第14話 雪辱・迷宮・パートナー(9)
「ひとまず、一件落着、か。……そいつの使い心地は、どうだった?」
「……素晴らしい刀でした。魔力の走りも滑らかで、切れ味も抜群。横で見ていたときは、ここまでの一振りとは思わなかったです」
チハヤの言葉に誇張はない。ゴズの首を刎ねた瞬間の、あの感触を思い出す。振るった刃は雪のように軽く、手応えのなさに空を切ったと錯覚したほどだ。
「それは、一流の剣士に使ってもらったからだよ。刀冥利に、鍛治師冥利に、尽きる。……反対に、こっちは全然使いこなせなかった。改めて、チハヤさんの力量を思い知ったよ」
背中から断風を下ろしながら、コテツはため息をつく。しかし、チハヤの感想はまったく逆だ。コテツはチハヤの想像以上に、断風を使いこなせていた。風の刃の威力も精度も、チハヤが断風を使い始めた頃より数段上。あらゆる刀を人並みには使える、というコテツの言葉を、チハヤは信じざるを得なかった。
(……鍛冶の腕前はともかく、剣の腕前を褒めるのは何だか癪なので、言いませんが)
◇◆◇◆◇◆◇◆
戦果であるゴズの首を回収しつつ、チハヤはコテツに声をかける。
「さて。さすがにこれ以上の敵はないでしょうし、帰りましょうか。……これだけ戦う姿を見せれば、刀も造れそうですか?」
「ああ、任せてくれ」
魔人討伐は完全に想定外だったが、その戦いはチハヤという剣士の理解を深める、これ以上ない機会となった。ただそれも結果論で、危ない橋をそう易々と渡るべきではない?……などと思い始めたところで、コテツは会話の違和感に気づく。
「……気づいていたのか。俺の目的が、素材集めじゃないことに」
「はい。……ワーウルフとの交戦の後くらいから、薄々勘付いてはいました。やけに貴方の視線を感じる、とは話しましたが。それ以上に、周囲の鉱石に意識が向いていなさすぎたので」
背中に嫌な汗が滲む。思ったよりも早い段階で、コテツの偽りの目的は悟られていた。ゴズとの戦いの前、「探している素材はどこか」と尋ねられたのは、単なる質問ではなくカマかけだったのだ、と今更理解する。
「戦う姿を間近で見て、私がどのような剣士かを見極めたかった。それが貴方の本当の目的、といったところでしょうか」
「騙すつもりは、なかった。……いや。黙っていた方が都合がよかった言わなかった、というのは、騙していたのと同じだな。……申し訳ない」
「いや、そこではなく。私が怒って……いや、驚き、呆れているのは。一振りの刀を造るために、わざわざ命の危険を冒そうとしていること。まさか依頼を受ける度に、同じことをするつもりですか?」
「……まあ。俺が一目で剣士の全てを見極められるくらい、一流の鍛冶屋になるまでは」
「……いつか、死にますよ。鍛冶屋が戦場で命を落とすなんて、意味不明です。命懸けでやれば、何でもいいわけではない」
返す言葉もない。まさに最近、ミウの包丁の素材集めに魔族と戦った際、同じようなことを思っていた。多少場慣れてしていようと、鍛冶師の本業は鍛冶。魔族と戦うことではない。なのに剣士のように文字通り命を懸けられないことに、変な負い目を感じてもいた。しばらく沈黙が流れたが、そこで再びチハヤが口を開く。
「けれど、貴方の鍛冶に対する熱と覚悟は、よく伝わりました。私も、貴方に敬意を表します。……私の想像を超える刀が生まれるのを、期待していますね」
「!……ああ、必ず」
コテツの返事も待たずにチハヤは振り返って、帰路へ歩き始めた。コテツはその背中を追いかけながら、誓いを新たにする。
(……思えば、俺を鍛冶師としてまっすぐ見て、賞賛と期待をしてくれたのは、チハヤさんが初めてかもしれない)
コテツは、今の自分の想いを口にしようとしたが、止めた。言葉だけで、それを正しく伝えられる気がしない。だが幸いにも、自分は鍛冶師で、相手は剣士。ならば他にもっと、相応しい伝え方がある。
「……そういえば、1つ助言をしておきます。これからも剣士と共に戦うなら、その露骨な視線はなんとかした方がよいですよ。あらぬ誤解を生みかねません」
「……そんなに、怪しかったのか」
「はい。全身をまさぐるような、舐め回すような。そんな視線でした。ミウの件での信頼がなければ、即座に叩き斬っていたことでしょう。……私以外には、やめておいた方が身のためです」
「……肝に、銘じます。少なくともチハヤさんは、今日でどんな剣士なのかよく分かった。だから今後そういう目で見ることはない。安心して」
「……そう、ですか」
心なしか、チハヤが歩くスピードを上げた気がする。コテツはそれを奇妙に思いつつ、速足で彼女の横に並んだ。
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熱し終えた魔鉱石を炎から引き上げ、金槌で叩き板状にする。その板を小さく割って、破片の断面を観察した。魔力は豊富だが、炭素が少なく柔らかい破片。魔力は少ないが、炭素が多く硬い破片。それぞれを選り分け、また1つの鋼にまとめる。前者は刀の「芯」に、後者は刀の刃にあたる「皮」になる。その作業が終わったら、鍛治の本番、鍛錬の工程に入る。
鍛錬では、鋼を金槌で叩いて薄く伸ばし、半分に重ね、また叩いて薄く伸ばす。不純物が火花となり飛び散ることで、純度の高い鋼は作られるのだ。しかし叩きすぎると魔素や炭素は失われ、鋼の質は下がってしまう。
この鍛錬の工程が、コテツは一番好きだった。金槌越しに伝わる鋼の感触、反響する音、火花の色。それらをつぶさに観察しながら、鋼を最高の状態に近づけていく。どこまでも冷静に、どこまでも純粋に、鋼と自分だけがいる世界に集中する。燃え盛る炎の傍にいながら、その熱ささえコテツの意識の外にあった。
鍛錬を経て出来上がった、「芯」と「皮」の鋼。その2つを合体させ、また熱して叩くを繰り返す。ある程度馴染んできたら、一回り小さい金槌に持ち帰る。繊細な力加減で叩くことで、刀に立体的な形を与えるのだ。薄すぎると折れやすくなるが、分厚すぎると切れ味が損なわれるし、魔術の発動速度も落ちる。時折魔力を流し、淀み具合を確認しながら調整を続ける。
(そろそろ、か……)
完成に近づいてきた刀に、魔素を含んだ土を塗り込む。最後の焼き入れに備えるのだ。刀身の部位に応じて土の厚みを変えると、火入れ具合に差が生まれ、各部位が最適な焼き映えになる。魔術の術式を掘り込むのも、この工程。土の上から魔術を刻み込むと、焼き入れ時の温度差で術式が浮び上がるのだ。
焼き入れでは、刀の部位ごとに炎で熱したあと、水に浸けて素早く冷やす。この作業も何度も繰り返して、刀全体の硬度を高めていく。土が薄い部分は、急激に熱され急激に冷えるため、鋭い鋼に。土が分厚い部分はゆっくり熱されゆっくり冷えるため、しなやかな鋼に。魔術の術式も、次第に浮かび上がってくる。その輪郭がはっきりしたところで、いよいよ仕上げの工程。刃を砥石で丹念に研いでいく。
(さすがに今回の刀じゃあ、指での試し切りはできないよな)
ミウの包丁を造った時の、繊細な仕上げ工程を思い出す。今でもミウは、時折鍛冶屋くろがねに顔を見せに来る。新しくこんな料理を作れるようになった、といったことを嬉しそうに報告してくれるのだ。その度に姉であるチハヤは美味しそうに食べ、たくさん褒めてくれるというのだが、コテツは未だにチハヤの柔らかな表情をイメージしきれない。つい先日のミウとの会話を、ふと思い出す。
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「……そういえば、お姉さまもときどき、コテツさんのことも話してますよ。お姉さまが人の話するの、かなり珍しいんです!」
「へえ。ちなみに、どんなことを話してた?」
「そうですね、いろいろ話してた気がしますけど。……あ、『初対面で手を握られたり、一緒に洞窟に行ったときにじろじろ見られたりして、困りました』とか、言ってました!」
「え!?……ああ、それは、違くて。や、違わなくは、あるんだが」
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わざわざミウにもこぼすほど、その印象が強かったのか。コテツは申し訳なさと恥ずかしさに、ひどく落ち込む。「でも、お姉さまはなんだか楽しそうだったので、気にしてないと思いますよ」というミウのフォローも、とてもではないが信じられなかった。ーーそんな記憶が頭を過り、コテツは慌てて首を振る。
(……チハヤさんが俺を本当はどう思ってるかとか、今そんなの考えていても仕方がない。……俺は、鍛冶師。俺がやるべきは、彼女が満足する刀を造ること。それだけを、考えろ)
自分に言い聞かせながら、目の前の作業にさらに意識を集中させる。仕上げの工程に必要なのは、緊張感と繊細さ。ミウの包丁を造ったことで、コテツのその力は著しい成長を遂げていた。
そして、チハヤと初めて出会ってから半月、三十七振りの試作品を経て。ようやくコテツは、その一振りを完成させた。
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コテツは無性に風に当たりたくなり、家の外に出た。空はちょうど夜明けを迎えていたが、最後に見た空から数えて何度目の夜明けなのか、コテツにはわからなかった。持ち出した生まれたての一振りを、朝日の光にかざす。産声の代わりに、刀身が朝の光を反射してゆらゆら光った。
(……間違いない。ミウさんの包丁と並んで、この一振りが俺の、鍛治人生の最高傑作だ)
誰かのために刀を造ることの力を、コテツは少しずつ理解し始めている。そして同時に、その深遠さも感じつつあった。
そして、コテツは思う。この刀を振るい、戦場を颯爽と駆けるチハヤの姿が。火喰竜を華麗に打ち倒すチハヤの姿が。コテツには、やはりまったくイメージすることはできない、と。