第10話 雪辱・迷宮・パートナー(5)
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「……千手ムカデだ。胴節の1つ1つに中枢神経があるから、頭を切っても動き続ける。相当しぶとい魔獣だぞ」
「それでは、頭も胴もわからなくなるくらい、細切れにしてしまえば事足りますね」
「……そう、だな」
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「あれは……ゴーレムでしょうか。少し、姿形が奇妙ですが」
「たぶん、キメラゴーレムだ。色々な魔獣を土の体に吸収したゴーレム。取り込んだ魔獣の力も使えるから、何をしてくるか予想しづらい」
「あまり近寄りたくない相手ですね。距離を保ったまま戦いますか」
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「……今度は、ブラッドスライムの群れですね。色々な生物の血が混じっていて、かすり傷でも拒否反応を引き起こし致命傷になるケースもある、と聞きます」
「ここは俺が前に出るよ。冷気で動きを鈍らせれば、無理に戦う必要もない」
「……わかりました。ここは、お任せします」
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さまざまな魔獣との戦闘を経て、洞窟のかなり深い地点まで辿り着いた2人。コテツはチハヤの戦いぶりを目の当たりにし続け、その技量に改めて感服していた。力強い剣捌きと、それでも損なわれない軽やかな身のこなし。
(……それを実現しているのは、『重心のコントロール』)
チハヤは純粋な筋力だけでなく、自分の重心や刀自体の重み、慣性をうまく利用して、大剣を自由自在に振るっている。そんな彼女なら、一回り、いや二回り大きいハザマ刀でも、軽々と使いこなすのではないか。そして、その刀に刻まれる魔術が、緋火竜との戦闘に特化したものであれば。倒れ伏す緋火竜と、仁王立ちするチハヤの姿が、コテツの脳裏に浮かぶ。
(……でも、果たして本当にそれでいいのだろうか)
またコテツが考え込み始めたところで、チハヤから珍しくコテツに話しかけてきた。付近に魔獣の気配がないからか。ここまでの働きで、多少は信頼していいと思われたのか。
「……それにしても、驚きました。まさか、貴方がここまで戦えるとは」
「誰かにお使いを頼めるほど、余裕ある鍛治師じゃないもんで。素材の収集はいつも自前だから、それなりに戦いには慣れてるんだ」
「純粋な剣技や、身体能力が秀でているわけではありません。……ただ、相手の特徴を見抜き、適切な動きをするのは抜群に上手い。王国剣士団でも、同じレベルでできる者はそういないかもしれません」
「……それは、過大評価だと思うが」
ただ、確かにハザマ刀の鍛治師にとって、魔族はいわば研究対象。その分析力にかけては、並の剣士よりもあるのかもしれない。どの魔族のどの部位を素材にすれば、イメージ通りの刃を造れるのか。どんな魔術を刻めば、剣士の力を引き出す一振りが完成するのか。魔族への造詣の深さは、ハザマ刀鍛治師の力量に比例する。コテツの魔族に対する知識は、師匠から叩き込まれた教え以上に、自らの仇に向けた憎悪と執念に由来しているのかものかもしれない。
ただチハヤは、まるでコテツの視線を遮るように、刀を自分の体の前に立てながら話を続ける。
「……それだけでは、なく。貴方の観察眼は、私にも。共に戦う剣士にも、向けられている」
「……え?」
「断風の特性に合わせて戦っているというだけなら、まだ納得できます。しかし貴方は、私自身の動きや思考も読んだうえで、戦いやすいよう立ち回ろうとしていますよね?それも、そう簡単にできることではないと思います」
コテツは、2つの意味で動揺した。1つは、チハヤの戦いぶりに熱視線を注いでいたのがバレていたから。もう1つは、共に戦う剣士の動きや思考を読むのは、ほぼ無意識でやっていたこと。わざわざチハヤに取り沙汰されるほど、特筆すべきものとは思わなかったからだ。それは、自由気ままに戦う師匠クロガネを何とかサポートすべく、必死に食らいつく中で身についた能力。
「その観察力と想像力は、鍛治師の武器になるのかもしれませんね。……共に戦う身としては、気味が悪くて仕方がありませんが」
チハヤの言葉に、一瞬コテツはクロガネに感謝しかけた。しかし、チハヤが最終「気味が悪い」という結論に達したことで、言その気持ちも吹っ飛んだ。「どうせ師匠は、自分の好き勝手戦いたかっただけだろう」とコテツは思い直す。
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「……ところで、目当ての素材はまだ見つからないのですか?。空気の流れから察するに、最深部も近いように思うのですが」
「……ああ。ええと、それは」
チハヤからの当然の疑問に、コテツは答えに窮した。チハヤの戦いぶりを実際に確かめたい、というコテツの本当の目的は、すでに達成されている。しかし本当の目的を隠していたぶん、引き返すタイミングを逸してしまっていた。
(でもいい加減、最深部のどこかにある『ヤツ』のテリトリーに入る前に、撤退しなければ)
しかし進めば進むほど、洞窟の構造が以前のコテツの記憶と異なっている気がする。かなり深い地点であることに間違いはないはずだが。突然周囲をキョロキョロし始めたコテツに、怪しげな視線を向けるチハヤ。ただしばらくして、急にチハヤは目を見開いた。チハヤの今までにない緊張感に、コテツもまさか、と背筋に冷たいものが走る。
「……ここから50メートルほど先に、開けた大広間のような場所があります。おそらく、この洞窟の突き当たり。そこに、かなり強い魔力の反応があります。ここまで出会った魔獣たちとは、比べ物にならないほど」
チハヤの額から、一筋の汗が流れた。冷静沈着なチハヤに、そこまでの反応をさせる相手。間違いない、とコテツは絞り出すように呟く。
「……おそらく、そいつは『ゴズ』だ」
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「……ゴズ。魔族の名でしょうか。私は聞いたことがありませんが」
「半年前にこの洞窟を訪れた時、最深部の一歩手前で見かけた魔族。元々の洞窟の主を倒し、そう勝ち名乗りを挙げていた。首から上が牛、首から下が人間に似た体。十中八九『魔人』だろう」
魔人。魔族の中でも、人間に近い性質を持つ存在をそう呼ぶ。魔族の中でも、最も危険視される存在だ。魔獣をはるかに凌ぐ魔術の練度と、それを実現する優れた知能。そして何より恐ろしいのは、その力を命を弄ぶために嬉々として使う悪意、あるいは無邪気さにある。
半年前、この洞窟で偶然『ゴズ』を見かけたとき。コテツは強さ以上に、本能的な恐怖と異物感を覚え、気取られる前に一目散に逃げ帰った。コテツが魔人に遭遇したのは、故郷を失ったあの日を含め、あれが5度目。その度にコテツは、魔人に対し憎悪や嫌悪を超えた、言語化できない拒否反応を覚えていた。チハヤも魔人と聞き、明らかに目の色が変わる。
「剣士団は、この洞窟に魔人がいるなど知らないはず。……ここは濃い魔素で満ちていますし、すぐに手のつけられない脅威に成長するかもしれない」
「……それは、確かに。半年前見かけたときも、確かに危険な相手だと感じた。けど、チハヤさんがそこまで警戒するほどではなかったと、思う。すでに、とてつもない怪物になっているのかも。……1度引き返して、王国に報告を……」
「いえ。今、ここで討伐します」
揺るがぬ瞳で、チハヤは即答した。おいおい、とコテツは心の中で焦り始める。
「……チハヤさんの実力を疑っているわけじゃないし、王国剣士団に諫言できる立場でもないけれど。魔人は、危険だ。強いだけじゃない。何を考え、何を仕掛けてくるかわからない恐ろしさがある」
「……知っています。私も今までに何度か、魔人の討伐任務に加わったことがありますから。どれも凄まじい戦いにな、死人も多く出た」
「なら!今のチハヤさんは万全ではないし、緋火竜との戦いも控えている。本来の目的を思い出して、ここは退こう――」
「それを言うのであれば。やはり私は戦うべきでしょう」
覚悟のこもった声音に、コテツははっとした。初めて出会ったあの日に告げられた、彼女の戦う理由を、あの力強い言葉を、思い出す。
「私は、誰かの大切を護りたい。だから、戦う。緋火竜の討伐も、それ自体が目的なのではなく、手段でしかありません」
「……だから魔人と戦うのも、あなたの目的からすれば避けられない。……って、ことか」
「はい。ここで引き返したところで、今の王剣団の状況を考えれば、正式な討伐任務がいつ下るかわかりません。その間に、新たな犠牲者が出るかもしれない。今倒さなければ危険だと、私の勘が言っています」
チハヤの勘は、おそらく当たる。コテツはそう思った。最深部近くには、魔獣の気配はほとんどない。ヴィノウに恐れをなした魔獣が、そのテリトリーから出来るだけ離れようとしているのだろう。浅い地点の割に強力な魔獣に遭遇したのは、偶然ではなかった。既に、この洞窟の生態系は壊れ始めていた。洞窟の外へ魔獣が押し出され、二次被害を生む可能性も大いにありえる。
「……貴方は、ここで地上に戻ってください。貴方も理解しているでしょうが、魔人との戦いは今までとは比べ物にならないほど危険です。さすがに貴方を守り切れる確信も、ない」
静かに響く声で、チハヤは言った。重たい空気が場を支配し、コテツは無意識に息苦しさを感じる。しかし、大剣と死の重圧も背負ってなお、チハヤの背筋はしゃんと伸びていた。これが、命懸けの戦いに臨む剣士の覚悟か。コテツはそう思った。
「これは、今回の依頼とは関係ない。私の信念の問題です。……1人で引き返してもらうのは申し訳ないですが、貴方の力なら――」
「それは、お断りだ。……俺も、戦うよ」
「……え」
この場所にチハヤを連れてきたのは、他の誰でもないコテツ自身。それに加えて、客の大切な信条を忘れて無神経な言葉を口にしたあげく、1人安全に逃げ帰ろうだなんて、師匠にバレたら殺されるだろう。何よりコテツは、チハヤの信念に心打たれ、力になりたいと思いこの仕事を引き受けたのだ。別の形であれ、その信念に貢献できる機会があるなら、願ったり叶ったりだ。
「足を引っ張らない、なんて弱気は言わない。必ず役に立つから、俺も戦わせてくれ。……これも、俺の信念の問題だから」
チハヤは驚き、一瞬何か言いかける。しかし口をつぐみ、小さく頷いた。説得の言葉は浮かんだけれど、それ以上のコテツの覚悟に水を差したくない、と思ったのだろう。形は違えど、自らの生き方に信念を持つ者同士として。コテツとチハヤの間には、奇妙な連帯が生まれつつあった。