第22話 デート・凶星・ハザマ者(5)
「……さて、昼食も終えましたし。目的の品を確保しにいきましょうか」
チハヤの足取りは軽やかで、先ほど常人の3倍はある食事を平らげたのが嘘のようだ。あの細い体にどうやって入るのか、とコテツは人体の神秘を感じざるを得ない。
「確か、鉱石系の市場は東方面にあったはず。10分もすれば着くはずだ」
「鍛冶屋アルマトからこ指名は、パラワ石、でしたっけ。いったい、どんな素材なんですか?」
「かつて、空間転移魔術の実験用のハザマ刀に、よく使われていた素材だ」
それを聞いたチハヤは、顔を顰めた。空間転移は、ヴァーバニア王国が実用化のための実験で多くの死傷者を出し、実質禁術となった魔術だ。13年前、とある魔族の討伐により、人類の手に渡った空間転移魔術。しかし実験の結果、転移の対象指定を誤ると対象の一部のみ強制転移される、転移先の指定を誤ると対象と転移先の物質がぶつかり大事故が起きるなど、僅かな誤差が大きな危険を生むことが判明した。現代もなお、空間転移魔術が刻まれた公のハザマ刀は存在していない。
「その実験、いや、事件を経て、魔術実験の安全ラインは飛躍的に高まったと聞いています。アルマトは、かつて誰も造れなかった幻のハザマ刀を、自らの手で生み出そうとしているのでしょうか」
「ディア……アルマトは、間違いなく王国随一の鍛冶師だ。ヤツが打った刀なら、王国も再度動くかもしれない。聞き齧った話だけでも、空間転移は相当強力な魔術だ。……それこそ、魔王を討つ刀になりうるかもしれない」
新たな魔術を人の掌中に収めることも、ハザマ刀鍛冶師の役割のひとつ。空間転移魔術が実用化すれば、攻撃、防御、補助、移動など、戦闘のあらゆる側面で革命が起きるだろう。ディアンの卓越した鍛治技術と、誰よりもエゴで自由な発想力があれば、実現も不可能ではないと思えた。そして、コテツは気づく。ある種今回の任務は、敵に塩を送るのと同義だと。しかも、圧倒的格上の敵に。
「やけに、感情がこもっていますが。……もしかして、アルマトと知り合いなのですか?」
「あ、いや。鍛冶屋なら誰でも意識するさ。……意識するのさえも、おこがましいかもしれないけど」
「……そう、ですか」
チハヤの勘の良さに焦りつつ、コテツは誤魔化すように歩を早める。2人の会話が再開するのを待たずして、目当ての鉱石売り場に辿り着いた。
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(色々、思うところはあったけど。結局一番良さそうなパラワ石を選べてしまったな……)
それなりに曰くつきの商品ゆえか。店番の商人もなかなか胡散臭く、言葉巧みにコテツを誘導しようとする。これが壺や絵画だったら、コテツは商人の言葉通りに購入していただろう。しかし、鍛冶の素材に限ってはそうはいかない。コテツは商人の言葉にまったく惑わされず、師匠クロガネ仕込みの目利きで最高品質のパラワ石を見抜き、適正量を適正価格で購入した。
(……流石にわざとイマイチな素材を買うのは、鍛冶師のプライドが許さない。……けど、ヤツがこれで造った刀が、魔王を倒したら。俺は、素直に喜べるのだろうか?)
複雑な気持ちとパラワ石を抱えつつ、コテツは背中を丸めて歩く。さっさと鉱石売り場の出口に向かおうとしたところで、チハヤに肩を掴まれた。
「……ちょっと。まだ終わりではありませんよ。他にもいくつか、アルマト宛に素材を買う必要があります。それに余ったお金で、貴方が欲しい素材も買えますよ」
「……そうだ、忘れてた」
そう、パラワ石の他に「いい感じの素材をいい感じに買ってきて」という、ディアンのふざけた追加クエストもあったのだ。そのリクエストを超える素材を選べるか、自らの目利きを試す目的もあったことを、コテツはすっかり失念していた。
「じゃあ、俺1人で選んでくるよ。チハヤさんは、好きな売り場に行っていて大丈夫。武具とか、ミウさんへのお土産とか。正直、見てても退屈だろうし」
「いえ。私も付き添います。それも含めて、私の任務ですから」
「いや、でも。けっこう時間かかるかもだし……」
「……それに、退屈がどうかは貴方次第でしょう。そこが気がかりなら、貴方が私を楽しませられるよう努めてください」
いつも通りクールな表情で、いつもは到底言わない台詞を言うチハヤに、コテツは戸惑う。彼女の本意は掴みきれなかったが、さらにもう1つ、今回の大事な目的を失念していたことに気づく。
「……確かに、その通りだな。今日は最大限、チハヤさんを楽しませられるよう努力するよ。だから、一緒に回って欲しい」
「……ええと。本来の目的は、貴方とアルマトのために良い素材を見つけることなので。それはお忘れないように」
冗談に本気で返されては困る、といった声色のチハヤだったが、その表情はいつもよりも柔らかに見えた。
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「……珍しい。これは、タリア鉱石の変異石だ。この鉱石は約30年周期で1ヶ月だけ、通常の青色から鮮やかな赤色に変異する。素材としても性質が変わって、全然違う刀を造ることができるんだ」
「おもしろいですね、自然の神秘を感じます。しかし、鉱石の年季はバラバラなので、変異もそれなりに確認できそうとも思うのですが……」
「鋭い。それが興味深いんだ。『共振』と呼ばれているんだが、変異の時期が年々揃っていく現象があって……」
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「かなり立派な牙だな……。これは、ホワイトマンバの毒牙か」
「ホワイトマンバ。100種以上の毒を操る魔獣ですよね。……その牙をそんなベタベタ触って、問題なのですか?」
「たぶん、大丈夫なはず。……ほら、ここに術式が刻まれているだろ。ホワイトマンバ自体に毒はなく、魔術で瞬間的に毒を生成するんだ。だから本当に危険なのは毒ではなく、獲物に最適な毒を一瞬で選択できる、その魔術練度の高さとも言われている。人間ではそう真似できない」
「そういえば剣士団の医療部隊に、治療を通して毒に異常に詳しくなった方がいました。彼女なら、この牙で造った刀も使いこなせるかもしれませんね」
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「……ニジ鋼、実物を見るのは初めてだな。これと合わせるならガンラン銅か?……魔術は雷系、いや、それこそ炎系で、緋火竜の鱗と混ぜ合わせて……」
「……」
「……あ、すまない。つい夢中になってしまった。ええと、この鋼の特徴は……」
「いえ、気になるならじっくり見ていただいて構いません。……それはそれで、楽しめますから」
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コテツとチハヤが、素材売り場の一帯を抜けるころ。2人は両手いっぱいの袋を抱え、日もすっかり傾いていた。
「すまない。だいぶ時間がかかってしまった。……でも、かなり良い買い物ができたと思う」
「それは、何より。素材の解説も、お疲れ様でした。おかげで、私も色々と勉強になりましたよ」
「……本当にすまない。後半は、全然喋れなかったような気が……」
「ご心配なく。言ったでしょう、それはそれで楽しめると。たくさんの玩具を前に目を輝かせる貴方は、なかなか新鮮で、おかしみがありました」
「それならいいんだが……いや、いいのか?」
2人は素材売り場の少し先にある、小物や装飾品の売り場を通りかかった。世界各地のアイテムが集められているようで、一目で何かわからないユニークなものが、とんでもない値札がついていたりもする。
「少し、ここを見てもいいですか。ミウへの手土産を買いたいと思っており」
「ああ、もちろん。俺も、一緒に選んでいいかな」
「はい。ミウも喜ぶと思います」
ミウへの手土産を吟味し始めたチハヤ。その目つきは、魔族との戦闘時と同じかそれ以上に鋭い。コテツは少し気後れしながらも、追って物色を始める。
「……最近少し大人びたものに興味を持ち始めていますが、ミウの無垢な可愛さをもっと輝かせたいんですよね……でも、ミウの気持ちも無下にしたくないし、これも成長の証だし……でも、だからこそ今一番似合うものを……」
ブツブツと呟くチハヤを見て、こういうところも姉妹だな、とコテツは思う。ミウがチハヤの服を選ぶ時も、きっと同じくらいの熱量を見せていたのだろう。半刻ほど時間をかけて、お互いに良いと思ったものをいくつか教え合う。その中でひとつ、両者ともに選んだものがあった。黒の水晶が埋め込まれた、小さなロザリオのネックレスだった。
「……ふむ。貴方もこれを選ぶとは、なかなかやるではありませんか。少し大人びた雰囲気と、純粋な可愛らしさが両立している。ミウが好きな黒色なのも、ポイントが高いですね」
「……よかった。この水晶は確か、魔除けの効果があるとされる代物だ。ハザマ刀でもたまに使われる。安全祈願とか、無病息災とか、そういう意味でもいいのかな、と」
「なるほど。ミウに変な虫が寄りつかせない効果もありそうです。……では、これにしましょうか」
「……あ。あと。これは、チハヤさんにどうだろう」
そう言ってコテツが差し出したのは、薄桃色の水晶が埋め込まれた、銀のブレスレット。繊細な装飾があしらわれたそれは、姫君が身につけるような可愛らしさと気品があった。チハヤは戸惑いの表情を滲ませ、コテツに問いかける。
「……これは、いったいどういう?」
「こういう系統のアイテムも、ちらちら気にしていただろ。ミウさんへの手土産としては、少し系統が違いそうだから。もしかして、チハヤさんが気になってるのかなと」
「……つい忘れてました。貴方がよく見えていることを。……だとしても、私には似合わないでしょう。もしかして、この水晶にも何か意味が?」
「え?……ああ、それは。あまり見てなかったな。普通に似合いそうだなと思って、選んだだけだから」
その言葉に、チハヤは押し黙った。何か不味いことを言ってしまったのか、とコテツは焦る。チハヤに今言ったこと以上の他意はないのだが、これまでデリカシーを指摘されたのは、だいたいそういう無自覚なときだ。
何が地雷になるか分からず、コテツも迂闊に口を開けない。その沈黙に助け舟をと思ったのか、話を聞いていた店番の女性が声をかけてくる。「そのブレスレットに使われている水晶と、ロザリオの水晶、実は同じ種類なんですよ。妹さんとのお揃いなんて、素敵じゃないですか?」と。
「……なるほど。ではこのブレスレットも、魔除けの意味があるわけですね。剣士の身につけるお守りとしても、悪くない。それに、ミウも私とお揃いならもっと喜ぶでしょう。……そう。そうですね。では、こちらも買わせてもらいましょう」
それを聞いたチハヤは、うんうんと頷きながら、自分に言い聞かせるように言った。よくわからないが、どうやら納得してくれたようだ、とコテツは胸を撫で下ろす。店番の女性が、コテツに目配せをしてきた。
「じゃあ、これは俺が買ってプレゼントするよ。結局今回の任務で、これ以上に得をさせてもらってるから。……あんまり、意味ないかもだけど」
「……そういう余計なことは、言わなくていいんです」
そう言ってチハヤは、コテツの脇腹に肘を入れた。ぐえ、とコテツは声にならない声を出す。最後の最後で、またやらかしてしまったようだ。購入時、さっきまで微笑ましく見守ってくれていた店番の女性も、冷たい視線をコテツに向けていた。
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「……ここが、今日宿泊する旅館か。……ちょっと豪華すぎないか……?」
「さすがに、任務で定められた宿泊費を超えていそうですね。超過分は隊長が支払うことになるはずですが……謎の見栄なのでしょうか」
市場から離れた街の西側、海沿いに位置する大きな旅館。それが、今日コテツとチハヤが泊まる宿だった。外観からして豪奢だが品があり、長い伝統を感じさせつつも新しさがある。師匠クロガネと安宿しか泊まったことがないコテツでもわかる、明らかに超一流の旅館だった。
「……そういえば、ミウさんは大丈夫なのかな。1人きりで、一晩過ごすことになるんじゃないか」
「ご心配なく。キワノさん……2番隊の副隊長の方に、ミウを預かってもらっています」
キワノは、チハヤとミウの両親の古い知り合いであり、2人暮らしとなってからもかなり気をかけてくれている人物らしい。ミウが心を許している数少ない存在であり、キワノもまた、ミウをかなり気に入っているそうだ。
「あまり、彼女に甘えすぎたくはないのですが。任務で家を離れざるを得ない時は、ミウを見てもらっています。そしてその度にミウは、彼女から相当のもてなしを受けているようなので。私たちも、ミウのことは気にせず楽しむとしましょう」
「そう、か。なら、お言葉に甘えて」
少し楽になった気持ちで、旅館に足を踏み入れたコテツ。しかしそこで、想像を絶するおもてなしの渦に悲鳴を上げることになった。
1人部屋のはずなのに、自分の鍛冶屋の倍の広さはある個室。声をかけようと思った瞬間に「御用ですか」と音もなく現れる従業員。満点の星空を映す夜の海を、一望できる大浴場。夕食は部屋に持ってきてもらう形式だったが、だだっ広い机に宝石のごとく光る海の幸がぱんぱんに並べられて、美味しそう以前に圧倒された。しかし当然、味はとんでもなく美味しいわけで、恐ろしいほどスルスル胃の中に収まる。きっとチハヤはさぞ気持ちよく食べているのだろうと、思わず彼女の部屋を訪ねてみたくなった。
もてなされ疲れという未体験のステータスに、コテツは早々に床に入る。寝具は枕の硬さや高さ、布団の重みや柔らかさも絶妙で、今まで石の畳で眠っていたのかと錯覚するほど心地いい。
(……でも、全然眠れる気がしない)
謎の緊張と興奮により、なかなか眠気の気配がない。体が過剰なほど好調で、元気があり余っているのも要因だ。精神は多少気疲れしたものの、極上のおもてなしに身体は全回復したらしい。所在なく、今日の素材でどんな鍛冶をしようか構想する。するとやけにクリアなイメージが脳内に広がり、どんどん頭が冴えてきた。流石に朝も早いし、この想像もやめた方がいいか、と思い始めたとき、とんとんと小さな音が聞こえた。気のせいかと右耳に触れたところで、また音が聞こえる。どうやら、何者かが扉を叩く音のようだ。
「あれ、チハヤさん……?」
扉の向こうにいたのは、寝巻き姿のチハヤだった。普段結んでいる黒髪は下ろされ、リラックスした表情とあいまって、やけに艶やかな雰囲気を醸していた。いつもと比べかなり無防備なようすに、コテツは見てはいけないものを見てしまった気分になる。
「こんばんは。起こしてしまったら、すみません。……少し、お時間いいでしょうか」