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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode28.1 西の悲劇Ⅱ


 草木から仄かな光の粒子が現れた。まるで光をまとった小さな生き物がふわふわと湖に集まってくるかのような光景だ。だんだんとその数を増やし、湖を白く照らす。茜色に染まる草木と白く照らされる湖は絡み合い、稀有で危険な時間を森にもたらす。


 アリサーの目の前に集まった光の粒が人の姿のような何かを形成していった。


「……呼んだかの?」


 現れたのは、中性的な人間のような姿の何か。髪の毛は所々、青々しい葉のつく蔓草になっており、黄色や白色、桃色と色とりどりの花が咲いていた。服のような簡素な麻布をすっぽりと被り、腰には様々な木の枝や木の実を巻き付けている。穏やかでも無表情でもない、強いて言うならどんな表情をしようか考えている際中の表情でアリサーとソルティアを見ていた。


「私の禁制を解いてください、妖精王(フェンディオッデロ)


 何も後悔などないと言わんばかりの覚悟を決めたソルティアの言葉に、アリサーは嫌な予感がした。彼女が何かを決意するとき、必ず自分自身を傷つける。アリサーの両親を手にかけた時もサンクチュアリ本部前で戦った時も、彼女の選択は彼女を守ってはくれない。


 ソルティアの言葉を聞き、妖精王(フェンディオッデロ)は首を傾げた。その様子がひどく子供っぽい。


「それは、祝福じゃよ。我が直接そなたに与えた祝福」

「これは、禁制です。私たちにとっては時間に囚われる呪いだ」

「哀れなあの子が懇願しても我は与えなかった。そなたが今を生きるのもそれがあるからじゃぞ?」

「わかっています。私はこれに生かされている。だから、駄目なんです」

「……そなたと我でさえ言葉の持つ意味が違うというのに、そなたを抱くその男がこれからを耐えられるかのぉ」

「え……?」


 突然、話を振られたアリサーは思わず呆けた。妖精の王に会うことなど想像もしていなかった。さらにソルティアがこれから何かをしようとしている。それがアリサーにとって喜ばしいことではないということははっきりとわかる。


「ソルティア、何をするつもりだ」

妖精王(フェンディオッデロ)


 アリサーの言葉を無視して、ソルティアは再び妖精王(フェンディオッデロ)を呼んだ。いつの間にか湖の水温が冷たくなっている。燃えるように美しかった夕日は水平線近くにあるのか、昼と夜の狭間が刻々と時を刻んでいる。


「――王が望んでいるわ」

「っ!?」


 一瞬だった。

 生き物のように蠢く水がソルティアを奪いとる。手足をユニフーが操る水により拘束され、必死でもがけば、どんどんと締め付けはひどくなる。


「ソルティアっ! なぜだッ! なぜいつも勝手に判断して全てを一人で決めるんだッ!?」


 彼女は振り向かない。彼女に届く言葉はない。その現実が容赦なくアリサーの心を抉る。彼女はただまっすぐに妖精王(フェンディオッデロ)を見ている。そして彼もまたそんな彼女へゆっくりと手を差し伸べ、


「<哀れな愛し仔よ 目覚めと共に唄え>」


 静かに紡いだ。


「っ――――――――――!!!!!!」


 宙に浮いた彼女の身体が大きくのけ反った。文字の連なる大小さまざまな輪が、彼女の瞳の上で幾重にも重なり、光の柱を作り、そして激しく散った。きらきらと空に舞う光の欠片が雪のように降り注ぎ、どこか遠くで妖精たちの歌声が風に乗って聞こえてくる。冷たい風が一瞬通り抜けた。


 とても硬く美しい宝石が欠けたような音が響いたと同時に、アリサーの目に飛び込んできた光景はあまりに残酷だった。


「ル……ティ……?」


 藍色がかった灰色の髪が、真っ白になっていた。宙で仰向けだった体はゆっくりと降りてきて、そっと水面に降り立つ。揺れる水面(みなも)は波が伝播していく。彼女のその姿を茫然と見つめたアリサーはやがてある違和感に眉を寄せた。


「何が……」


 ソルティアは少女の姿から女性の姿に変わっていた。誰の目にも明らかなほど、成長している。小柄で細すぎた体格は、手足がすらりと長く女性らしい体つきになり、纏う空気は妖艶さが漂っている。不意にいつかのユリィの言葉を思い出す。『死にゆく魔法使いは瞳の輝きが濁っていき、瞳の色は失われていくわ』


 閉じられた瞳がゆっくりと開かれ、アリサーは絶句した。


「私は私を受け入れられないんです。私の全てが死を連想させるから。傍にいる者は皆、死にゆく。私が歩く道のその先に光はない。……きっと、このこんじきが喰い尽くすんでしょう」


 こんじきの瞳がこう(こう)と輝いていた。『今、目の前にいる魔法使いは一体誰だ?』そんな疑問がアリサーの中に渦巻く。微かに震えだした自分の手を無意識に力強く握りしめ、自分の中にあった仮説が揺らいでいるのを確かに感じとった。


 彼女が纏うこんじきは、奴と同じ。全ての元凶であるいにしえの魔法使いゼオセァルヴィと。ソルティアとゼオセァルヴィの繋がりはどれほどのものなのか。想像もしていなかったおぞましい現実とアリサーは今、向き合っている。


「……ああ! なるほど思い出したぞ。そなた、あの時の子供かの」

「あの時?」


 突然、声をあげた妖精王(フェンディオッデロ)は合点がいったように手をたたいた。何が嬉しいのかにこにこと顔を綻ばせている。ソルティアの疑問に妖精王(フェンディオッデロ)は優しく答える。


「8年前、願いを叶えた人間じゃよ」

「はい?」


 困惑したソルティアと同じように、アリサーも妖精王(フェンディオッデロ)の言葉に訝し気な視線を送る。


「そんなわけないじゃないですか。大樹に寄り添う者(へリオル)はもちろん、魔法使いでもなくアリサーはただの人間です」

「そうじゃな。我ら妖精とえにしのある血筋じゃがな」

「だとしても、ことわりに反したあんなめちゃくちゃな方法で世界樹をび出した中、魔法使いでもない人間が犠牲無く願いを叶えられるは、ず……が…………」


 不自然に途切れた言葉を残したまま、ソルティアは動かなくなった。息をするのさえ忘れたかのように強張った表情で固まっている。


「……ルティ?」


 彼女はまた一人で何かに気づき、何かを判断しようとしている。そう直観したアリサーはもどかしさに息が詰まった。寄り添うことも分かち合う事も彼女は知らない。


 驚きに満ちた表情はみるみる恐怖と焦燥に変わっていく。目の周りは自然と赤くなり、一筋の涙がゆっくりと頬を濡らした。


「なんじゃ、気づいていなかったのか? そなたの蒼炎は命を奪いは――――――」

「っ……?」


 唐突に、周りの音が消えた。

 どんな音も聞こえない。無音だ。世界にたった一人になったような感覚。自然に起こったものではないと悟り、すぐさまソルティアを見ると、彼女は俯いたまま何やら妖精王(フェンディオッデロ)と会話をしているようだった。勢いよく顔を上げると、必死に訴えるように叫んでいる。だが、アリサーには何も聞こえない。魔法で音を遮断されているようだ。誰がやったかなんて明白。


「――――、――! ――――――!」

「――――? ――――」


 ひどく悲しそうな表情をしたかと思うと、ソルティアは両手で顔を覆った。肩を震わせ、必死に感情を抑え込もうとしている。その様子を見ている妖精王(フェンディオッデロ)は、逆にとても冷静で、淡々とした雰囲気だ。その差がよりソルティアの動揺を助長させているように見える。


「――! ……――――」

「――――」


 二人の会話が終わったのか、ゆっくりと顔をあげたソルティアのこんじきの瞳は涙に濡れていた。様々な感情が渦巻くその瞳から強く伝わってくるのは、後悔と悲しみ。初めてさらけ出した彼女の弱さにアリサーはなぜか不安を感じた。


「――――……」


 滑るように何かを紡ぐソルティア。彼女は今、取返しのつかない何かを決意した。絶妙なバランスで何とか保たれていた関係が脆く崩れる音がはっきりと聞こえた。思わず手を伸ばす。


「ソル――!」


 刹那、空が白く光った。

 全身を得体の知れない不快感が襲う。

 いつの間にかユニフーの拘束がなくなっていた。しかし、体がずんと重くなる感覚に思わずその場で膝をついた。


「くっ……!?」


 不意に体が勝手に湖から岸へと移動していく。ユニフーの魔法のように一方的ではない。こちらを気遣うように丁寧な動きだ。近づいてきたソルティアと共に地面に足をつけると、ふらつく体を剣で支えた。ソルティアに話しかけようと開きかけた口はゆっくりと閉じていく。険しい表情で何かに釘付けの彼女の視線のその先を追った。


「なん……だ、あれ」


 遠くの方で巨大な純白の壁がそびえ立っていた。

 方角的に首都がある位置。

 しかも、首都の周囲を囲うように純白の壁が街全体を完全に覆っていた。中がどのようになっているのか全く予想がつかない。明らかな異常事態。


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