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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode25.1 守りたいものⅠ


 何かが体を包んでいる。

 その感覚で意識が覚醒した。

 冷たい空気が頬を撫でている。


 そっと瞳をあけると、


「……ソルティア」


 深紅の瞳が揺れていた。


 ゆっくりと瞬きを数回。深く息を吸って、やっと自分がアリサーに抱きかかえられていることを理解した。周りは一面、銀世界。氷で覆われた場所に、アリサーとたった二人だ。鈴にも似た繊細な音が静かな空間に鳴っている。


 そのままアリサーの手を借りながらソルティアは起き上がった。


「気分は」

「……体の調子は、まあ……」


 体の動きを確かめながら、相槌を打つ。正直なところ、体は驚くほど軽くなっている。理由はきっと、このひょうごくだ。何千年と溶けない氷は自然にできた氷などではない。魔力が長い時間ゆっくりと集まって形作った結晶。それが、クロッケンダス山脈の氷谷。


 ぐるぐると腕を回しながら、ソルティアはアリサーに視線を戻した。なぜここにいるのか、そもそもなぜ自分が氷の中で眠っていたのか、聞く必要がある。しかし、


「……」


 開きかけた口は不自然に止まった。

 顔をしかめながらソルティアは近づく。


「様子がおかしいです」


 アリサーの唇の色は紫で顔色もどことなく悪い。焦点が定まっていないように見えるのはきっと気のせいではない。じっと見つめて数秒、ソルティアは眉を寄せた。短く息を吐くと、呆れたように言う。


「なぜ冷毒にかかっているんですか……」

「知っているのか?」

「そりゃあ……」


 バツが悪そうなソルティアの表情に何かを感じたのか、アリサーはその場に座り込んだ。ぎょっとしたソルティアは同じようにしゃがみ込み、彼の胸元に両手をあてる。


「ひとまず毒を排出させないと」


 体調も魔法使いとしての力もだいぶ回復したため、ソルティアは躊躇いなく魔法を使った。暖かな光がアリサーを包み、冷気を浄化していく。陽光のようなその色がソルティアの銀色の瞳に反射して神々しく輝いた。


「……暖かい」

「ふぅ……。毒を排出しました。徐々に体温は戻ってくるはずです」


 起き上がったアリサーから視線を外して、空を見上げた。すっかり月が上った夜空に白い息を吐く。魔法で体温を調節できるソルティアと違って、草木や土までも凍てついた空間でアリサーの体力は削られていく一方だ。冷毒とは関係なく、氷谷という環境自体が人間にとって過酷なものなのだから。


「ここを出ましょう。氷谷に漂う魔力は特殊なものなので、この場で転移の魔法を使用するのは避けなければいけません。少し歩きますよ」

「それなら、来た時に使った魔法陣がまだ使えるはずだ。森の入り口辺りにバランが中央支部から繋げてくれた魔法陣がある」

「……はい?」


 歩き出していたソルティアの動きが止まった。それに気づいたアリサーも歩みを止め、訝しげな視線を送る。振り返ったソルティアはそれを真正面から受け止め、疑問を口にする。


「この氷谷に、魔法陣を繋げたんですか? バランが?」

「……何か問題でもあるのか?」 

「問題というか……」


 自分の中で渦巻く疑念に、ソルティアは顔が強張った。

 氷谷周辺は特殊な魔力の流れに影響して、基本的に魔法が上手く扱えない。ソルティアでさえ魔法の使用はできるだけ避けたいところなのに、一介の助修士だったというバランがこの場所に魔法陣魔法を繋げられるとは思えないのだ。誰か別の魔法使いの手助けでもなければ。


「バランはいつサンクチュアリに来たんですか」

「確か、7年前からだ」

「7年前から……」


 蒼炎の悪夢から1年後、サンクチュアリにやってきたバラン。しかもエルタニアサス大修道院出身となると、どうしてもぬぐえない違和感が水面を揺らすように確実に、ソルティアの中に広がる。だが、イルディークをはじめとした魔狩りたちからそれなりの信頼を得ているということは、要求通り仕事をこなしているはずだ。


 心に小さな棘が引っかかったまま、ソルティアは再び歩き出した。考えすぎても仕方ない。ちらりとみたアリサーの顔色は相変わらず良好とはいえず、早くこの氷谷から出ることが大優先だ。ソルティアの後ろでは、氷を踏みしめる音が同じ歩調で聞こえていた。




 氷谷から出て、少し歩いたクロッケンダス山中。幾分かアリサーの顔色も良くなり、正常な体温にも戻っていた。夏の生温い風が頬を撫で、土や草の香りが鼻をくすぐる。どこか遠くでは夜行性の鳥の鳴き声が聞こえ、すっかり夜の森だ。


 途端、アリサーの胸元が光った。

 取り出したのは連絡用の魔晶石。


「はい」

『アリサー隊員! やっと繋がった! 何かあったのかとさすがに心配していたところだったんだ』

「フェナンドか」


 安堵と驚きの声が魔晶石から聞こえてきた。口早なフェナンドとは違い、アリサーは至って落ち着いた口調で返事をする。


『解毒はできたのか?』

「ああ。それより、急いでいるようだが」

『それは良かった! 病み上がりのところ悪いがイリス隊長から、解毒でき次第、北の本部に来るようにとのことだ。いまだ、りょくのレーダンなる魔法使い集団の制圧に手こずっているんだ』

「了解」


 ふたりのやり取りを聞いていたソルティアは、怪訝な顔をした。連絡の終わったアリサーから一歩、後ずさる。いつの間にか、夜の鳥の鳴き声はやみ、鬱陶しい風が体に纏わりついていた。


りょくのレーダンがサンクチュアリ本部を襲撃してるんですか?」

「……ああ」


 アリサーが一歩踏み出すと、ソルティアの足は無意識に後ろへ一歩下がる。その行動に、アリサーはほんの少し眉間に皺を寄せた。


「なんて……愚かな」


 魔法使いの無駄な浪費と言っても過言ではない、悪手だ。エルタニアサスにとっても戦闘能力の高い魔法使いは貴重なはず。存在自体が希少となってしまった現代ではなおさらの事。さらに、真正面から戦闘をしかけて崩れるほどサンクチュアリ本部も脆くはないだろう。全てを指揮していると思われるイズリットの思考が、ソルティアには全く読み取れない。


「私も行きます」

「だめだ」

「なぜです? 血を流さず彼らを止められるのは私以外にいません」

「魔法使いたちを庇った瞬間、イリス隊長と本部の特殊部隊隊長に殺される」


 何とも物騒なことを言ってのけるアリサーを、ソルティアは鼻で笑った。指を鳴らし足元に魔法陣を描く。銀色の光が二人を照らした。


「そう簡単に殺されるつもりも、魔狩りに魔法使いたちの命を狩らせるつもりもない。止めたいなら今この場で、その剣を私の首に突き立てればいいんです。トイシュンの花畑で私を貫いたように」

「体調が万全ではないだろう?」

「……は?」


 話の進まないアリサーにソルティアは苛立って投げやりに返す。


「氷谷で眠っていたおかげでむしろ良いですよ。そもそも、私の体調なんて気に」

「――そうじゃない」

「はあ……。だからっ、一体何が問題なん」

「決定的な何かを隠している。そうだろう、ソルティア。でなければこの8年、姿をくらますはずがない。魔法を使うたびに体調を崩しているのもおかしい。明らかに異常だ」

「っ……」


 鋭い視線に、ソルティアは思わずたじろいだ。

 怒りにも似た感情が、彼の表情の中にある。

 でも、一体なぜ?何が彼をそんな感情にしているのか、ソルティアには検討がつかない。吸い込まれそうになる深紅の瞳から視線を外して、まるで自分に言い聞かせるように口調を強めた。


「……だとしても、あなたに関係はない!」

「っ!?」


 瞬間、2人は魔法で転移した。


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