第11話 雪辱・迷宮・パートナー(6)
魔人『ゴズ』との戦闘に臨むべく、作戦を練るコテツとチハヤ。いくつかの策を用意し、段取りの確認を終えたころ。すでに日は沈んでいた。ただ洞窟内は常に不気味な明るさに満ちていて、2人はそれに気づく由もない。命懸けの戦闘を前に、緊張の高まりを自覚したコテツは、何度も浅い呼吸を繰り返す。その様子を見たチハヤは、コテツに話しかけた。
「……そういえば。貴方にはいないのですか?帰るべき理由になる人は」
「……ああ、いや。俺は兄弟もいないし、幼い頃に父も母も亡くしてるから。そこは特に大丈夫かな」
「……すみません。余計なことを聞きました」
チハヤの表情が翳り、しまった、とコテツは思う。チハヤはコテツを奮い立たせるために、声をかけてくれたのだろう。それに対し考えなしに、何なら嫌味にも聞こえる返答をしてしまった。
「いや、でも。俺を育ててくれた鍛冶の師匠は健在で、師匠に一人前になったと認めてもらうまでは、死ねないかな。……チハヤさんは、ミウさんと二人暮らしなんだったっけ」
「……そうですね。私も6年前に両親を亡くし、それからはミウと2人で生きてきました」
チハヤとミウの両親も、王国剣士団とまでは行かないが、魔族と戦う剣士だったそうだ。チハヤは物心ついた頃から、両親に剣を教わっていた。幼心に、両親は死と隣り合わせで生きていると悟ったチハヤ。だから妹であるミウが生まれた時、父と母に何かあったら、私がミウを守らなければ、と思った。そして6年前、魔族との大規模な争いに駆り出され、両親は戦死する。
「……私には剣しかないし、父と母から教わった剣で生きたい、ミウを守りたい。そう、思ったんです」
それから2年後、チハヤは異例の若さで王国剣士団に入団。二人暮らしには十分すぎる給金が入るようになったし、それ以前からも王国からの支援は受けていて、ミウの世話のために使用人を雇ったときもあった。ただ人見知りのミウにとって、それは想像以上のストレスだったようだ。なので結局、チハヤはミウと2人で暮らしていくことを決めた。
「ただ、若い女の2人暮らしだと、周囲が色々と好奇の目で見てくることも多く。私がこの大剣を使い始めたのも、非力だと舐められないよう、自分を大きく見せるためでもありました」
そうやってチハヤは、断風を握る手に力を込める。そもそもチハヤ自身も、幼くして両親を亡くした張本人。なのに悲しみに暮れる暇もなく、ミウを守るために自力で立ち上がり、前に進んできた。コテツは思う。もし自分が師匠に出会えなかったら、打ちひしがれたままのたれ死にしていただろう、と。
「改めて、あなたに敬意を表するよ。その強さと、偉大さに」
「……いえ。貴方には、もっともらしいことばかり言いましたが。正直私にも、黒く醜い気持ちはありますよ。……復讐してやりたい、そんな気持ちが」
チハヤは、まるでコテツの賞賛から逃げるように、そう口にする。
「……それは、両親を手にかけた魔族に、ってことか」
「それだけではないです。すべての魔族。その頂点の魔王。……もっと言えば、理不尽な運命を押し付けてくる、こんな世界に。私は一泡吹かせてやりたいんです。この命を、懸けてでも」
チハヤの瞳は、夜の海のような深い黒に沈んでいた。自分は選ばなかった、選べなかった修羅の道。その道をゆく彼女に、恐ろしくも引き込まれるような、危うい美しさをコテツは感じた。
「それは……重い覚悟だな」
「覚悟と執念は、紙一重なので。……引き、ましたか」
「いや。なおさら力にならなきゃ、と思ったよ。……造る刀のハードルが上がったところだ」
「……そう、ですか」
チハヤはゆっくりと瞼を閉じた。そして再び目を開けたとき、彼女はいつもの鋭い眼光を取り戻している。
「……ここまで1人の客に入れ込んで、商売が成り立つのか心配になりますが。……もし鍛治で立ち行かなくなったら、私の家の使用人として雇ってあげますよ」
「……それは、ありがたい」
いつの間にか、コテツは自然な呼吸のリズムを取り戻していた。神経は張り詰めているが、体はほどよく弛み、自身の体を自在に操れるような感覚。視界はクリアになり、頭もみょうに冴えてきた。鍛治がうまく行くのも、だいたいこういう状態のときだ。いきましょう、とチハヤの凛とした声が、鼓膜に響く。
◇◆◇◆◇◆◇◆
静寂に満ちた空間に、ひゅるり、と鋭い風切り音が響いた。その瞬間に現れたのは、天井まで届くほどの巨大な風の刃。大地を真っ二つにする勢いで、唸りを上げながら一直線に飛んでゆく。
「……あらあら。思ったより、せっかちなのねえ」
しかしその刃に狙われた標的は、余裕綽々の様子を崩さない。迫り来る刃を一瞥すると、重たい地鳴りと共に、眼前に分厚い岩壁が立ち上る。
今造られたばかりなのに、長い年月を経て大地が隆起したかのような、重厚さと威厳をまとった巌。風の刃は岩壁に深い傷跡を刻んだが、標的には届くことなく霧散した。こんこん、と岩壁が裏側からノックされると、一転砂山のように頼りなく崩れ去る。砂塵舞う間合いを挟んで、二つの影と一つの影が相対した。
「どこかで、ネズミちゃんがコソコソしてると思ったら。随分と荒っぽい挨拶するものね。精一杯の強がりって感じで、なんかいじらしいわあ」
艶やかな黒の毛並みと、妖しくねじ曲がった角。その頭は、どこからどう見ても獣のそれ。しかしその口からは、低くまとわりつくような声が漏れる。これが魔人「ゴズ」。身長は2メートルほどだが、縦と横の幅が変わらないほど、筋肉で膨らんだ体躯だ。放たれる威圧感は、今まで戦ったどんな魔獣も比べ物にならない。
「驚いた。社会性はネズミ以下に思っていた魔族も、挨拶という文化は知っているんだな」
「この程度、入室前のノック程度に思っていましたが。洞窟の奥で引きこもる貴方には、少々刺激が強すぎましたかね」
コテツも負けじとゴズを煽り返し、チハヤもそれに続いた。目線で互いに合図を送ると、自らの刀に手をかける。2人の命とプライドを懸けた戦いが、今火蓋を切った。