覚。ちらりと横目をやると、カラスマが意地の悪い笑みを浮かべていた。頭上に視線を戻す。稲光の中にある、澄んだ空のような青い瞳と目が合った。既にその喉元に、雷の鋒が迫っている。
「……流石にこの距離は、理性とか本能とかの話じゃあ、ありませんねーー」
そんなマレフィトの呟きは、千里に轟く雷鳴にかき消された。
◇◆◇◆◇◆◇◆
(……命を奪う行為は、いつだって一瞬)
そして力を得れば得るほど、その一瞬は凝縮されていくものだ。けれどその刹那で、無数の感覚が刀から伝わってくる。鋒が肌に触れた瞬間の柔らかさ。肉を裂くときの僅かな抵抗。血の熱さと、重たい感触。そして刃が命に達した瞬間の、獲物から急速に失われていく何か。そのどれもがあまりにもリアルだったからこそ、エクレシャは違和感を覚えた。
(こんなに簡単に、殺せるはずがない)
1つ瞬きをすると、見下ろしていたはずの亡骸は、影も形もなくなっていた。数メートル先に視線をやると、先ほど仕留めたはずのマレフィトが立っている。黒のマントは真っ赤に染まり、息も絶え絶え。辛うじて立っているようにしか見えないが、その表情から余裕の微笑みは失われていない。
「……側から見りゃあ、確実にやったと思ったんですがね」
「……私も、そう思ったわ。仕留め損ねたというより、仕留め損ねさせられた、って感じ」
カラスマはエクレシャの傍に立ち、短く言葉を交わす。戦況は圧倒的に優勢に思えるが、警戒心は高まるばかりだった。刀の柄に手をやったまま、マレフィトの足元を睨みつける。
「……そちらの黒刀に刻まれているのは、影を奪う魔術ですね?奪った影は術者の意思で操ることができ、それは本体ともリンクする。術式がかなりアレンジされていたので、気づくのが遅れてしまいました」
マレフィトは、唇の端から流れる血を拭おうともせず、高らかにカラスマに話しかけた。
「刃が本体に触れずとも、その影にさえ触れれば、術は発動するわけですね。あの時、私は貴方の一太刀を躱したと得意げになっていましたが、そちらの目論見は十分に果たされていたわけだ。まったく、滑稽な限りです」
やれやれ、とマレフィトは首を振る。しかしカラスマの本当の狙いは、影なんて関係なく、その両足を切り落とすこと。マレフィトの反応は、カラスマにとって十分すぎるほど想定外の出来事だった。
「あの一太刀で掠め取られた影は、そう多くはないでしょう。足運びに、僅かな違和感を覚える程度。……ただ、貴方がたを相手取るとなると、その僅かが致命傷になる。まさか剣だけではなく、魔術の面でも人間に遅れを取るなんて、あの方になんと言われることやら」
滔滔と語るマレフィトに、カラスマは背筋に冷たいものを感じていた。まさかこの短時間で、ここまで魔術のタネが割れるとは。反面、マレフィトの魔術の正体は、まったくの謎のままだ。
(蛇の道は蛇、魔術の道は魔族。ましてや目の前にいるのは、あの四大魔族が一人、夢現のマレフィトだ。……出し惜しみしてる場合じゃあ、ないかもな)
優勢どころか、追い詰められているのはこちらかもしれない。カラスマの刀を握る手に、力が入る。それに呼応するように、マレフィトも自らの刀を目の前に掲げた。
「……なので、退きます」
マレフィトはそう言うと、自らの刀に魔力を走らせた。刻まれた術式が妖しく光り、刀身がぐにゃりと歪む。その捻れた刃のまま、マレフィトは虚空を斬った。その瞬間、宙に大きな裂け目が生まれる。カラスマは、その魔術の正体が分かったわけではない。しかし、マレフィトが何をしようとしているかは、すぐに勘付いた。
「……おいおい。そう簡単に逃がすと思ってんのか?」
その言葉を、言い終わる前に。カラスマはマレフィトに一瞬で近づき、その首を落とした。
「……ふふ。それはこっちの台詞ですよ。この私が退くと言ったのを、そう簡単に妨げられるとお思いですか?」
マレフィトの頭は逆さまに落下しながら、余裕の表情でカラスマに語りかける。ぽん、と右肩を叩かれた。カラスマがその方向を振り向くと、険しい表情を浮かべたエクレシャがいる。そこでようやくカラスマは、未だ自分が刀を構えた状態であることに気がついた。
(……俺はこの場所から、一歩も動いちゃいなかった)
そして目の前の視界には、先ほど落とした首はおろか、マントの切れ端すら、血の一滴の痕跡すら残っていない。まるですべてが夢だったかのように、マレフィトは影も形もなく姿を消していた。