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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode32.1 願い


 澄んだ爽やかな芳香が体中を包んでいた。これは、生と死の狭間で咲くといわれるイチイバナの香りだ。その香りを確かめるようにゆっくりと深呼吸をする。息を吐き出してからそっと目を開けた。


「……イチイバナ」


 一面、青色の花畑。

 真っ青で儚い花弁を綻ばせ、見事にイチイバナが咲き誇っていた。


『ルディハラ』


 誰かが、ソルティアの真名を呼んだ。ゼオセァルヴィしか呼ぶことのない名にも関わらず、いったい誰が呼ぶのか、ソルティアはなんとなくわかった。だから驚くこともなく声のする方へ視線を向ける。


「貴女が……リーン?」


 神々しく輝く美しい金髪の女性。閉じられていた瞳は開かれているはず。それなのにどんな色なのか、どんな表情をしているのかさえもぼやけて見ることができない。


『ルディハラ、あなたの瞳に映る私はあなたが創り出した想像にすぎない』


 まるで心を見透かしているような言葉に、ソルティアは思わず目を見開いた。それと同時に納得する。彼女はやはり世界樹と同化しているのだと。ゼオセァルヴィが大切にするあの空っぽな体に閉じ込められてなどいないのだと。


「貴女もゼオが切望するように、世界樹から離れることを望んでいますか」


 どんな答えであろうとソルティアがこれからやることは変わらない。だが、ゼオセァルヴィという一人の魔法使いをあれほどまでに執着させる女性はどんな言葉を紡ぐのか、聞いてみたいと思った。


『ふふっ』


 すると、彼女は笑った。ソルティアからリーンの表情はもちろんわからない。だが、そんな雰囲気が伝わってきたのだ。


『私が後悔していることはね、ただ一つ。ゼオを独りにしてしまったこと。私の独りよがりな考えが彼の想いを呪いに変え果ててしまったの』

「呪い?」

『そう。そして今また同じことが繰り返されようとしている。あなたの選択で、誰かの想いが呪いに変わるかもしれない。そこに悪はない。誰も悪くはないから、悲劇なの』

「……」

『だからね、ルディハラ。あなたが思っているほどこの世界は残酷ではないよ』

「私が生まれた理由は貴女なのに、その貴女にそんなことを言われても、どうしようもないじゃないですか……」


 なぜか零れ落ちそうな涙を堪える。引き返すことなどもうできないほど突き進んでしまったのに、今さら優しい言葉をかけられても手遅れだ。ソルティア自身、これまでの選択に後悔はない。だが、リーンが言ったことと同じように、心残りはある。それをきっとリーンは見透かしている。 


『あなたの生まれた理由がそうじゃなかったらいいの?』

「はい?」


 唐突な問いかけにソルティアは素で聞き返した。するとリーンはゆっくりと両手を自分のお腹あたりに持っていく。大切な何かを守るような仕草だった。


『この子の名前は、幸福を表す“ルダン”、尊い(えにし)という意味を持つ“テアラ”、この二つの言葉をつけようと約束していたの』

「……は?」

『この腕に抱く日はこなかったけれど、やっと会えた』

「いったい何の……話、ですか」

『かつて私はゼオと同胞を探すために世界各地を回ったわ。様々な仲間たちを見た。でも、ゼオの持つこんじきはたったの一人も出会わなかったの』

「やめて、ください」


 ソルティアの声は僅かに震えていた。聞いてはいけない話のような気がして、耳を塞いでしまいたい。それなのに、体がぴくりとも動かないのだ。ソルティアの気持ちなどお構いないしにリーンの言葉は続く。


『ね、これ以上の説明はいる? 口数が少なくてさっぱりとした性格だから誤解されやすい人だけど、なんとも思っていない存在に“ルディハラ”なんて名付けない。幸せだったあの頃の記憶が詰まった名前を、ただの道具につけるような人ではないの』


 自分の意志に関係なく零れ落ちる涙を止めようと、空を仰いだ。ガンガンと頭の中で何かが鳴り響いている。とても煩わしく、とても鬱陶しい。やはり、聞くべきではなかった。


『永い時を経て生まれてきてくれてありがとう、ゼオの傍にいてくれてありがとう、愛おしいルディハラ。あなたとゼオのこんじきはこの世の何よりも尊く、美しい』

「っ…………なおさら、聞きたくなかった」


 震える声で呟いたソルティアの言葉は、イチイバナが咲き誇るこの空間にゆっくりと広がっていった。今さらすぎる。あまりに今更過ぎる言葉に、ソルティアの体の力は抜けていく。


『ごめんね。そしてお願い。私の代わりに病んでしまったあの人を止めて。今度こそあの人を独りにしないために、永く続いてしまった呪いを断ち切るために』

「貴女が世界樹から離れることが叶わなくなっても?」

『――……』


 リーンからの返答はなかった。だが、優しく笑ったことだけはなぜかソルティアには、はっきりと伝わった。


「私は、何をすればいいんですか」


 言った直後、イチイバナの芳香が強まった。澄んだ爽やかな香りの奥底に、胸を焦がす郷愁が感じられる。求めてはいけないと、手を伸ばしてはいけないと、目をそらし続けていた光景が走馬灯のように目の前を過ぎ去っていく。


「っこれ、は……!」

『自分だけの未来を思い描きなさい、ルディハラ。そして願うの。――――と』

「ぁ、待っ――……!!」


 彼女の言葉を最後に、イチイバナの花びらが全てを覆い尽くし意識が引きずり込まれていった。







 鼻をつくのは血生臭い香り。それが自分の血の香りだと気づくのに、時間はそうかからなかった。瞳を閉じたままでも確かに感じるのは、人々の恐怖と絶望。そして圧倒的な怒り。


「……ゼオ」


 たった一人から放たれる強烈な感情が、まるで自分のもののように感じ取れた。それら全てを受け止めるように、ソルティアはゆっくりと瞼を動かして世界をその瞳に映す。


「終わりにしましょう」


 見つめた先のゼオセァルヴィは信じられないという表情で固まっていた。少年のようでいて、成熟した精悍な造形は醜く歪み、美しく生命力溢れた紅い炎は全てを呑み込む憎悪の炎へと変質している。そんな彼の姿を見ても、ソルティアにもう怒りは湧いてこなかった。


 刹那、彼の背後にアリサーが現れた。

 ミルフィス直系を証明する漆黒の剣を振りかぶる。


「――邪魔だッ」

「うぐッ!?」


 だが、赤黒い炎が剣を伝いアリサーの腕を焼いた。すぐにその場を退いたアリサーは炎を振り払い、体勢を立て直すが遠目から見ても酷い火傷を負ったのがわかった。


「ゼオッ」


 その光景を見て、ソルティアはいまだ腹を貫くアヴァリスの枝を掴んだ。棘が突き刺さり手のひらを裂く。それでも、より強く握りしめ呟く。


「消えて」


 たったひと言。それだけで手に伝わる感触が一瞬で変化した。純白だった枝から水分がなくなり、灰色に変わる。そしてあっという間にボロボロと消え去った。そのままリーンの眠る繭から鼓動が消え、仄かな光も消え失せた。


「リーンッッッ!!!!!!!!」


 ゼオセァルヴィの方へ振り向いた瞬間、ソルティアの目の前には黒炎の龍が迫っていた。


「ッ!?」


 全力でこんじきの龍を形成して迎え撃つ。反応が少し遅れたために、衝撃をかわしきれず両腕を黒炎が焼いた。


「ッ!? …………はっ」


 が、すでに両腕に感覚はない。腕が焼かれているという視覚的な不快感に思わず声が漏れたが、すぐに自分の身体の状態を思い出し空笑いが漏れる。


「ルディハラッ! 一体何をしたッ!?」


 激昂するほどに、ゼオセァルヴィの魔法の威力が強まる。ぶつかり合う二人の魔法は夜空を残酷に照らしていた。第三の悪夢として後世に語り継がれることは必至だろう。


「私の願いはリーンの願い! リーンの願いは私の願いです! リーンは世界樹と共に在ることを望んでいるッ!!!!」


 ソルティアの瞳の輝きがより一層強まった。それに比例してこんじきの龍が黒炎の龍を喰い尽くす。


「くぁあああッ!!!!」


 金色の炎がゼオセァルヴィを包んだ。しかし、もがく様子を確認する間もなくソルティアの体にも変化が起きた。


「うッ……!」


 ボロボロになった簡素なワンピースからのぞく細く白い足に、わずかな亀裂が入っていた。地面のひび割れのようなそれを見たソルティアは舌打ちをする。腕だけでなく足の自由も効かなくなったのだ。体の限界は近い。


「まだっ……まだ、終われないッ」


 ふと視界に入った街の様子は、ひどく落ち着いていた。絶望しているわけでもなく、逃げ惑っているわけでもなく、住民たちはただ見上げている。最後の別れを済ませたかのように、大切な者同士は手を取り合い、抱き合っている。その光景が、ソルティアの思いをより確固たるものにしていく。


「犠牲じゃない……これは、犠牲なんかじゃないっ!!!」


 吠えるように叫んだ直後、ソルティアの背から蒼い炎が噴き出した。夜空に君臨する純白の世界樹に、蒼い光が反射して全てを染め上げていく。


「ッ……!」


 嫌な音が自身の足に走ったが、ソルティアはもう視線を変えない。手足を動かすことができなくとも、全て魔法でどうにかなる。


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