8.加速する不安と恐怖
行きつけのバーで、サイラスの事をハルに相談する事にした。
友達に相談しても、惚気みたいになっちゃいそうで嫌だし……じゃあ幼馴染の彼ならと思って。
大通りから少し引っ込んだところにひっそりとあるバー。
この辺りの貴族御用達の隠れ家的な名店だ。
黄みがかったほの暗い照明にアンティークな家具に囲まれた店内は、疲れた心をふんわりと温めてくれる。
遊んでばかりの貴族生活、もちろん私も毎日遊んでいる。
それなのになぜ疲れるのか、と言うと……その『遊び』はある意味、仕事でもあるから。
常に色々と会話のネタの引き出しを増やしておかなくてはいけなくて。
ただの世間話以外にも、きちんと実のある話もできないと……この貴族社会では致命傷。
不信感どころか、駄目な奴と思われて関係が切られてしまう事だってある。
実は何も考えずにぼーっと遊んでいる訳じゃないのだ……と言いつつ、割と本気で遊んじゃってるところもあるけど。反省反省。
と、話が逸れたけど……
ともかく、喧騒から少し離れて落ち着けるこのバーは、『遊び』に忙しい貴族達の癒しとなっていたのだった。
しかしそんな静かな場に、今日はひときわ大きな声が響いていた。
「いつ話しかけても上の空で!私の事なんてもう、興味なくなっちゃったんじゃないかって……!」
「しーっ。アンナ、声大きい……」
「うるさい!」
「皆見てるんだよぉ……頼むから、頼むからほんとに……お、落ち着いて……」
「こんなのもう、どうしたらいいっていうのよ!やだよ、別れるなんて!」
「アンナ……」
「無理だから!絶対別れないんだから!」
お酒も少しは入っていた。
でも、軽く飲んだだけでそんなに酔ってはいない。
だから、そんなつもりは全然なかったのに……自然と声が大きくなってしまっていて。
静かな室内で、結構な騒音だった。
他にもお客さんは何人かいたけど……気まずくなったのか、皆こそこそと帰ってしまった。
本来の私ならそこですぐさま謝って、すぐに大人しくなるはずだったけど……今の私はもはや私じゃなくなっていた。
もはや正気じゃなかった。
でも、それだけ必死だった。
大切な彼、サイラスを……どうしても失いたくなかった。
頭の中はただそれだけでいっぱいだった。
「まさか、私の事は遊びだったとか?!いや、ない!彼に限って、そんな事絶対ないから!」
ふと、視界の端に誰かが歩いてくるのが見えた。
スタスタとカウンターの脇を歩いていって、何の迷いもなくストンと椅子に座る。
なんとなく気になってそっちを向くと、来たのはどうやら男性のようだ。
それもなかなかのイケメン。
急に冷静さが戻ってきて恥ずかしくなり、暴走しっぱなしだった私の口は、ここでようやく止まった。
しかし、とことんマイペースな目の前の男はそのままの調子で話を続ける。
「う〜ん……なんだろ。なんていうか、今のままじゃ良くない気がして」
彼の独特なのんびりした口調が、大人しくなったはずの私の脳をまた沸騰させてくる。
煽っているつもりは全然ないんだろうし分かってはいるんどけど、今の私にはそう聞こえてしまって。
「『良くない』って?!じゃあどうしろって言うのよ!」
「そ、それは……」
「何よ、どうせ別れろとかそういうのでしょ!でもそれが嫌だから、こうやってわざわざ相談してるんじゃない!」
「……」
「まぁ何言ったって、あなたにはどうせ分からないでしょうね!私の気持ちなんて!」
「いいや、分かる。分かってるさ、君のつらい気持ち。昔からの仲だからこそ、君の事は誰よりもよく理解してる。でも……」
「でも?」
「このままだと、いずれ君がおかしくなってしまうような気がするんだ。我慢する事も、もちろん大事だけど……自分の事、もっと大切にした方がいいと思う……」
彼の言ってることは正しい。
けど、不正解だ。
このまま現状維持、我慢が最良の選択。
だって……自分の事を大事に、なんて言ったら……
私の気持ちを伝えてしまったら……
きっとサイラスは応えてくれない。
曖昧な笑みを浮かべて、ふわふわと逃げていくだけ……
(答えなんて分かりきってるのに。何で私、わざわざ相談してるんだろう……)
「ふん、それでどうしろって言うのよ?」
「えっ、いや……だから無理はしないでねって。君がつらいのはよく分かったから……」
「はっ、なによ!恋人いた事ないくせにさ、何が分かるって?!」
「なっ?!なんだよ、そんな言い方……!」
わざとらしく大きく鼻で笑う私に、流石のハルも笑顔ではいられなくなったようだった。
「あなた、彼女いない歴イコール年齢じゃない!」
「人がせっかく心配してるっていうのに!なんだよその態度!」
こうして喧嘩するのは、実は初めてだったりする。
昔は私が一方的に捲し立てて、ハルはいつもただ黙って泣いてるだけだったから。
けど、今じゃ互角の戦いだった。