境目の城
松尾山は、今の岐阜県不破郡関ケ原町にある標高292mの山。ここは美濃と近江の境目に位置していため南北朝時代に城が築かれ、戦国時代。織田信長と浅井長政が相争った場所。その後、織田信長の近江平定に伴い用途を失った事。加えて城主であった不破光治が越前に移封となった際、廃城。
島左近「殿が徳川家康とのいくさを想定し、大垣城主伊藤盛正様に修築。更には拡張を指示された山であります。彼の地に殿は……。」
毛利輝元様を招き入れようとのお考えであります。
石田三成「しかしそれは実現していない?」
島左近「淀様が難色を示されています故。もしここに我らの統制下から離れた小早川秀秋様が入られ。更に徳川方になってしまった場合、我々は……。」
大坂との連絡を断たれるばかりでなく、赤坂に居る徳川方と挟み撃ちされる恐れが出て来ます。
島左近「尤も南宮山の毛利様は我が方にあります故、秀秋様がここ大垣に攻め寄せる恐れは低いかも知れません。しかしもし徳川方が大垣城を攻め寄せて来た場合……。」
小早川秀秋の動向が気になり、南宮山の毛利勢が動けなくなる恐れがあります。
島左近「そしてこの大垣城は……。」
我らが決戦の舞台として想定した城ではありません。
島左近「殿は当初、尾張と三河の境目で徳川と相対す予定でありました。それが崩れた際、次善の策としたのが岐阜城。ここ大垣城は前線との繋ぎであり、北陸や丹後。伊勢、近江に展開する部隊との連絡や調整の役目を想定していました。しかしその目論見は崩れ、今ここ大垣が最前線となってしまっています。」
石田三成「家康とのいくさには向いていない?」
島左近「はい。大垣城には大きな欠陥があります。それは……。」
大垣城一帯は数多の川が入り組んだ輪中地帯。江戸時代、当地で発生した水害は23回。内、数千規模の家々が損壊した水害が4度。明治時代に入っても水害は続き、明治45年の間で16度もの浸水被害が発生。その中でも明治29年(西暦1896年)の大洪水では、大垣城の天守閣の石垣が水に浸かる有様。
島左近「もし家康が水攻めを仕掛けたら……。」
石田三成「城は機能しなくなる?」
島左近「いえ。そこまでしなくても良いと見ている可能性はあります。要はここ大垣から外へ出る事が出来なくしなければ良いだけでありますので。後は……。」
大垣城救援にやって来る部隊を各個撃破しさえすれば良いだけであります。
石田三成「……。」
島左近「この状況になった時、我が方となっている方々がどのような行動を起こすのか?」
石田三成「我らを裏切るのか?」
島左近「今、殿は『裏切る』と仰いましたね?」