Episode31.2
無造作に両腕に抱えていた書類を机の上にばらまく。白い紙で乱雑な光景になった机をちらりと見て、イズリットは苦笑いをする。そして口を開く前に、シャシャがイズリットをまくし立てた。
「西の貴族の羽振りがどれだけ良いかわかってんでしょうねぇ!? はあ? それが何? 一体何をやったわけ? ヌビス家が怒り狂ってんだけど!! あそこと手を切られてそれを補えるだけの客が他にもいるんでしょうねぇ!? えぇっ!?!? ていうか、補えるだけじゃ駄目よ。気が収まんない! 倍よっ、倍! それが保証できないんだったらアタシ今度こそやめてやる! やめてやるんだからっっ!!!」
「「…………」」
助けを求めるようにローガンの顔を見たイズリットだったが、目を伏せたまま壁と同化している秘書からの助け舟はでなさそうだ。今まで饒舌に話していた爺さんはどこに行ったんだという気持ちを笑顔に乗せて、イズリットはシャシャへと向き直った。ただでさえ一刻を争うときなのに、ここで時間を無駄にはできない。エルタニアサスの資金面を全て任せて苦労させているシャシャには申し訳ないが。
「は、ははっ、今日も元気いっぱいで何よりだよ、シャシャ」
「あ?」
「ひとまずヌビス家のことは放っておいていいよ。西であの地位を確立させてあげたのはエルなんだから、今さら手のひらを返す勇気も度胸も結局のところ彼らにはないさ。現当主はまだ若くて長い目でこれからを見ることができていないだけ」
「現当主はもう60を超えてるから教皇の方が断然年下よ」
「エルの歴史の前では全て赤子と同じだよ」
「ああ、もうっ!! そんなのどうでもいいっ! 教皇が金食い虫の大修道院と何をやってるかも興味ないわっ! アタシはとにかく金儲けさえできればいいのよっ!!」
息の上がったシャシャからの鋭い視線に、イズリットは少し後ずさった。目の前の彼女から殺気が漏れているのは気のせいだろうかと若干の冷や汗が流れる。ソルティアをからかって怒らせたときとはまた違った危機感を抱いた。
「シャシャ、大丈夫。どっちに転んでも歴史を作っていくのは昔も今も変わらずエルタニアサスだ。目の前の取るに足らない出来事だけに目を向けていては大切な未来を失うよ」
「何言ってんのか理解できないんだけど」
「さっ! というわけで、わたしは大所蔵庫に大事な用があるんだ。これで失礼するよ~」
「あっ!? ちょ、待ちなさいっ! こら、ローガン爺どいて! 邪魔よっ!!」
「すみません、シャシャ殿」
軽やかに身を翻してシャシャの横を通り過ぎたイズリットは、軽く手を振って扉に向かった。それを追いかけようとしたシャシャは秘書のローガンの制止で行く手を阻まれる。大抵いつもこの構図になって終わるのだ。イズリットには強く出るシャシャだが、ローガンを蔑ろにすることは滅多にない。
「どうせ大所蔵庫に行くなら金になるもんの一つや二つ持ってこい――――!!!!!」
シャシャらしい叫びに、イズリットは笑いながら部屋をあとにした。
エルタニアサス本部は古城を土台に作られている巨大な建物だ。その見た目はもはや一つの要塞。表立って魔法との繋がりを公言していないため、多くの人間はただの研究所という認識しかない。それ故に、歴史情緒溢れる古き良き建物、それが初めて本部を目にした人間が抱く感想だ。
建物の中もあまり手を加えていないため造りはとても古い。かつて誰がどんな用途で使っていた城なのか分かっていないが、建築学上、説明のつかない部屋や造りがそこら中にある。しかしそれは普段生活する分には感じ得ない違和感だ。
その説明のつかない一つを目の前に、イズリットは首からさげていた指輪を取り出した。しんと静まり返った誰も通らない廊下。等間隔に明かりは灯っているのにどことなく薄暗い場所だ。そんな廊下でおもむろに石造りの壁に向く。古びたただの鉄塊のような指輪で壁をなぞった。
「いつぶりかな」
途端、壁を作る石たちが生き物のように動き出し左右に開かれていった。現れたのは何の変哲もない木造の扉。そこに取っ手はない。ぎぎぎ……という嫌な音を鳴らして、扉は自然と開かれる。
「何度見てもなんというか……鍵が指輪なんてとても陳腐だなぁ」
ぽつりと独り言ちたイズリットはゆっくりと扉の向こうへと足を踏み入れた。
目に飛び込んでくるのは、様々なモノが無造作に置かれた木製の棚。どこかもかしこも棚、棚、棚。天井まで伸びる棚は部屋中に並んでいると思われる。というのも、エルタニアサス大所蔵庫は特殊な魔法によって成り立つ空間のため、終わりがない。所蔵されているモノも、本から宝石、危険な魔具と様々だ。古の魔法使いゼオセァルヴィが作り出したものでもないため、本当に始まりの分からない遺物。所蔵されているもの全てを把握している人間も、もちろんいない。
「さてと、探すかぁ」
途方もない空間で、イズリットは自分に気合を入れた。棚に手を這わせながらゆっくりと歩みを進める。こつこつと自身の足音が響く。目につくのは、錆びた剣や古語で書かれた分厚い本など。たまによくわからない雑草もある。あいにくソルティアと違って薬草に明るくないイズリットはその価値が分からない。だがそれらに興味もない。イズリットが探すものはただ一つ。
「昔はたまにティアが整理をするからと籠っていたことがあったけれど……いったい、これらをどうやって整理したんだろうなぁ。そもそもこの混沌とした空間に整理なんて概念があるんだろうか? 不思議だ」
棚番はおろか何の目印もない。所蔵されている物に目立った法則もないのだ。魔法使いにとっては何かあるのかもしれないなとイズリットは軽く考えているだけで、それ以上は深く追求したことがない。深入りしすぎる必要もないと思っているから。
「――あ」
不意にイズリットは足を止めた。ある棚の、目の高さより二段上の位置が仄かに光っている。それを見て唇が緩やかな弧を描いた。
「本当に不思議だ」
仄かな光を放っているそれを、壊れ物のようにそっと手に取った。イズリットの探し物は、小さな縦笛だった。細い銀色の鎖がついた少し古びたシンプルな縦笛だ。手のひらと同じくらいの笛にしては短めのもの。目を凝らして良く見ると、解読不可能な文字のようで文様のような刻印が施されており、ソルティア曰く魔法陣の原形に近いものらしい。
目当ての物を手に入れ、一歩踏み出したその直後。
「――うぐっ!?」
イズリットは後方からの衝撃に二メートルほど吹き飛ばされた。勢いよく別の棚に体を叩きつけられる。
「ッ……いったたた」
目の前がちかちかとする。しかし、幸いなことにイズリットはいくつもの魔具を身に着けているため命が危険に晒されることは滅多にない。今も生身で受けたら即死レベルの衝撃だったが、特に怪我もなくすぐに起き上がった。が、目の前の光景に思わず顔が引きつった。
「うっ……わぁ」
黒影の守護神。
全身黒い影のような足のない、宙に浮いた存在がそこにいた。まるで幽霊のようなソレは恐らく大所蔵庫の所蔵品を守るために存在しているのだろう。イズリットが縦笛を持ち出そうとしたことで姿を現したのだ。
「ティアの仕業かなぁ? いや、元々あったものかな? ……どちらにせよ、正気の沙汰じゃないや」
動かない黒影の守護神を前に、イズリットはゆっくりと後退する。ソルティアやゼオセァルヴィと違ってイズリットは正真正銘のただの人間。摩訶不思議な存在と戦う選択肢など、はなから存在しない。あるのはただひとつ。逃げるのみ。
「ッ――!」
駆けだした。
とにかく、ただ駆ける。
振り向きざまに不可視草の粉末を振りまいたため、恐らくイズリットの姿は認識されにくくなっているはずだ。それでもさすが黒影の守護神。幾度とない攻撃に、イズリットを守る結界が大きく揺れてその度に強い衝撃が伝わってくる。
「うわぁ~~! これはさすがに凄い――ッうぐ!?」
刹那、右肩に衝撃が走った。
次いでどくどくと大きく脈打つ。
鉄の香りが鼻をついた。
「なッ……!?」
イズリットの体勢が大きく傾いた。
が、突然目の前が開け、そのまま転がるように大所蔵庫から飛び出した。
「うっ……!!」
「教皇ッ!?」
外で待機していたらしいローガンが焦った声を上げ、走り寄ってきた。彼に支えられながら、イズリットは顔をしかめて呟く。
「……尊主?」
ゼオセァルヴィによって造られた結界の魔法陣が施された魔具。一瞬、その効力が弱まった。イズリットはゆっくりと耳飾りに触れる。指先から伝わる金色の魔晶石には、確かな亀裂が入っていた。
「教皇、手当てを」
「ローガン、わたしがなぜこの道を選んだか知ってるかい」
ローガンの言葉を遮って唐突に問いかけてきたイズリットに、ローガンは無言で首を横に振った。イズリットの表情からはすっかり感情が抜け落ちている。
「わたしとイリスに優しくないこの世界を壊してしまいたいから。それにエルタニアサスや尊主が……いや、古の魔法使いゼオセァルヴィが役に立つと思ったから。彼らの争いが愚かで最高な結果を招いてくれるのさ。でも……」
ぽたり、ぽたりと血が流れる右腕を押さえながら、イズリットは立ち上がる。肩につかないくらいの綺麗に切り揃えられた髪の毛が揺れた。
「ソルティアという存在によって均衡が崩れそうだ」
深くため息を吐いて、握りしめていた縦笛に視線を落とす。体を支えていたローガンの手がゆっくりと離れていくと、イズリットもまたゆっくりと歩き出した。人と魔法使いの在り方が変わる、その時はすぐそこだ。




