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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
53/63

Episode27.2


 アリサーが腕の中のソルティアに視線を落とした直後、


「っかぁああ〜〜〜〜っ! 息苦しいなっ!」


 プラトンが唐突に大きなため息を吐いて、気の抜けた声を上げた。珍しく服のボタンを一番上までしていたのに、雑に二つほど外すと真剣な雰囲気が霧散していく。


「プ、プラトン副隊長?」


 突然の変わり様に、副官であるトスが戸惑いながら問いかけた。そんなトスの肩に手を置き、なんてことないようにプラトンはアリサーを見やる。


「お前の好きなようにやれ。誰もお前を止めることなんてできねぇよ。責めることもしねぇ」

「……」


 思いもよらないプラトンの態度に、アリサーは驚いて彼をまじまじと見た。イリス相手と勝手が違いすぎる。


「プラトン副隊長、良いんですか? アリサー隊員は敵対している魔法使いを魔封じなしに連れ出すと言っているんですよ? イリス特殊部隊隊長が何と言うか……」

「俺が許可したから良いんだよ。イリスも今は北の本部だ。たまにはこっちが好き勝手やってやりゃあ、後始末の面倒さがわかんだろーよ」

「プラトン副隊長……」


 私怨が混ざっていそうな言い草に、トスは呆れ顔をした。しかしそれ以上、苦言を呈すようなことはせずあっさりと引き下がった。ユリィは眉を寄せているがもう何も口にしない。アリサーの言動に納得したわけではなさそうだが、これ以上の対話は無意味と判断したのかもしれない。


「……ありがとうございます」


 顔を背けたユリィの横を通り、アリサーはソルティアを抱えてサンクチュアリ中央支部を後にした。





 西に広がる不可侵の森。未開拓の部分が多い自然の姿のままが広がる神聖な森に、アリサーはソルティアを抱きかかえてやってきた。空高くに太陽が昇っているときにやってきたが、森に一歩足を踏み入れば澄んだ空気が漂い、あらゆる雑音が消え、草木の香りが鼻をくすぐり自然の営みを全身で感じられた。木々の間からは木漏れ日が差し、キラキラと美しく森を彩っている。


 アリサーは魔法使いではない。だが、妖精が見えないただの人間でもない。祖先にどんな者がいたのかは定かではないが、ミルフィスの家系は代々、魔法使いと同様に生まれつき妖精との交流ができる。だから妖精の力を借りようと、意識のないソルティアを抱えて森にやってきたのだ。しかし、アリサーが思っていた森の様子とは、明らかに何かが違った。


「なぜこんなにいるんだ……?」


 森の至る所に、妖精らしき存在がその姿を現していた。基本的に彼らは気まぐれだ。呼んだところで姿を現すとも限らない。豊穣祭や霊魂祭でもない、特別な日ではないにもかかわらず、彼らの心が浮足立っているのがはっきりと伝わってくる。


 綿毛のようにふわふわと浮く妖精や人の形に限りなく近いが目と鼻のない麗人、しっぽが木の幹にぐるぐると巻き付き宝玉眼を持つトカゲのような妖精。そんな様々な妖精の横を通り過ぎて、アリサーは以前やってきた湖に辿り着いた。湖畔には蔓草が巻き付いた深みのある赤いレンガの家がひっそりと佇んでいる。


「ユニフー」

『…………』


 妖精が見えると言っても、やはり魔法使いであるソルティアのように簡単に彼らを呼ぶことはできない。ひとまず彼らを呼んでみたが、何も起こらない。だから今度は躊躇いなく湖に入った。


「ユニフー、頼みがある。ソルティアを癒してくれ。お前たちの望みを何でも聞こう」

『…………』


 依然として湖は静かだ。アリサーの声に寄り添う妖精はいない。だが、ここまで来て諦めるわけにはいかない。腕の中の生気を失ったソルティアに視線を落として、逡巡したアリサーは親指を口元に寄せたその時、


「その言葉、もう取り消せなくってよ? よろしくて?」


 唐突に、湖の周りが温かく色づいた。同時に美しい歌声が辺りを包み美しい女性の姿の妖精たちが湖の周りをくるくると踊り始めた。アリサーの目の前にも、ガラスのように透き通たった瞳で水色の髪の毛が肩あたりから体と同化した女性のような妖精が現れ、にこやかな笑顔が降り注ぐ。


「……ユニフー」

「ええ。今日はなんだか気分が良くて貴方の声が聞こえましたのよ。特別な日になりそうですわ」


 いつの間にか太陽には雲がかかり、森には光が降り注いでいなかった。若干薄暗くなった森の中で、ユニフーはなぜかうっとりと空を見上げる。


「ソルティアを癒してほしい」


 アリサーの言葉に、ユニフーの視線がソルティアへと向いた。


「祝福を解き放つ機会を見誤ったのか、そもそもそのつもりがなかったのか。どちらにせよ、判断を誤ってしまったようですわね、ソルティア」


 じっくりと見つめた後、ユニフーが右手を湖へと伸ばす。すると、どこまでも澄んだ美しい小さな宝石のようなものが現れた。ユニフーの伸ばした手の上にすとんと収まると、それをソルティアに近づけて言う。


「これは癒珠。魂以外への傷は癒してくれるものですわ。それと、ソルティアが目覚めた後、どんな選択をしても貴方はそれを受け入れなければいけなくてよ」

「目を覚ましてくれるなら、それでいい」

「そう」


 それだけ言うと、ユニフーの手から癒珠が滑り落ちた。ソルティアの胸に落ちたかと思うと、すっとその姿を消していった。まるでソルティアの体に吸い込まれていったかのようだった。


「……ん」


 アリサーの腕の中でソルティアが僅かに身動きをした。うっすらと開かれる瞳にアリサーが映る。


「っソルティア!」

「……なん、で……」


 疑問に満ちた掠れ声が、いつの間にか静かになった湖に落ちていく。ソルティアが目覚めたことにほっと胸を撫で下ろしたと同時に、微かな違和感にアリサーは眉を寄せた。


「……ユニフー、なぜ……」

「巡還は悲しいことではなくってよ」

「っ!」


 どんな感情も読み取れない淡々としたユニフーの口調に、心臓が強く脈打った。妖精の癒しの力をもってしても、ソルティアに生気が戻らない。いまだ、このまま儚く散ってしまいそうなくらいの脆さが彼女を包み、死がちらついている。


「だ、だめだっ! 他に……、他に方法はっ」

「アリサー」


 目に見えて狼狽える情けない姿を見て、ソルティアが落ち着いた声で名前を呼んだ。目覚めたばかりなのに、何もかもを悟っているかのように淡然たる眼差しに、アリサーはどきりとする。


「私は8年前に巡還するはずだった。それが今は少し伸びているだけです」

「今生きているのなら、これからも生きることを考えればいいっ」  


 灰色の瞳をしっかりと見つめて、若干震えた声でソルティアの言葉を否定するように言った。腕の中のソルティアは否定することも肯定することもせず、ただ哀しそうに笑みを溢す。


 不意に雲の間から西陽がさした。木々だけに飽き足らず花や地面さえも茜色に染め上げ、どこまでも続く夕日が森いっぱいに広がっていく。空気までも色づき、神聖な領域であることを全身で感じられる、そんな神秘的な光景だった。


「私はゼオを止めないといけない。それが、私の義務です。あなたがミルフィスであるように。私たちは同じ道を歩けません。傷つけ合った先に待つのは決して明るい未来ではない。だから…………――妖精王(フェンディオッデロ)


 アリサーが森の景色に心を奪われたその一瞬、ソルティアがある存在の名を呼んだ。


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