3.情熱色の真っ赤なワイン
歩いてる時間はそう何分もなかったはずだけど、今の私にとってはとても長くて充実した時間だった。
幸せをじっくり噛み締められる、大事な時間だった。
そうこうしてる間に辿り着いたのは、最近オープンしたばかりの窯焼きピザのレストラン。
この国の王室シェフだった人が退職し、個人として開いたお店だ。
美味しいとすごく評判だけど、ピザはあくまで庶民食の扱い……貴族の私達は堂々と行けなくて。
だから、奥の個室一つ貸し切ってこっそりお忍びで食べようという約束だった。
中でも一押しは、トロッと溶けた分厚いチーズの層の上にバジルが数枚乗っただけのマルゲリータピザ。
熱々のそれをハフハフ言いながら頬張る。
彼の前だし、ここは小さな口でお上品に……とか思っていた数秒前の私はチーズのいい香りのおかげで完全に吹っ飛んでしまった。
シンプルイズベストを体現するような、洗練された美味しさが口の中に広がっていく。
「……!んま……!」
「アンナちゃんは本当に美味しそうに食べるね」
「ふぉんらこと、らいれす!(そんな事ないです!)」
「ふふっ。焦るのは分かるけど、火傷しないようにね」
穏やかに笑う彼を見ながら、美味しいご飯にワイン。
ピザを一口齧るたび、幸せそのものを頬張っているような気分。
(……あれ?)
ふとここで彼の取り皿を見ると、まだ口をつけていない状態で最初の一切れが乗っているのに気づいた。
「あれ?もしかして、お口に合わなかったですか?」
「いやいや、美味しいよ。でもワインばっかり飲んでたら、なんだかお腹いっぱいになってきちゃってね」
「あはは、分かります〜。ここのワイン、あっさりしてて飲みやすいですもんね」
「そうそう」
ついつい一気に飲んじゃったよ〜と空になったグラスが目の前に差し出された、その瞬間。
(……っ!)
グラスに添えられた長くて骨張った指に、思わず胸が高鳴る。
指フェチというつもりは全然なかったけど、お酒が入ってるせいかなんだか今日はやけに艶かしく見えて……なんだかドキドキしてしまう。
「ん〜?どうしたの?」
挙動不審な私を心配する彼。
でもなぜか、その口元には妖しげな笑みが浮かんでいて。
(あれ?笑ってる……?もしかして、今ドキドキしてるのバレてる?)
まさかほんとに気づかれてるっぽい?
えっ、そんなの……恥ずかしすぎる。
(落ち着け、落ち着け私。赤くなるな……赤くなるな……赤くなるな……)
赤面を抑えようとすればするほどより一層熱くなっていき、もはやなんとも誤魔化せないほどになってしまった。
彼はというと、さっきと変わらず妖しい微笑みをこちらに向けたまま。
「え、えっと……ええっと、その……私、酔うとすぐ赤くなっちゃうタイプでして……」
「ふぅん、そうなんだ。可愛いね」
なんとか言い訳で切り抜けようとしたら、止めの甘い一言。
一刻も早く顔の熱を覚ましたかったのに、完全にタイミングを失ってしまった。
(か、かか、可愛いって……!私の事、可愛いって……!)
思わず黙り込む。
顔はこれ以上ないってくらいの真っ赤っ赤。
(可愛い……わた、私が、可愛いって……)
こうしてあたふたしてる間、彼は静かに私の次の言葉を待っていた。
急に押し黙ってしまった私に何か尋ねたり咎めたりする事もなく。
沈黙が流れる中、彼の指はグラスの上をするすると滑り続ける。
滑らかな曲線をなぞったり、指で囲むようにさすったり、軽くつついたり……
なんとも言えない手つきで、ガラスの表面を行ったり来たり。
ずっと見ていたら、なんだか変な気分になってきた。
顔だけでなく体全体がじんわりと熱を持ち、火照ってきていて。
「ねぇ、どうしたの?」
声と共に、彼の強い視線が一瞬で私を捉える。
「……っ!」
思わず目を逸らそうとすると、すかさず追いかけてきて。
どこか熱っぽく潤んだ彼の瞳が、しっかりと私を捉えて離さない。
(……っ!)
あっという間に沸騰していく全身。
体の奥の方から、なんとも形容しがたい刺激が込み上げて来る。
じわじわととてもゆっくりの、蕩けるような甘い痺れ。
(駄目、なんか変な気分……飲み過ぎかな。でも、彼の前だし……変な事できないし……一旦どこかで休憩しないと。私、なんか変になっちゃってる……)
「あの!す、すみません!ちょっと、お手洗いに……!」
そう言い、私は慌ててトイレに向かった。