7.我慢するしかない
「……私の事、どう思ってるの?」
ようやく出た言葉。
無駄な質問なのは分かっていた。
でも、分かっていながらも質問せずにはいられなかった。
「えっ、どうって……」
「……」
ピタッと静かになった私にサイラスは困った顔をしながら、おもむろに私の顎をくいっと引くと唇を落とす。
これも分かりきっていた反応だった。
予想通りの展開だった。
でも。
「ん……っ」
私の唇は甘い痺れを感じていた。
頭ではそう思っておきながら、体は喜びを感じているのだった。
「サイ、ラス……」
「愛してるよ、アンナ」
「……!」
何度言われても慣れないその言葉。
鼓動は忙しなく響き、体の底から好きという気持ちが湧き上がってくる。
トロトロに溶かされてぼんやりし始めた頭を、なんとか奮い立たせて。
『私も』と言おうと、口を開くと……
彼の視線はまた窓の外に向いていた。
(……)
今日は朝からずっと雨。
外は薄暗く、細かい霧雨でもやもやしている。
いつもなら庭を飛び回っているような鳥や蝶も今日はおらず……窓の外には何もなかった。
(何度聞いても無駄。そんなの、分かってる)
「……愛してる?」
「愛してる」
聞けば振り向いてくれる。
でも、会話が終わればまた……
「ねぇ、愛してる?」
「愛してるよ」
(……)
「愛してる?」
「愛してるよ」
愛してる?と聞けば必ず、愛してるよが返ってくる。
いつもの笑顔と共に。
「愛してる?」
「どうしたの、アンナちゃん」
「何が?いつも通りよ、私」
「そう?」
「……」
「……なら、いいけど」
「ねぇ、」
「うん?」
「愛してる?」
彼はわずかに眉を顰めた。
器用にも、目元や口元の笑顔の形を保ちながら。
初めて見る顔だ。苦笑いとも違う。
明らかに億劫そうなその表情。
面倒事に遭遇してしまい、そしてその対処に困っているような……そんな、どこか他人事の顔。
血の気がさあっと引いていくのを感じた。
見てはいけないものを見てしまった気がして。
「……」
「……」
なんとなく手持ち無沙汰になった両手を重ねて膝に乗せると、指先が氷のようにひんやりとしていた。
「……あっ。アンナちゃん、もしかして……具合悪い?」
この流れは、月に一度のアレのせいだと思ったらしいけど。
「ううん、一昨日終わったばっかりだから……」
「そうなんだ。じゃあ、僕の気のせいかな」
(気のせいなんかじゃ、ないよ……)
愛を確かめ合う、そんな恋人同士のよくある会話のはずなのに。
どうしてこんなに心が落ち着かないんだろう。
どうして私は今泣きそうになってるんだろう。
(なんだろう、この感じ)
「サイラス……ごめんなさい、今日はそろそろ帰るね」
「あれ?やっぱりどこか具合悪いのかい?」
「いや……ちょっとこの後、家の用事があって」
「そっか」
そう言うなり彼は立ち上がり、窓の外を覗き込んだ。
「う〜ん、まだ雨止んでないみたいだ……傘持ってきてたっけ?」
「ええ、大丈夫」
「気をつけて帰ってね」
ゆるい笑顔でふにゃっと笑いながら、手を振る彼。
卑怯だ。このタイミングで私の好きなあの顔。
(やめてよ。そんなことされたら、引き返したくなっちゃうじゃない……)
それでも心を鬼にして、無理矢理ドアノブを掴み外へ向かう。
私が部屋から一歩外へ出た瞬間、後ろでボスン!と音がした。
思いっきり座った時の、ソファが重みで潰れる音。
(……)
思わず反射的に振り向きそうになった。
けど、気合いでぐっと顔を前に。
(引き止めて、くれないんだ……)
じわりと目の端に染み出してくる水を乱暴に指で拭うと、彼に背中を向けて部屋を出た。
気づくと家に帰ってきていた。
まるで魂が抜けてしまったようで、全然記憶がない。
感覚的には、サイラスの屋敷からいきなりワープしてきたかのような気分だった。
その間、私の脳内はずっと……さっきまでの一連の流れを狂ったように何度も何度も再生していて。
頭はもはや思考を止め、同じ映像を再生するだけの機械と化してしまっていた。
(……)
涙は出ないけど、鼻の奥が嫌な感じにツーンとしている。
どれも同じくらいの声量のはずなのに。
一部の言葉だけが、やけに大きく頭に響く。
『愛してる』
『愛しているよ』
『どうしたの、アンナちゃん』
『気をつけて帰ってね』
思い出せば思い出すほど、冷たく聞こえるサイラスの声。
(どうしたの、なんて……それはサイラスの方よ。彼の方こそなんだか急に変わってしまった……)
表情こそ寂しげだったけど、彼の口から出た音はなんだかひどくさっぱりしていて。
まさか。
(まさか……嫌いになった、とかじゃないよね?)
そんなまさか。
彼が嫌がるような事なんて、今まで一度もしたことが無いし。
喧嘩だってした事ない。
そもそもそうならないように、常に最大限気を使って動いてるんだから。
(だから、嫌われる訳がない。だけど……)
なんだか二人の間に見えない壁というか、距離を感じる。
お互い隣にいるのに、とてつもなく離れたところにいるかのような……そんな感覚。
すぐそばにいるはずなのに、なんだかひどく遠くに感じて。
そう思うと、彼が私を見つめる視線もなんだか冷たい氷のように感じられてきて……
これって、もしかして。
(いや。いやだよ……そんな、いやだ……)
そんなの嫌だ。絶対いやだ。
無理。彼がいない世界なんて……
だから……
(我慢するしか、ない)