第24話 デート・凶星・ハザマ者(7)
けっきょく、コテツとチハヤの剣の稽古は深夜まで続いた。それから再度大浴場で汗を流し、床に就いたのは夜明け寸前。コテツが布団に入って瞬きをすると、一瞬で部屋が明るくなっていた。どういうことだ、と混乱して時計を見ると、正午過ぎを指し示している。これが夢でないならば、体感一瞬で7時間近く眠ってしまったことになる。
(……というか、これって大寝坊だぞ。買った素材を王国に送るため、早朝から港で手続きをする予定だったのに……!)
一気に体温が上がり、慌てて布団から飛び起きると、近くで涼やかな声が聞こえた。
「ご心配なく。すべての手続きは、私の方で済ませましたので」
声の主は、コテツの寝床から少し離れた座布団に正座し、茶を啜っているチハヤだった。昨夜のゆるりとした雰囲気は消え去り、いつもの一つ結びの黒髪と、凛としたオーラを取り戻している。
「チハヤさん……?なんでここに……」
「貴方が起き次第、ここで昼食を取って出発しようと思いまして。もう少し寝かせてあげて、昼過ぎになったら起こそうかと思っていたのですが」
「そうか……。すまない、色々面倒をかけて」
「いえ。夜遅くまで、随分楽しませてもらいましたから。まったく気にしなくていいですよ」
コテツと共に夜遅くまで稽古して、コテツと違って早朝から運送の手配をしてくれたチハヤだが、疲労の気配はまったく見えない。ぴんと背筋を伸ばして、なんならいつもよりツヤツヤしているくらいだ。
「さて。さっそく昼食を……貴方には朝食でしょうが、呼ぶとしましょうか。私は、部屋に戻りますので。食べ終わったら、声をかけてください」
「あ。……せっかくなら、ここで一緒に食べないか。チハヤさんと一緒にご飯食べるの、楽しいし」
「……確かに、起き抜けの貴方がもし食事を残してしまったら、旅館の方に申し訳ないですしね。一緒に食べましょうか。……ただ、あんまりジロジロ見るのは、禁止です」
チハヤに釘を刺されつつも、2人はコテツの部屋で昼食をとることになった。とはいえ、気持ちいいほど健啖なチハヤの様子に、ついついコテツは視線が行ってしまう。何度か目が合い、その度にチハヤに睨まれた。そんなチハヤにつられて、コテツも負けず劣らずの食事量を平らげる。食べ終わった後は心地よい満腹感が訪れ、昨夜からの疲労感はすっかり抜けていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「あら。もう山道を抜けるようですね。予定していた馬車の出発時間より、だいぶ早く着きそうです」
「……チハヤさんが、飛ばしすぎなんだよ」
帰路も行きと同様に、ラクシザからオロシ山道を抜け、そこから馬車でウォーバニアまで戻るルートを辿る。魔獣が出没するオロシ山道を、行きもとてつもないスピードで突破したが、帰りはそれ以上だった。明らかに、チハヤの動きが冴え渡っている。
「確かに、かなり体の調子はいいですね。剣も軽いし、魔術も切れている。貴方の言う通り、少し休んだのが良かったのかもしれません」
「俺にとしては、超ハードな稽古に付き合ったつもりだったんだけど。……チハヤさんの、いい気分転換になれたかな」
「……ええ。久しぶりに戦いを忘れて、戦いを忘れたことの罪悪感も忘れ、楽しめました」
「そうか。うん、よかったよ」
表情をほんの少し緩めるチハヤ。その右腕には、コテツが送った銀のブレスレットが着けられていた。ミウへの手土産であるロザリオとお揃いの、魔除けの水晶があしらわれた品。どうやら思ったより気に入ってくれたらしいが、それに触れるのはこっちも気恥ずかしく、コテツは気づかぬフリをしておく。とはいえ、今回の最難関任務「チハヤを楽しませること」をクリアできたようで、コテツは胸を撫で下ろす。
「……そっちこそ、どうなんですか。私以上に脇目も振らず、鍛冶の鍛錬ばかりしているでしょう。少しは、息抜きになったのではないですか」
チハヤに聞き返されて、「確かに」とコテツは思う。王国に来て1年半、いや、コテツが師匠クロガネの元に転がり込んでから、素材収集以外で出かけることは殆どなく、それ以外は鍛冶場にこもりきりだった。チハヤを楽しませる、という使命で意識していなかったが、コテツ自身こうやって誰かと遊ぶのは初めてだ。そして、それを自分は楽しんでいたのだ、と気づく。
「……うん、俺もすごく楽しかったよ。食べたことのないご飯をたくさん食べて、見たことのない風景をたくさん見れて、未知の鉱石や素材をいくつも手に入れられて。それに、チハヤさんのーー」
チハヤさんの知らない部分も色々知れた、と言おうとして、コテツはギリギリで口をつぐんだ。半分は、気味の悪い発言に捉えられると思ったから。そして半分は、それを楽しいと感じていた自分に戸惑ったから。
「私の……なんですか?」
「……いや。チハヤさんとの稽古だけは、ちょっと苦い思い出だったなと」
「失礼ですね。……素材集めに私を全然誘わず、ずっと引きこもっていた貴方にとっては、いい運動になったでしょう?」
「……それは、そうだな」
「……でも、これでお互いの目的がきちんと果たせたようで、よかった。……よければ、また遊びに行きましょう」
最後のチハヤの呟きは、コテツの耳には届かなかった。コテツは思わず、無邪気に聞き返す。
「……すまん、聞こえなかった。もう一度言ってくれないか?ちょっと、右耳の調子が悪くて」
「……イヤです。ちゃんと聞き取るか、まったく聞こえないか、どちらかにしてくれません?」
「まあまあ。そういう半端さも、趣ではありませんか。白でも黒でもない、いわばハザマの領域で、我々の多くは生きているのですから」
2人とも、しばらくしてその違和感に気づく。コテツの右隣、チハヤの左隣。そこに、知らない男が歩いていた。銀の長髪に黒のマント。そして、明らかにその男が異形だとわかる、こめかみから生えたおどろおどろしい巻角。
「「!!!」」
コテツとチハヤは、ほぼ同時に飛び退いた。2人はお互いに、真っ青な表情で視線を交わす。この男の正体は、早々に察しがついた。けれど、今までのそれらとは次元が違う凶々しいオーラに、コテツもチハヤも確信が持てずにいる。恐怖や悪心が一周して、足元が浮遊するような奇妙な感覚を覚える。
「……お前は、魔人、なのか」
「はい。私の名前は、マレフィト。四大魔族が一人、人呼んで『夢現のマレフィト』です。以後があれば、お見知り置きを」
絞り出すようなコテツの問いに、男は丁寧に名乗りを上げ、恭しく頭を下げた。目の前にいるのが絶望そのものであることを忘れ、思わず見惚れてしまうような、そんな完璧な所作だった。