第15話 雪辱・迷宮・パートナー(10)
「……これが、私の新しい刀。本当に、それで間違いないですね?」
険しい眼差しで、チハヤは問いかけた。コテツはその視線を真っ向から受け止め、頷く。
刀が完成したとの報せを受け、チハヤは半月ぶりに鍛冶屋くろがねを訪れた。チハヤを待っていたのは、現在使用している大剣「断風」を、さらに超えるスケールの大剣――ではない。差し出された刀は非常に細身で、儚げな雰囲気すら纏っていた。白と銀の、繊細な装飾が施された柄巻。刀身は透き通って見えるほど研ぎ澄まされ、おぼろげな輝きを放っている。
「……私は、貴方をある程度信用しているつもりです。だから、納得のいく説明をお願いします。……この刀で、どうやって緋火竜を倒せというのですか?」
「……それは。俺には、わからないな」
だん、と鈍い音がする。チハヤがコテツに詰め寄り、その襟に掴みかかった。片手の力で、コテツの体は軽く宙に浮く。これだけの力があれば、断風よりも一回り、いや二回り大きい刀でも、難なく使いこなせるだろう。コテツは改めてそう思った。
「……私に見合った刀を造る、と言って。実際に、私の戦う姿も見定めて。結果造られたのが、こんな痩せっぽちの刀だとは。貴方は、私を舐めているのですか?それとも、緋火竜を舐めている?」
「……いや。舐めているのは、チハヤさんの方だ。俺を舐めるのは、まあいいとして。あなたは他の誰よりも、あなた自身を舐めているよ」
「……は?」
鬼気迫る表情から一転、チハヤは困惑の表情を浮かべた。少し緩んだチハヤの手を、コテツは一瞬の躊躇いののち、慎重に振り解く。
「俺もちゃんと、チハヤさんの言葉を覚えている。あなたの真の目的は、『誰かの大切を守り抜くこと』だ。だから緋火竜の討伐も、その目的を果たすための、数ある戦いの1つにすぎない」
「……それは、その通りです」
「断風よりも巨大な刀を造ることも、緋火竜の性質を分析して、討伐に特化した刀を造ることもできた。でもそれは、チハヤさんが真に必要とする刀じゃない」
チハヤが、背丈の倍以上の刀を振り回し、爆炎ごと緋火竜の体を真っ二つにする。そんな光景なら、コテツは鮮明にイメージできた。だから、「違う」と思ったのだ。チハヤに必要なのは、純粋にその強さを最大限に引き出す一振り。形状だの大きさだの、誰を倒そうだの、それらはすべての二の次。彼女の真の目的は、そこにはないのだから。
「……それらしいことを、言いますが。遠くの目的に気を取られて、目の前の戦いに敗れては、何の意味もない」
「だから、言ったはずだ。チハヤさんは、自分自身を過小評価しているよ。今のあなたの強さを最大限に発揮できれば、緋火竜にも十分勝てる。実際の戦いを見て、改めてそう思ったよ」
緋火竜が難敵であることに、疑いの余地はない。しかしコテツは、最初から違和感を抱えていた。チハヤの佇まいや、握手を交わして読み取った力量からして、「現時点でも、そこまて力量に差のある相手ではないのでは?」と。実際に彼女の戦いぶりを見て、その違和感は確信に変わる。
「チハヤさんの凄いところは、断風を軽々扱えるパワーでも、風の刃の遠隔攻撃でもない。俊敏な身のこなしや、繊細な剣技。戦局に合わせて立ち回れる柔軟さの方だ。……俺も最初は、そっちはプラスアルファの強みだと思っていたけど。あの大剣を振り回していてなお目に留まる技術と速さは、特筆すべきものだ」
コテツがそれを一番感じたのは、ゴズとの戦いで互いの刀を交換したとき。実際に断風を使ったからこそ、この扱いづらい大刀で高度な剣さばきを実現することの異常さを思い知った。またチハヤが霜月を振るい、見事にゴズの首を刎ねたのを見て、剣の重みから解放された彼女のポテンシャルも知った。刀を交換する作戦にそんな意図はなかったが、結果的に刀造りの方針を決定づける機会になった。
「並の力自慢の剣士より、チハヤさんは一回りも二回りも優秀な剣士だ。そういうタイプが捨てがちなステータスも、高いレベルで維持しているから。……そして、そのステータスこそが、あなたの本質なんだ。そのポテンシャルを、120%活かせる刀に出会えたなら。パワータイプの剣士どころか、あらゆる領域の一流の剣士たちと比べても、遜色ない剣士になれる」
「……とりあえず。貴方の熱意は伝わりました。では、ひとまず見定めさせてください。私の力を120%引き出す、その一振りを」
語りに熱が帯びるコテツを見て、チハヤは逆に落ち着きを取り戻していた。目の前の刀の柄を握る。その瞬間、刀が手をすり抜けたような錯覚を覚えた。それほどまでに、刀の重みを感じなかったのだ。
(……長い間断風を使ってきたから、その重みは体に馴染んでいる。でも、それを差し引いても、恐ろしく軽い刀だ)
比喩でもなく、空を掴んでいるような感覚になった。かえって、これは並の刀ではないという予感が、チハヤの胸中に湧いてくる。
「刀身は、天空城アカシヤを支えるミデン石と、白明ガラスの羽を加工して造った。羽のように軽く薄く、けれど激しい嵐にもびくともしない強靭さがある。もちろん、切れ味も天下一品だ」
どちらも希少な素材で、コテツ自ら手に入れたのではなく、師匠クロガネから譲り受けたものだ。今回の鍛冶でほぼ全て使い切ってしまったが、後悔はまったくない。
「刻まれている魔術は……見たこともない術式ですね。属性も、検討がつかない」
「……じゃあ、試してみてくれ」
コテツはチハヤに促した。少なくとも、いきなり周囲を滅茶苦茶にするような魔術ではないのだろう。すなわち貧弱な魔術なのでは、とチハヤは勘繰った。だがすぐに、それは自分の目で見極めるべきだ、と自戒する。ゆるやかに、魔力を刀身に流し込んだ。鳥の羽を太陽に透かしたかのように、術式が柔らかな光を放つ。
「……!……これ、は」
流し込んだ魔力が別の力に変換され、チハヤの手元へ逆流した。チハヤの黒い髪がふわりと舞い上がる。やがて髪だけでなく、チハヤの体がわずかに、しかし確実に宙に浮いた。刀身が放つ淡い光が、チハヤの全身を包み込んでいる。
「……『浮力』、ですか」
「そう。流し込んだ魔力を浮力に変換する。それが、このハザマ刀に刻まれた魔術だ」
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人類が、魔術を解明する方法について。
魔族が魔術を使うとき、体のどこかに刻まれた術式に魔力が走る。そのため、まず魔族と戦い魔術自体の性能を把握したのち、魔族を倒して刻まれた術式と魔術を照らし合わせる、という工程を踏むことが必要だ。照合から法則性を仮説立て、実際にハザマ刀に術式を刻み、さまざまな検証を行う。その検証で、仮説の正当性と安全性が証明された魔術および法則だけが、人類が扱うことを許される。その仮説検証はウォーバニア王国をはじめ、国際的な魔術使用に関する協定に批准した国の機関のみが行える。
人類が解明できている魔術は、全体の3割程度と言われる。それでもなお膨大な量であり、さらにその中の3割も理解できれば、ウォーバニア王国で店を出せる鍛冶師に値する。
(師匠の教えで叩き込まれたのは、5割とちょっと。未検証のグレーな魔術を含めればもう少しあるが……)
チハヤの刀に刻んだ浮力の魔術も、単に魔力を浮力に変換するだけなら難しくない。しかし実戦で使うには、チハヤの力量に合った出力や発動速度、また素材との兼ね合いも踏まえ、絶妙なバランスに術式を調整する必要がある。今回の鍛冶で最も苦労したのは、そこかもしれない。
「……浮力のハザマ刀など、聞いたことがない。運送の仕事や、それこそ天空城を支えるくらいしか、使い道を聞きません。そんな魔術で、どうやって魔族と戦えと――」
「自分の体に浮力を与えて、機動力を上げる。敵に浮力を流し込み、バランスを崩したり、攻撃の威力を軽減する。浮力で軽くした周りの物質を、投擲や防御に使う。……鍛冶屋の俺でも、これくらいの使い道は思いついた。チハヤさんならきっと、もっと冴えた応用法が思い浮かぶはず」
「……なるほど、確かに。今少し考えてみましたが、緋火竜討伐にも有用な戦術も、すでにいくつか思い浮かびました。前言を、撤回します」
断風を使った豪快な戦闘スタイルから一転、この刀は地味で繊細な戦い方が求められるだろう。だけどそのぶん、技術や戦術の幅は大きく広がる。
(不謹慎では、ありますが。早くこの刀を使ってみたい、と高揚する自分を認めざるを得ません)
そんなチハヤの心中がどこまで見透かされたかはわからないが、コテツはふう、と安堵のため息をつく。
「きっとチハヤさんは、もう俺の考えも及ばないような使い方がイメージできてるんだな。……鍛冶師の想像の範疇に収まる刀なんて、たかが知れてるから。あなたを、俺がイメージできるあなたなんか軽く飛び越せる、そんな一振りを打ちたかったんだ」
「……『私がこの刀を使って、緋火竜を倒す姿は想像できない』。あなたの言葉は、そういう意味だったんですね」
「ああ。チハヤさんには、もう俺の見えない未来が見え始めてる。あとはもう、チハヤさんと俺の刀を信じることしかできない。その未来で、あなたが真の目的に到達できていることを」
「……見えていなかったのは、私の方だった。と、言うわけですね」
チハヤはそう呟くと、手にしていた刀を丁寧に机の上に戻す。そして、コテツに恭しく頭を下げた。王国剣士団仕込みの美しい所作に、頭を下げられたコテツの方が怯んでしまう。
「……先ほどの失言に無礼、大変失礼しました。こちらの刀、有り難く頂戴いたします。正直、私は自分自身を、それほどの剣士とは思えません。けれど私の刀を、想いを。私以上に考えてくれた貴方のことは、信じられそうな気がします」
「……それは、お互い様だ。チハヤさんが俺を信じてくれたから、それに応えなきゃと思えて。自分の想像も超えるような、そんな刀が造れたんだ」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……それにしても、皮肉ですね。剣士団に入った当初は、自分の強みは技術やスピードにあると理解していたはず。けれどいつしか、足りないものばかり目が行って。無理して筋力をつける修行をして、身の丈に合わない武器を使って。それでスランプになったのだから、ずいぶん無駄足を踏んだものです」
やや自嘲めいた口調で、チハヤは言った。半分は、妙に湿っぽくなった空気を嫌ったからだが、半分は本音でもあった。だがコテツは、「それは、違う」と即座に返す。
「チハヤさんの技量は、断風という重く巨大な刀を選んだからこそ、飛躍的に伸びたはず。それに、重心をうまくコントロールする技術は、浮力の魔術にも役立つと思う。……というか、断風を使いこなせるチハヤさんだからこそ、浮力の魔術をうまく使えそうという発想に至ったわけで。それに、チハヤさんにパワーがないままだったら、ここまで軽い刀にする勇気は出なかったよ。いくらスピードと切れ味を重視しても、持ち主が非力なら押し負けるリスクも大きいし……」
思わず早口でつらつらと語ってしまい、またチハヤはコテツの熱量に引き気味の表情を見せた。しばらくして彼女の様子に気づいたコテツは、気まずさにひとつ咳払いをする。
「……言った、はずだ。これは今のチハヤさんの力を、最大限に引き出す刀だって。チハヤさんが過去に後悔を覚えていても、俺がどうこう言う権利はない。でも、その道のりがほんの少しでも違ったら、きっとこの刀は生まれなかったわけで。だから、その。ありが、とう……?」
「……なぜ、疑問系なんですか」
「いや。感謝するものが、なにか曖昧すぎる気がして。でも確かに、そう思ったんだ」
チハヤは思い出す。妹と2人で生きていくことになったあの日の覚悟を。王国剣士団の一員に認められた誇らしさと、誰よりも早く目の前の壁に気づいた焦燥を。断風を初めて手にしたときの、これで何かが変わるかもしれないという期待を。闇雲に任務と鍛錬に打ち込むしかなかった歯痒さを。そして、「新しい刀を造ってほしい」という依頼を次々断られたときの、唇に血が滲むような悔しさを。
(……私の人生を振り返ってみると、重く苦しい記憶ばかりな気がします。でもそんな過去も丸ごと、この刀は肯定してくれる)
最初はあんなに頼りなく見えていたのに。チハヤは自分の見る目のなさを恥ずかしく思う。そこでふと、ひとつの問いが頭に浮かんだ。
「……そういえば、こちらのハザマ刀の名前を伺っても?」
「ああ。こいつの名は、『浮雲』。今のところ世界で一振りしかない、俺が初めてオリジナルで造ったハザマ刀だ」
「……なるほど。魔術そのまま、ですね。わかりやすくて、いいですが」
「……あ。あと、は。チハヤさんの背中が、大剣よりもっと重い使命を、ずっと背負ってるように思えて。もちろんそれが、チハヤさんの強さの源で、それを降ろせなんて微塵も思わないけれど。……せめて刀は軽やかに、あなたに少しでも自由を与えられる一振りであってほしい。そんな意味も、なくはないというか……」
語りが次第に尻すぼみになるコテツ。チハヤの生き方に心打たれ、少しでも力になりたい、という想いに嘘はない。ただ話しながら、どうも鍛冶師の領分を逸脱してしまっているようにも思えた。その言葉を聞きながら、チハヤが少しずつ俯き始めているのに気づく。
「す、すまない。わかったような口を効いて……」
「……なるほど。私が重い女だと。そう重いが込められているわけですね」
「え、いや。そういう意味では全然なく……」
やはり、またデリカシーに欠けた言動をしてしまっていた。そう思い焦るコテツ。顔を上げ、目元を軽く擦ったチハヤの、その口元はほのかに緩んでいた。そのことはコテツも気づいたけれど、彼女の心の内までは、まだ知らない。
「……当たってますよ。やはり貴方の目は、よく見えている」
だって私は、今日のことを死ぬまで忘れないでしょうから。チハヤは、そう心の内で小さく呟いた。