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ハザマの刀鍛冶師  作者: 掛井泊
第3章
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第27話 デート・凶星・ハザマ者(10)

四大魔族。その存在と脅威は広く、永く、そして深く人類に刻まれている。しかし、出立ちや性格、出自や年齢など、詳細な正体(プロフィール)は未だほとんど掴めていない。その中でも比較的明るみに出ているのは、意外にも彼らの用いる魔術だ。理由は単純、その魔術があまりにも強大で、彼ら自身隠そうとも隠し切れる類ではないからだ。


(……けれど、この男だけは違う。『夢現のマレフィト』の魔術は、一切解明されていない)


彼の手で滅びた国には、それらしい痕跡はまったく残っていない。稀に生き残った者に何が起きたか尋ねても、口を揃えて『よく覚えていない』と言う。逆説的に分かるのは、一切解明できないような魔術である、ということ。「夢現(ゆめうつつ)」とはよく言ったものだが、それは本人が名乗り始めたのか、誰かが呼び始めたのかさえも定かでない。


「……さて。そろそろ、始めましょうか」


マレフィトは人差し指をすっと立て、左から右へ小さく動かした。その仕草を捉えた瞬間、チハヤの本能が猛烈な警鐘を鳴らす。無意識に、その場から飛び退いていた。直後、チハヤが立っていた地面に、巨大な斬撃が走る。


(……あれは、風の刃の魔術……?)


見えない刃と、特有の空気の震え。チハヤの以前のハザマ刀「断風」が放つ、風の刃の魔術に酷似している。しかしマレフィトの放つそれは、威力も発動速度も桁違いだった。指先の僅かな動きだけで、チハヤの全力を遥かに上回る斬撃が生まれている。


マレフィトは空に絵を描くように、軽やかに指先を動かし続けた。強烈な風の刃が乱れ飛び、轟音が鼓膜をつんざく。平衡感覚が狂い、意識が飛びそうなのを何とか堪えた。浮力の魔術で身軽さを高め、狙いが定まらないよう蛇行しながら、必死にマレフィトから距離を取る。未だこの身が八つ裂きになっていないのが、奇跡に思えた。


(!……あそこなら、一時避難できるのでは)


偶然、山道の脇に小さな洞穴を見つけた。体すれすれを掠めた風の刃が、大きな土煙を巻き上げた。それに紛れて、チハヤは洞穴へと逃げ込む。乱れる呼吸を抑え込み、気配を殺す。しばらくすると、風の刃の轟音はぴたりと止んだ。チハヤはひとまず胸を撫で下ろす。


(……とは言え、このままでは寿命が僅かに伸びるだけ。何か、策を練らなくては)


重たい脳を必死に回すが、逆転の一手はまったく浮かばない。むしろ、戦況がいかに絶望的かの分析ばかりが進んでいく。これまでチハヤを支えてくれた、剣士としての経験と勘。それらが今回は皮肉にも、チハヤに冷酷な現実を突きつけていた。


(……こんなとき、もし彼がいたら)


チハヤは、ある魔人との戦いを思い出す。あの時も、なんとか身を隠して窮地をやり過ごしつつ、打開策を考えたのだった。2人の刀を入れ替える、という彼の奇抜な作戦が、見事戦いに終止符を打った。魔族・魔術への深い造詣と、刀造りにも通ずる柔軟な発想。色々な意味で、チハヤには到底辿り着かない策だった。


「……コテツ。貴方なら、どうするのでしょうか」

「……そうだな。今から、俺の考えを話すよ」


なぜか、聞き覚えのある声がした。右隣を見ると、なぜか見覚えのある顔がある。幻覚か、と思い、無意識にチハヤはその頬に触れてしまう。掌から、あまりにリアルな質感と体温が伝わった。困惑と照れの入り混じったような表情で、彼はチハヤの手をゆっくりと引き離す。そのぎこちない仕草で、チハヤは確信する。そこにいるのは、紛れもないコテツだ。


「な!……なんで、貴方が」

「……やっぱり、どうしてもチハヤさんが心配になって、戻ってきた。ここで隠れて様子を伺ってたら、いきなりチハヤさんが飛び込んできたんだから、こっちこそ驚いたよ」

「……もう、この……はあ」


チハヤは、怒りのあまり声にならない声を漏らした。マレフィトへの怒りでも、逃げろと言ったのに戻ってきたコテツへの怒りでもない。彼の顔を見て、声を聞いて、つい安心してしまった自分自身の情けなさへ、だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「……じゃあ、ひとまずこの作戦で行こうか」

「ひとまず、なんてあり得ない相手ですがね。失敗すれば、2人ともそこで終わり。それほどの覚悟で臨むべきです」

「……ちょっとは切れ味が戻ってきたようで、よかったよ」


そうやって、軽口を叩けたのも束の間。チハヤとコテツが洞穴から出た瞬間、そこにはマレフィトが立っている。チハヤの姿を認めると、親しげに軽く手を振ってきた。


(……いつから。いや、最初から……?)


僅かに薄らいでいた、いや目を背けていた絶望が、再びチハヤに襲いかかる。それでも、1人で立ち向かったときよりは随分とましに感じた。


「……なるほど。やはり、そうなりましたか」


コテツを目の当たりにしても、マレフィトは眉ひとつ動かさなかった。チハヤはその一挙手一投足を見逃さないよう、マレフィトから一切視線を外さぬまま、横に並ぶコテツへと忠告する。


「……ヤツの指先に注意してください。僅かに動かすだけで、強烈な風の刃を放ってきます」

「……未だ信じ難いが、四大魔族の魔術はそういう次元なんだろう。ああ、絶対目を離さないようにーー」


ぷつりと、コテツの言葉が途中で途切れた。チハヤの背筋に、強烈な悪寒が走る。あれほど警戒していたマレフィトから目を離し、思わず横に視線を向けてしまう。しかし、そこにはもうコテツの顔はない。ごとり、と何かが落ちた音がした。


「……この程度の魔術であれば、指先ひとつ動かさずとも操れますよ、本当はね」


チハヤも、視線を地に落とす。すると、光を失ったコテツの瞳と、目が合った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「うああああああ!!!」


絶叫と共に、チハヤはマレフィトへと斬りかかる。マレフィトはそれを、楽しそうな表情で一瞥した。まさにチハヤが刀を振り下ろそうとした瞬間、ぴたりと時が止まったように、チハヤは身じろぎ一つできなくなる。


「……貴女は、自分が犠牲になる覚悟はできていても、他者を失う覚悟はできていない。いや、他者の犠牲が耐えられないから、自分が犠牲になればいい、という順番でしょうか。……なぜ、彼と再会した時に、もう一度逃げろと言わなかった?()()()()()()は、貴女であれば容易に想像できたでしょう。でも、想像まではできても、覚悟はできなかった。……これは、貴女の甘さが招いた結末です。だからこそ貴女は、より深く絶望する」


チハヤの憤怒の炎が、マレフィトの言葉によって次第に鎮められていく。代わりに噴き上がるのは、自身の弱さに対する後悔、恥辱、怨み、怒り。そして、絶望。


(……どうして、彼が現れた時。私は、一瞬でも夢を見てしまったんだ。……頼む。頼むから、誰かやり直させてくれ)


「……まあ、そう気を落とすことはありません。貴女の持つ絶望の正体を読み取り、その絶望を実現する。それこそ、私の魔術の本領なのですから」


マレフィトは、同情するような口調で語りかける。どういうことだ、とチハヤは問いを口に出す気力もなかった。しかしマレフィトは、チハヤの頭の中を覗いたかのように頷くと、「こういうことですよ」と指を鳴らす。すると、


「……え?……あの、ここは……。って、お姉さま?」


マレフィトのすぐ側に現れたのは、チハヤ最愛の妹、ミウだった。


(なぜミウがいきなりここに?キワノさんの家に預けていたはずでは?ヤツは一体、ミウに何をするつもりだ?)


そんな問いを追い越して、再び燃え上がった怒りの炎が、チハヤに叫ばせる。


「ミウに手を出すな!!指先一本でも触れてみろ、お前に地獄の責苦を与えてやる!!!」

「おお、怖い。もちろん、手は出しませんよ。……それは、私の役割ではありませんから」


マレフィトがそう言うと、チハヤの全身の硬直が解けた。チハヤは刀を振り上げたまま、一歩、二歩とマレフィトに、ミウに近づいていく。しかし、チハヤは動けるようになったのではない。操り人形のように、動かされているのだ。不思議そうにチハヤを見つめるミウと、視線が合う。


(……まさか。ヤツは、私にミウを……)


その瞬間、チハヤは操り主の意図を悟った。再び火が付いたはずの怒りの炎は、今度は跡形もなく消え失せた。代わりに、震える声でチハヤは哀願する。


「……いやだ。それだけは。それだけは、やめて……」


しかしマレフィトは、ぴたりとした微笑みを崩さない。チハヤは、刀を自らの胸に突き立てようとした。できない。舌を噛み切ろうとした。できない。せめて目を瞑ろうとした。できない。


やがて、その瞬間は訪れた。チハヤが握るのは、コテツが彼女の夢を叶えるべく造った一振り、「浮雲」。その白刃が、美しい軌跡と共に振り下ろされる。柔らかな肉を裂く感触が、じわりと掌に染み入った。ことり、と何かが落ちた音と共に、黒髪がぱらぱらと宙を舞う。また、光を喪った瞳と目が合う。チハヤの脳裏に、その一部始終が鮮明に焼き付けられた。


その光景を見届けたマレフィトは満足げに頷き、二度、三度と手を叩く。そして悠然とマントを翻すと、一瞬のうちにその姿を消した。

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