第2話 少女・包丁・初仕事(2)
「……料理が、できるようになりたくて。包丁が、ほしいんです」
ミウと名乗ったその少女は、視線を床に向けたままそう言った。コテツは少し戸惑いながらも、詳しく事情を聞くことにする。
ミウは、姉と二人暮らしだそうだ。姉は対魔族の最高戦力と名高い、ウォーバニア王国剣士団の一員。そしてミウにはとても優しい自慢の姉、らしい。
「どんなに朝が早い日も、どんなに遅く帰ってくる日も、お姉さまは料理を作ってくれるんです」
ほとんどが作り置きで、一緒に食卓を囲むのは稀なこと。料理が得意でなく、簡単なものしか作れないこと。いつも姉は謝っていた。ミウは寂しくないといえば嘘になるが、姉の愛情は確かに感じていたし、いつも忙しい姉に世話を焼かせてばかりの自分を、口惜しくも思っていた。
「だから、お姉さまに代わってわたしが料理できるようになれれば。そう思ったんですが、お姉さまはすごく心配性で。わたしが包丁を握ることを許してくれないんです。わたしが家でひとりになるときは、包丁をどこかに隠してしまって。……だからいっそ、わたしが自分の包丁を買っちゃえばいいんじゃないかって」
あまり目線も合うことなく、おどおどとした様子で話すミウ。けれど話も考えもしっかりしていて、10歳と少しの子供とは思えない。……そして、おとなしそうに見えてかなり大胆な発想をする子だ。
「包丁、ね」
コテツは眉間に皺を寄せる。田舎の鍛冶屋時代なら、ともかく。今の自分は曲がりなりにも、ハザマ刀の鍛治師として、覚悟を持って看板を掲げた。そんな状況で、進んで受けるべき依頼とは思えなかった。
「……ご、ごめんなさい。鍛冶屋さんのこと、あまりよく知らなくて。包丁とかをつくってもらうのは、できないんでしょうか……?」
「ああ、いや。できないことは、ないと思うが」
「え、えっと。お金は、あります。おこづかいを貯めたもので、多くはないと思いますけど。……足り、ますか?」
「……あ、いや。そういう意味でもなく」
険しい表情をお金の問題と捉えたのか、ミウはおずおずと小銭が入った袋を差し出した。コテツはミウに手のひらを向けたが、すぐに「そういう意味も、あるかもしれない」と思い直した。コテツは、包丁を造った経験は皆無だ。でも仮に、この依頼を受けたならば、妥協はしたくない。ゼロから包丁のことを学び、自分でも納得いく一振りを造れたとして。対等な報酬を、ミウに求められるのか。求めるべき、なのか。
「プロとして、仕事には見合った対価を求めるべきだ」
1年かけてクロガネから学んだ、鍛治屋の、商売の、基本の教え。
「対価のいらない仕事は、覚悟のいらない仕事。そんな仕事からは、魂の入った刀は生まれねえ」
その言葉には、誰から依頼もなく孤独に鍛冶を続けていたクロガネの、自戒の念も含まれていたのかもしれない。そういえば師匠の手伝いを始めた初日から、ちょっとだけど小遣いをくれてたっけ。そんなことを、コテツは思い出す。
(こんな小さな女の子に、ちゃんとした対価を求められるはずもない。……申し訳ないけど、断ろう)
ミウの手持ちでも買えそうな食器屋が、確か城下町にあったはず。そこを紹介して帰ってもらおう。少なくない罪悪感を抱えつつ、内心そう決めた。だがそこでふと、ひとつの疑問が頭に浮かんだ。コテツは、ミウに尋ねる。
「そういえば。どうしてミウさんは、この店を選んだんだ。俺が言うのもアレだけど、ここよりもっとよさそうな店は、ウォーバニアに腐るほどあるだろう」
「……え、ええと、ですね。このあたりは、人もあまりいないし。店の中も、すごく静かそうで。すごく、入りやすかったので」
その言葉に、コテツは苦笑するしかない。まさか立地の悪さと閑散が、逆に店を選ぶきっかけになるとは!そんな客はまさに、1年に1人いるかいないかだろう。ミウは褒めたつもりかもしれないが、コテツの胸にはぐさりと刺さるものがある。思わず、断りの意を伝えるタイミングを逃してしまった。しかしミウは、そこからも言葉を続けた。
「あ、あと。『あなたのために』って、外に書いてあるの、見て。ここならわたしの話、聞いてくれるのかもって。……他のお店も、何個か勇気をすぐ、『危ないよ』とか『大人といっしょに来てね』とかって、言われちゃって。わたし、ちゃんと話せなかったから。……だから、今日お兄さんにお話聞いてもらえただけで、すごく嬉しかったです」
コテツの雰囲気から、何を言われるのかを悟ったのだろう。そう言ってミウは、ぎこちなく笑った。その瞬間、コテツは思った。「くだらない」と。
「……名乗るのが遅れて、申し訳ない。俺の名はコテツ。鍛冶屋くろがね、二代目鍛治師をやらせてもらってる」
「え?……は、はい」
「ミウさんの、包丁を造る依頼。謹んで、引き受けさせていただくよ」
ミウは、自分の鍛治師としての信念を信じて、一縷の望みに賭けて依頼をしてくれたのだ。その事実に比べれば、対価だの報酬だの、今までの逡巡は、なんともくだらない。コテツは、そう思ったのである。「甘いな」と、苦言を呈すクロガネの声が聞こえる。確かに、仕事の中身や期待できる報酬を考えると、師匠であれば受けなかったかもしれない。
(……でも俺は、まだまだ未熟者だ。自分にも、客にも、全てを求めることはできない。だったら今は、自分の一番大事だと思うことに従おう)
「……ほ、ほんとうですか?うそじゃないですよね?もう、ダメですよ?もう、ほんとうですよ?」
喜びと不安で、前のめりになるミウ。そのようすに少したじろぎながらも、コテツは頷く。こうして、開店から1年の歳月を経てようやく。鍛冶屋くろがね二代目鍛治師、コテツの初仕事が始まった。
次回更新は7/28予定です。