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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode27.1 西の悲劇Ⅰ


 うっすらと空が明るくなり、太陽が顔をのぞかせるまでもう少しという明け方。夜明けを知らせる鳥たちの鳴き声と共に、血だらけのソルティアを抱えたアリサーがサンクチュアリのテルーナ中央支部に慌ただしく駆けこんできた。


 白衣に袖を通したユリィが診療室に入った途端、顔をしかめる。


「うっ……! 誰かここの結界を二段階引き上げて。これじゃ別に患者が増えるわ」

「りょ、了解です。フェン・パター、結界を上位の下に引き上げます!」


 警備の夜間担当としてアリサーを迎え入れた第二部隊所属のフェン・パターが、結界用の魔晶石をいじった。ソルティアを見たときにはぎょっとしていたが、アリサーが仮面をとって素顔を晒していること、そして特殊部隊の保護官としてではなく、サンクチュアリ統率者次期筆頭候補イグレンと名乗ったことに仰天していた。それ故に、緊急事態だということを素早く判断して、ユリィを起こしたのだ。


 そんな彼に感謝の言葉を伝える余裕すらなく、アリサーはソルティアをベッドに寝かせると口早に問いかける。


「ユリィさん、ソルティアはっ」

「今診てるわ、落ち着きなさい」


 アリサーを窘め、ユリィが血だらけのソルティアを診療する。すぐ外傷には手を施していくが、その間もソルティアの呼吸は弱々しく、顔からは血の気が引いている状態は続いていた。だが、先ほどまで辺りに溢れ出ていた魔力という名の猛毒はいつの間にか消え、苦しそうだった表情からは一切の感情が抜け落ちていた。


 治療を施していたユリィの手が、やがてぴたりと止まった。


「ユリィ、さん?」


 途中で治療を放棄したかのようなユリィに、アリサーは不穏な空気を感じ取る。白衣の至る所にソルティアの血を付けたユリィは吐き出すように、だが淡々と言う。


「魔法使いには命の終え方が二つあるの」

「……」


 ごくりと喉を上下させたアリサーはソルティアの両頬をそっと包んだ。ソルティアの体は氷のように冷たく、自分の手は僅かに震えている。美しい銀色の瞳は重い瞼で覆われて見ることができない。その様子を見ながらユリィは淡々と続ける。


「ひとつは普通の人間と同じ、寿命という肉体の限界。もうひとつは、巡還という魂の限界よ」

「……何が言いたいんですか」

「この子は、そのどちらも今まさに迎えようとしてるわ」

「っ」


 アリサーは心臓を鷲掴みにされたような感覚に、胸の奥がずしりと重くなった。生まれ持った義務を無視できずソルティアを傷つけた幼かったあの頃、そして仲間とソルティアどちらも傷つけたくないともがいた今、ソルティアを死に至らしめようとしている。結局、犠牲になるのはいつでも迷いなく真っ直ぐ突き進むソルティアだ。


 おもむろにアリサーがソルティアの体を抱きかかえたその時、


「えぇっ!?」


 入り口付近から、驚きの声が飛んできた。幾人かの足音がアリサーの横でぴたりと止まる。一緒に入ってきた特殊部隊員のネルはその周りでそわそわと心配そうにソルティアの顔を覗きこみ、配慮の欠如した態度をとる。


「ソルティアさん、死んじゃうんですかぁ!? ひぇ~~」

「率直すぎですよ、ネル隊員」

「トスさんはいつでも生真面目ですねぇ。でもだって、まだ若いのに可哀そうだなぁってぇ」

「ネル、黙ってろ」

「ひぇっ! ……はぁい。失礼しましたぁ」


 第二部隊副隊長のプラトンがいつもより真剣な表情で、ソルティアを見てからアリサーに問いかけた。


「アリサー、死にかけの魔法使いを抱えて何をするつもりだ。まさか死に場所を探してやるわけじゃねぇよな」

「……死なせるわけにはいかない。だから、ソルティアを妖精に診せます」

「妖精だと?」

「ちょっと!」


 妖精という単語に、ぎょっとしたユリィが二人の間に割って入った。


「妖精の力を借りるということを、そう簡単に考えては駄目よ。彼らと私たちの価値観はあらゆる面で違うんだから」

「わかっています。それでも、全ては些事です」

「命を差し出すことになってもおかしくないって言ってるのよ!」

「構いません」

「……………………はっ」


 即答したアリサーをユリィは鼻で笑い、次の瞬間、表情を消した。常に冷静に物事を俯瞰して見ているユリィがこれほどに動揺している様子を、アリサーやネルは初めて見る。


「……馬鹿じゃないの…………。その子は、魔法使いでしょっ」


 肩を震わせ、軽蔑の視線を向けるユリィが珍しく声を荒げた。


「魔法使いのために命をかける魔狩りが一体、どこにいるのよっ! 今までのように死ぬのをただ見ていればいいの! 余計なことをしないでっ」


 柔らかいクリーム色の乱れた髪をかき上げると、ユリィは天井を仰いだ。しんと静まり返った診療室内で、自分を落ち着かせるように深呼吸をする。そんな彼女の姿を見て、忠告と怒りの言葉を聞いても尚、アリサーの気持ちは変わらなかった。


「ソルティアは俺が唯一、自分で選んだ道なんです」

「は……?」


 腕の中でぴくりとも動かないソルティアに視線を落として、ぽつりぽつりと呟く。


「俺の行動が理解されなくてもいいです。だけど、俺はきっとこれからも理解されない行動をし続けます」


 ネルやトスはアリサーの言っている意味が分からず、怪訝な顔をして口を開けずにいる。一方で、肩の力を抜いてただじっと見つめるユリィや押し黙ったままのプラトンからは何の感情も読み取れない。診療室内の雰囲気は奇妙なものになっていた。


「サンクチュアリは人々の安全と安寧を守りたい。ソルティアは魔法使いたちを守りたい。その方法が傷つけあうことでは、互いの望みはいつまでも成し得ないと長い歴史の中で分かっているはずです」

「何かを得たいのなら、多少の犠牲は付き物よ」

「その犠牲が次の悲劇を生むのであれば、俺は絶対にそれを容認できません」

「絵空事よ。理想論だわっ! 人々の意識に刻み込まれた“常識”がそう簡単に変わることはないの。輝く瞳が恐怖の対象じゃなくなることも、魔法使いたちが人々の中で馴染むことも、ありえないわ!」

「――ユリィさん、落ち着いてください」


 仲間同士で言い争う光景に耐えられなくなったトスが、ユリィの肩に手を置き彼女を宥めた。その手はすぐさま振り払われるが、再び強く呼ぶ。


「ユリィさん」

「っ……」


 ぐっと押し黙ったユリィは額に手を当て、顔を逸らした。重い沈黙が診療室内を襲う。誰も何も軽々しく口を開けない。なぜなら、今話していることはアリサー個人の言葉だけに留まらないと、皆が薄々気が付いているから。サンクチュアリをまとめ上げる統率者という立場に必ずなるであろう次期統率者筆頭候補イグレンと名乗ったアリサーが語る言葉は、いつしかそのままサンクチュアリの行く末となるのだ。それがわからない人間は、ここにはいない。


「サンクチュアリの今までのやり方をお前ひとりで変えられると本気で思ってんのか?」


 アリサーの言葉に耳を傾けていたプラトンが、やがて静かに口を開いた。ユリィのように頭ごなしに否定する雰囲気は窺えない。ただ、アリサーの真剣な言葉に対して、真剣な言葉で聞き返している。


「俺ひとりでは意味がありません。傷つけ合うことをやめるには互いが互いを理解する必要がありますから」

「途方もないとは思わないのか」

「誰も始めないのであれば、俺がやるまでです。俺とソルティアで始めます。だから、俺はソルティアを諦められません」

「…………」


 沈黙と緊張感が部屋中を重苦しくする。いつでも能天気なネルでさえ静かに口をつぐみ、2人のやりとりを聞いていた。ここにいる人間はみな、何事も淡泊なアリサーの変わり様に驚くと同時に、魔法使いソルティアへのただならぬ想いを感じ取っているのだ。漂うのは答えの見つからない疑問と微かな疑念。誰の目から見ても、アリサーは危うい選択をしようとしている。


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