渡辺一家
生活保護を受けていた渡辺一家。横浜市に住んでいたが国からの通告で相模原市に引っ越しとなった。持ち物は必要最低限。数日間の着替えと調理器具。そして大事な物数点だけと通知書にかかれていた。その他のものは国への返還。お金や他財産は国へ返還という形でなされなければ、今後の生活保護への支給はなく、自分達でどうにかしなければいけなくなるのだ。
生活保護受給者達は数日間考える猶予を与えられた。現在住んでいるところに住み続ける代わりに生活保護の受給が受けられなくなり、自分達で仕事をして生活するか。又は相模原市に引っ越しし、国からの補償を受けながら生活するか。渡辺一家には相模原市に引っ越しする選択しか出来なかった。大黒柱である渡辺篤弘は仕事をしていたが、毎月の給料が手取り26万円。それでは到底消費税が30%まで上がってしまった今、妻の真紀と子供2人を育てるには給料だけでは足りなかった。妻にも共働きしてもらっていたが、月10万程度。子供達は小学生と幼稚園。授業料が無料になるも、それだけでは私達家族は食べていくだけでも難しい状態だった。
そう。子供達が生まれる前は消費税15%だった。15%ならまだ2人の収入でやっていける自信があった。だが、子供達が生まれてすぐどんどんと消費税が上がっていき、生活するだけなのに首を絞める羽目になっていた。そして生活保護を選択するしかなくなった。
渡辺一家は相模原市への移住を決意する他なかった。
近くに住んでいた小林さん。小林さんとは子供が同い年で生まれ仲良くしていた。小林さんも渡辺一家と同様、子供が生まれたことにより生活苦になり、去年生活保護を受給し始めたばかりだった。
小林さんは移住することを拒否。生活保護を抜けやりくりするという話だった。
「渡辺さん、お世話になりました。」
渡辺一家が相模原市への移住の前日、小林一家が渡辺家へ訪ねてきた。
「お互いこれから大変かと思いますががんばりましょう」
篤弘は小林一家に挨拶をし、少し会話をしたあと部屋へ戻った。