第1話 少女・包丁・初仕事(1)
ウォーバニア王国、城下町の外れ。人気のない路地裏の隅にひっそりと、「鍛冶屋くろがね」の看板はあった。
飾り気のない無骨な店構えに、お世辞にも広いとは言えない店内。棚に整然と並べられた刀たち、ホコリひとつ落ちていない清潔な内装は、店主の早朝からの準備・掃除の賜物……というだけではない。客が、まったく来ないからだ。
「こんな調子じゃ、師匠に何言われるか分かったもんじゃないぞ……」
店の奥の机で頬杖をつきながら、鍛冶屋くろがね二代目鍛治師、コテツはため息をついた。その師匠も、今は行方知れずだが。
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魔術を刻むことで、人間も魔術を使えるようになる刀、「ハザマ刀」。コテツは、そんなハザマ刀の鍛治師だ。そして師匠のクロガネは、ハザマ刀を生み出した張本人。当初は世間にハザマ刀は受け入れられず、クロガネは王国から追放された。それから田舎で孤独に鍛治を続けていたところ、魔族に故郷を焼かれ逃げ出してきたコテツと出会う。
コテツはやがて鍛治師を志すようになり、「魔王を討つ刀を造る」という師匠の夢を継いで、ウォーバニア王国で鍛冶屋を開くことになった。ウォーバニアは、かつてクロガネを追放した王国。しかし今やハザマ刀を生み出した国として、対魔族の世界最高戦力「ウォーバニア王国騎士団」を擁している。そんな因縁の場所で、ハザマ刀の鍛治師として成り上がる。
その第一歩である、「鍛冶屋くろがね」店開きの直前に、クロガネは失踪した。
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(師匠が素材集めだの試し切りだので、いきなり姿を消すことはなくはなかった。きっと、いつかひょっこり帰ってくるだろう。……それより、問題は)
今日で、鍛冶屋くろがねは開店1周年を迎える。その間の来客は、ゼロだった。
利益ゼロ、売上ゼロならまだいい(よくない)が、客として鍛冶屋くろがねの敷居を跨いだ人間が、今までで1人もいないのである。扉の開閉を伝える鈴の音に、胸を高鳴らせ視線を向けても、ローンの取り立てか新聞配達のどちらかだった。
腕は衰えてないはずだ、とコテツは心の中で呟く。今も、毎日の鍛治修行は怠ってない。試す機会は、まったくないが。店の地下に作った作業場は、開店資金の半分以上を費やした。コテツはそこで、寝室にいる以上の時間を過ごしている。とはいえ一応、店が開いている時間は、店奥で所在なく座っているわけで。否が応でも、考える時間は増える。はあ、とまたコテツはため息をついた。
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コテツは休日、悲しいことに実質毎日が休日のようなものなのだが、王国中の鍛冶屋を視察して周った。「競合の動向は把握しろ」というのはクロガネの教えの一つ。視察をする中で、思った。どの鍛冶屋にも、技術で大きく負けているわけではない。
(師匠の教えは、現代鍛治の最高峰、ウォーバニア王国でも確実に通用する。……けれど)
刀だけでなく防具一式揃えられる店。炎魔術のハザマ刀に特化した店。王国剣士団の稽古場近くに居を構える店。他の鍛冶屋はいずれも、品揃えや価格、立地や店の雰囲気に、鍛治屋の個性を感じ取れた。コテツは改めて思い知る。ウォーバニアの鍛冶屋のレベルが高いのは、技術だけの話ではなかったのだ。
それに比べて「鍛冶屋くろがね」。地味な外装内装に、人通りの少ない立地。誰も知らん鍛冶屋の名前を、堂々と看板に掲げている。客観的に見て、並いる競合を差し置いて入りたい店構えではない。商売戦略という観点では、明らかにコテツは劣っていた。
『あなたのために 全力で打ちます』
何か個性をと、最近店の前に立て看板を置いた。クロガネの教えの中で、最もコテツの心に刻まれた言葉。「誰かのために刀を造れ」を表したものだ。
(でもこれも、客観的に見たらなかなか胡散臭くないか……?)
コテツの頭に、この言葉が「誰か」をかえって遠ざけるのでは、という可能性がチラつく。なんたる皮肉、と切なく思った。かといって一度出したこの看板を下げれば、大切な何かを失ってしまう気がして。結局そのまま、店の前に出しっぱなしだ。
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机の上にうず高く積まれるのは、城下町の図書館から借りてきた商学・経営学の本の数々。今読みかけの一冊を、気付けば同じページを何度も読み直していた。コテツはゆっくりと本を閉じる。恐ろしいことに、まだ昼時にもなっていない。
(技術が足りないなら、鍛錬に励めばいい。商才が足りないなら、ひたすら勉強すればいい。そう思っていたけれど…… )
さすがに最近は、不安や焦りが上回り始めている。今の自分に必要なものは何か。これまで答えをくれた師匠は、もういない。師匠の夢に、自分の夢に近づくため、自分はここに来た。なのに、徐々にその夢から遠ざかっているような感覚を、コテツは覚えていた。
「今の俺に、必要なもの。他の鍛冶屋に『負けない』じゃなく、『圧倒的に勝っている』技術。もしくは、的確な商売戦略に打って出る商才。……それを、どうやって手に入れるかだよなあ……」
思わず独りごちたコテツ。しかし、実際は間違っていた。それらはいずれも、一朝一夕で手に入れることは不可能だからだ。
「今」のコテツに必要なのは、ある意味では何よりも手に入れるのが簡単で、ある意味では何よりも手に入れるのが難しい。そして誰しもが、夢を叶える過程で、必ず必要とする「アレ」だった。
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突如、扉の呼び鈴が鳴る。しかし、コテツの心は凪いだままだ。月末のローン支払いの回収が、早めにやってきたのだろうか。今の持ち合わせを確認しつつ、扉の方にちらと目をやる。しかし、そこに人影は見えなかった。
(……悪戯、か?)
コテツは訝しげに立ち上がるが、やはり店内には誰もいない。と、思った瞬間。
「す、すす、すみません。こ、こここ、ここです……」
消え入りそうな声が、机に積まれた本の向こうから聞こえてくる。コテツが身を乗り出すと、そこに1人の少女が縮こまっているのを見つけた。
歳は10代前半だろうか。肩ほどに伸ばした黒髪に、前髪はやけに長く瞳はほぼ隠れている。何かの制服にも見える黒のシャツとスカート、黒のタイツに黒の靴。全体的に黒いビジュアルに、もじもじと動く小さな手白さが、やけに印象的に見えた。コテツは、ぎこちなく尋ねる。
「ええと。ま、迷子?」
「……ち、ちち、違い、ます」
「……じゃあ、まさか。お客、さん?」
こくこく、と少女は首を縦に振った。
コテツは、なんともいえない感情に襲われ、思わず顔に手をやった。人生は思い通りには行かないものだと、常々思っていたけれど。まさか自分の初めての客が、こんな小さな女の子だなんて。
「……とりあえず、お茶でも飲むかい。……いや、ジュースとかの方がいいかな」
どちらにせよ、飲み物を置く場所の確保から始めなくては。コテツは、そそくさと少女と自分を隔てる本の壁を片付け始める。その間も少女は指をいじいじしながら、所在なく佇んでいた。
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夢を叶えるために必要な、ある意味得やすく、ある意味得難いもの。それは、「運」。この少女との出会いをきっかけに、コテツの鍛治師としての人生は、師匠クロガネから受け継いだ夢の道のりは、大きく動き始める。