第17話 雪辱・迷宮・パートナー(終)
来客を告げるベルが鳴る。昼下がりに微睡んでいたコテツは、一気に目を覚ました。先日の不吉な夢を思い出し、緊張が走る。ここ最近、例の悪夢を見なくなった。ただ布団に入るとつい、次はどんな刀を造るべきか、どんな鍛錬を行うべきかを考えてしまい、寝不足の日々が続いている。
しばらくしても、客が訪れる気配はなかった。誰かの悪戯か、そもそも幻聴かもしれない。そんなことを思いつつ、念のため立ち上がり確認しに行く。扉は開け放たれていて、誰かが来たことに間違いはないようだ。ともかく、外に出てみようとしたところ、
「……うわっ!?」
とコテツは声をあげ、尻餅をついた。眼前に真っ赤な壁が現れて、そこにくっつく巨大な金色の瞳と、ばっちり目が合ったからだ。
「これは……竜?」
あまりの大きさに気付かなかったが、目の前にあるのは竜の頭のようだ。燃えるような真っ赤な鱗、立派な角と牙。瞳孔は見開き、完全に絶命している。ただそれがわかっていても、身が竦むような迫力だ。ここまで強大な竜は、見たことがない。見たことはないが、コテツはこの竜を知っている。
「……驚いて、いただけましたか?」
「うおっ!?」
背後から声がして、コテツは今一度驚きの声を上げる。尻餅をついたまま、見上げるように後ろを向いた。そこには冷静沈着な黒い瞳が、コテツを悠然と見下ろしている。
「報告を兼ねた、サプライズです。……見ての通り、緋火竜討伐、無事成功しました」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「いつの間に、討伐任務が終わってたんだ。全然知らなかったよ」
「つい昨日です。1週間前にここを訪れたとき、お伝えしようと思ったのですが。随分お疲れのようだったので、変に心配かけるのもよくないかと」
「……すまん。それは、気を遣わせた」
コテツはチハヤに茶を淹れて、緋火竜討伐の顛末を話してもらうことにした。コテツが初めて、客のために特注で作ったハザマ刀。それがどう彼女の役に立てたのか、是が非でも聞きたかった。
「……ただ、何はともかく。まずチハヤさんが無事でよかった。特段、大ケガとかもなさそうだ」
「ええ。軽い火傷と切り傷くらいです。共に任務に向かった団員たちも、特に負傷はなく。……そもそも、ほぼ私1人で戦いは片付きました」
チハヤは、コテツが作った新たな刀「浮雲」に触れながら、緋火竜との戦いの詳細を語る。まず、緋火竜が吐く火炎の息の攻略。前回は真正面から突破しようとして、結果成功したと言えるのは一度きりだったという。
「ただ今回は、難なく接近戦まで持ち込めました。浮力の魔術を纏うことで、緋火竜の炎を上空へ弾き飛ばすことができたので」
そうか、とコテツは膝を打つ。正面から灼熱の火炎をかき消すには、相当強力な魔術が必要になる。それを浮力と、炎自体の上に昇る性質を活かし、最低限の労力でうまく受け流したのだ。どうもうまく噛み合っているようだが、そこまでコテツが想定していたわけじゃない。チハヤの技術と策が、噛み合わせたのだ。
そして、緋火竜の懐に飛び込んでからの攻防。あの大剣「断風」でも歯が叩かなかった緋火竜を、どのように倒してみせたのか。
「さすがにこの刀の切れ味がよいといっても、緋火竜を真っ二つにするのは困難だったので。今回は、刺突で倒すことにしました」
「……それは、複数の刺し傷で失血死させる、ってことか?」
「いえ。あれだけの巨体で失血死させるには、相当の時間がかかります。狙いは、刺突により血管に直接浮力を流し込むこと。血流の逆流により心不全を引き起こさせて、緋火竜を倒しました」
「……なる、ほど」
コテツは、絞り出すように言った。チハヤの発想に感心を通り越し、末恐ろしさを覚える。確かに、頑丈な緋火竜を相手取るには、外傷より内部を破壊するやり方の方が理に適っている。浮力で単に体を浮かせるのではなく、血液を操作するというのも、彼女の繊細な技術と戦略眼があってこその戦法だ。コテツの願った通り、チハヤは自分の想像を超えた刀の使い方で、更なる強さを手に入れている。
(……ただ、この人の戦い方というか発想、淡々としてるけどたまにメチャクチャ怖く感じるんだよな。くれぐれも、今後怒らせないようにしないと……)
コテツが内心、恐々としていることに気付かず、チハヤは話を締めにかかる。
「……そうして緋火竜の討伐を終えて、戦果として竜の首を持ち帰り、先ほど剣士団の上部に報告を終えてきたところです。この運搬にも、浮力の魔術が役立ちました」
「……そうだ。あの竜の首、この後どうするつもりなんだ?」
扉の真ん前に置かれていた竜の首は、一旦少しずらして店前に置いてある。相変わらず店は閑古鳥なので、これによって減る来客もいないだろう。反対に、物好きの客が寄ってくる可能性すらある。
「ああ、アレなら差し上げますよ。牙も角も鱗も、刀造りの素材になるのでは、と思い」
事もなさげに言ったチハヤに、コテツは今日一番の驚きを見せた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あれだけ強力な魔獣の素材、ちゃんとした鍛冶屋に売ったら、かなりの金額になるはずだぞ」
「別に、お金に困っているわけではないので。刀の出来高報酬とでも思ってください」
「いや、そもそも浮雲の鍛冶のお金も、相当貰ってしまったし……」
「いい勉強になりましたね。これからは事前に、報酬は書面で明確に決めておくとよいでしょう」
「……それ、払いすぎる客の方から言われることってあるんだな……」
しばらく押し問答を続けていたが、チハヤが絶対に意見を変えないのが予感できたので、コテツは渋々、ありがたく受け取ることにする。
「……チハヤさんには、また借りができてしまったな」
「私からしたら、刀の借りをまだまだ返せていない感覚なのですが。まあ貴方がそう言うなら、ひとつ頼み事をしてもいいでしょうか」
しれっとした様子で言い放つチハヤに、コテツはまた背筋が寒くなる。この流れで、自分の頼みを通しやすくすることまで狙っていたのか。元より彼女からの申し出を断る気はそうそうなかったが、完全に掌の上で転がされている感覚だ。
「……頼みと、いうのは。……コテツ、貴方に、私のパートナーになっていただきたいんです」
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「ええと、念のために聞くが。パートナーというのは、家族とかそういう意味ではなく……?」
「ち、違います!」
一転、珍しく動揺した声を上げたチハヤ。コテツは少し愉快な気持ちになるが、それが彼女にバレてしまうと怖いので、平静を装った。こほんとひとつ咳払いをして、チハヤは説明を続ける。
「パートナーというのは、剣士と鍛冶師としてのパートナー契約を、私と貴方で結ばないか、ということです。……貴方は鍛冶師として、私の刀のメンテナンスや武器の提供を行う。私は剣士として、貴方の刀の宣伝や、刀の素材提供を行う。スポンサー契約と言った方が、わかりやすいかもしれません」
剣士と鍛冶師のパートナー契約。コテツも以前耳にしたことはあるが、客もろくに来ない鍛冶屋には関係ないだろう、とまともに調べてこなかった。しかしら剣士とそこまで強い信頼関係を結べる鍛冶師を、羨ましく思う気持ちはずっとあった。そんなパートナー契約の話を、まさか剣士の方から持ちかけられる日が来るなんて、コテツは夢にも思わなかった。
「正式な手続きを踏めば、王国剣士団公認の鍛冶屋という認定も受けられます。あくまで個人との契約なので、大きなメリットはないかもしれませんが。……また、鍛冶屋から剣士への支援を行い、その見返りということなので、多少の費用を払っていただく必要はあります」
王国剣士団公認、という文言が、コテツの心の中で少し引っかかる。師匠クロガネと因縁のある国から、後ろ盾を受けることになるのだから。ただ同時に、頭の中のクロガネが呆れた声で言った。「そんな小さいプライドに拘ってられる身分か?利用できるもんはすりゃあいいじゃねえか」と。それにコテツは、1人の鍛冶師、1人の人間として、チハヤという1人の剣士、1人の人間に信頼と敬意を抱いていた。そこには、過去の因縁なんて関係がない。
「……チハヤさんのような素晴らしい剣士と、もっと繋がりを強められるなんて願ってもない。ぜひ、パートナー契約を結ばせて欲しい」
「……よかった、嬉しく思います。今後とも、よろしくお願いしますね」
チハヤは少し緊張が緩んだような、ほっとした表情を見せた。これまた、今まで見たことのないような彼女の一面に、コテツは少し動揺する。ただすぐさま事務的な表情に戻り、必要な書類は持ってきてますので、と大量の紙を机に広げた。その冷静さと抜け目のなさは、コテツがよく知っているチハヤだ。にしてもどこまで計算済みなんだ、とコテツは苦笑いをする。
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「……でもなんで、ここまでしてくれるんだ。正直契約の内容からして、俺の方がチハヤさんに頼み込むべきことだと思えるけど」
契約書を読み込みながら、思わずそう溢してしまったコテツ。それを聞いたチハヤは、「わざわざ言わせるなんて、野暮な方ですね」とため息をついた。
「私は、大袈裟でなく貴方の刀に救われたんです。その借りはまだまだ返しきれないと、本心から思ってます。……それに、貴方が私の願いを、信念を、後押ししてくれたように。私も貴方の信念を叶える力になりたい。そう思ったんです。……いけませんか?」
「……いや、ありがとう。俺も、チハヤさんの刀を造ることで、鍛冶師として救われたから。でももっといい刀を造って、もっとチハヤさんの力になってみせるよ」
「はい、期待しています。……そうだ。今後刀造りの素材集めには、私が同行しますから。前も言いましたけど、素人が不用意に魔族の戦いに飛び込んだら、いずれ本当に死にますから。私はともかく、ミウを悲しむことになったら困ります。素材集めに向かう時は、必ず私に声をかけること。いいですね!?」
穏やかな空気から一変、有無を言わせぬチハヤの雰囲気に、コテツは首を何度も縦に振る。この圧力もまた、コテツもよくよく知っているチハヤの一面で、もはや安心感すらあった。ただそれを口にしたらどうなるか、流石のコテツも弁えている。黙って契約書を確認を続け、片っ端からサインを書き込むのだった。