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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode24 蒼炎



 身を焦がすような熱さに、ソルティアは目を覚ました。

 枯れ果てた草木のような渇きが全身を襲っている。


「なに……が」


 一面、蒼。

 全てが蒼炎に包まれていた。

 どこまでも続く夜空に映る蒼、

 地面を統べる蒼、

 何もかもが息を呑むほどに蒼。


 目を開けた瞬間飛び込んできたその光景に、理解が追い付かない。一体何が起こっているのか、記憶を辿ろうとして気づいた。そもそも、意識がなくなる前にどこにいて、何をしていたのか、思い出せないのだ。必死に探ろうとすれば、ひどい頭痛に瞳の奥が抉られる痛みが走った。


「ああッッッ!!」


 どくどくと体中を走る心臓の音と、肩で息をするほどの苦しさに恐怖を感じた。異常だ、どう考えてもおかしい。体が壊れる、そう直観した。


「ティア、目覚めたか」


 聞き慣れたゼオセァルヴィの声に、視線を上げる。すると、彼の足元では漆黒の髪のアリィが倒れていた。胸部が僅かに上下している。だが、目を細めてやっとわかるほどの動きだ。


「ゼオ……? 何を、しているんですか」


 震える体に力を入れて、何とか起き上がった。

 周りでは蒼色の炎が生き物のように荒れ狂っている。ゼオセァルヴィが魔法で使う赤い炎とはまた別ものだ。そしてよく見れば、自分の体はアヴァリスの花の上だった。甘美で危険な香りが鼻をくすぐる。


「やっと正気に戻ったようだな。名付けの魔法はやはり反動が大きい。だが、お前とてそれが必要だったろう」

「え……?」

「生来の魔力の色を偽り、炎ではなく氷を好んだのだから」

「………………」


 息が止まった。

 すっと感覚が研ぎ澄まされていく。

 必死に覆い隠していた“自分”が全てさらけ出されていく。あらゆる嘘で固めた虚像が崩れ去っていく。もはや、涙すら流れなかった。


 自分の瞳の色は今、何色だろう?

 そんな醜い疑問が心を絞めつけた。


「魂をぶのに600年の時を要してしまった。だが、今やっと願いが叶う。ルディハラ、願うのだ。お前が大樹に寄り添う者(へリオル)として願えば、かいじゅは応える。そして、必ずお前を受け入れ、彼女を再び俺の元へ返してくれる」


 恍惚に輝くこんじきの瞳の先は、アヴァリスの枝で編まれた寝台に横たわる美しい女性。太陽の光を集めたような金髪に陶磁器のように滑らかで透き通った肌を持つその女性は瞳を閉じたまま動かない。


 その様子を見て、ソルティアはやっと理解した。

 ついにその時が来たんだと。

 世界樹に愛され、世界樹を維持する存在であるリーンという女性。

 彼女はゼオセァルヴィの最愛の人。

 そして、彼女を喚び戻し彼女の代わりになることこそ、ソルティアの存在意義。


 そっとアヴァリスの花の上に立つと、両手を重ね合わせ口元に寄せた。

 名付けの縛りを解き放った今、ソルティアと自然の繋がりを隔てるものはない。魔法使いが愛するこの北の地で、ソルティアが願えば叶わないものは何もないのだ。永いを生きるいにしえの魔法使いゼオセァルヴィが最後の願いを託すほどに、ソルティアという存在は稀有で特別。


「かの魂を喚ぶ 我が魂を還魂せよ。<シャルア・ノア・ディア・ルディハラ・リーン>」


 空っぽの心で願った。


 ――時が止まる。

 そんな感覚が辺りを包んだ。

 どこからか音色が聞こえる。

 幾重にも重なる鈴の音。

 草木を揺らす森の息遣い。

 羽のように軽く柔らかい妖精たちの歌声。


 思考の全てが奪われる。


「あ」


 頭上が白い光に包まれた。

 世界樹が応えたんだと、ゼオセァルヴィの表情を見て確信した。

 もう、彼の視線の先にソルティアはいない。


 振り返った視線のその先、見上げた夜空に純白の大樹が存在していた。

 ため息が出るほどに神々しく、息を呑むほどに魅惑的な巨木。

 手を伸ばしても決して触れることはできない幻想。

 伝説上の存在などではない。

 全ての魂が生まれ還る場所が、今目の前に在る。


 ソルティアの藍色の髪の毛が灰色に覆われていく。

 抗うことのできない力がソルティアを呼び寄せている。


「……ル、ティ」


 世界樹に手を伸ばしかけたその時、後ろでアリィの声がした。

 とても弱々しい声。それなのに、ソルティアの動きを止めるには充分だった。


「っ」


 振り返った瞳に映ったのは、炎の剣がアリィの心臓を貫くその瞬間だった。


「――だめッッッッ!!!!!!!!!!」


 自分でも驚くほど激高した。

 そう思ったときにはすでに遅い。

 蒼炎がゼオセァルヴィを襲っていた。


「何の真似だッッッ!!!!!」


 ゼオセァルヴィの怒気と共に蒼炎が一掃される。

 赤い炎と蒼い炎がぶつかった。


「アリィはイゼル・ミルフィスじゃないっ!!!」


 ゼオセァルヴィとイゼル・ミルフィスの間にどれほどの因縁があるか誰も知り得ない。だが、彼の行き場のない怒りや悲しみをその子孫たちが受け止める必要などないのだ。甘んじていた全ての出来事が、今のソルティアにはどうでもよくなった。


「黙れッ! 俺とリーンの世界にミルフィスは存在してはいけないッ!!!!!」

「くッ」


 ゼオセァルヴィとソルティアの力は拮抗している。

 嵐が吹き荒れ、地面が揺れる。

 赤い炎は地面を燃やし、蒼い炎は夜空を燃やしている。

 自然と集まる魔力がこんじきに染まっていく。


「ゼオッ!」


 初めて全力を出したソルティアは妙な感覚に困惑していた。自分の願いに呼応して世界樹が現れたにも関わらず、ソルティアは全力で戦っているのだ。それがどれほど奇妙なことか。世界樹を喚ぶのは大樹に寄り添う者(へリオル)としてできる。だが、ことわりに反して願いを届けるためには、ソルティア自身が対価となるはず。


 ――リーンの目覚めと共に、ソルティアが世界樹へと還るのだ。

 それなのに、なぜリーンは目覚めず、自分は世界樹へ還らないのか。


「待って! ゼオッ、何かっ、何かおかしいですッ! 私は願ったのに! 願ったはずなのにっ」


 しかし、ソルティアの声はゼオセァルヴィに届かない。

 それどころか僅かに口角をあげた。


「え?」


 視界が切り替わったのは一瞬だった。

 今にも生き絶えそうに横たわるアリィに気を取られたその一瞬で、ソルティアの眼前にはどこかの街が現れた。ゼオセァルヴィの魔法で、自分が街に飛ばされたと気づいたのは魔狩りと魔法使いが闘っている姿を目に捉えてから。多くの同胞が魔狩りの刃に貫かれていく。


「なにがッ!?」


 ゆっくりと地面に降り立つと、血の匂いと家屋が壊れる音が入り混じっていた。頭上では変わらず世界樹が神々しい光を放っているのに、地上ではあまりにも醜い行いが繰り広げられている。


「どうでもいい」

「……は?」


 周りの状況には目もくれず、ゼオセァルヴィはただ一点を見つめていた。いまだ目覚めない最愛の女性。美しく眠り続ける姿は、この場においてあまりにも不釣り合い。


「何が足りないかわかるか?」


 先程の怒り狂ったゼオセァルヴィとは打って変わって、淡々とした雰囲気に背筋がすうっと冷たくなった。理由はわからないが、ソルティアの体がガタガタと震え出す。


「な、なに、を」

「”切実さ”だ。ルディハラ、お前に必要なのは身も心も引き裂かれるほどの強い想いだ。だから、とっておきだろう。それも、これも」


 浅い呼吸を繰り返すアリィを見たあと、周りの魔狩りと戦う魔法使いたちを見た。攻撃を避けきれず剣が腹を貫き、血が舞う。新芽を守ろうと盾になる彼らはソルティアの同胞だ。


「っま……さ、か………」


 口に出そうとした。

 しかし、カラカラに乾いた喉は音を発しなかった。

 代わりに生暖かい涙が頬を伝う。


「ぃやっ……! やめて、やめっ」

「お前の中で強い想いが生まれるまで、数多の命が散るぞ、ルディハラ。同胞の血が、叫びが、お前に届くまで」

「やめてッ! 私だけでいいって……! 彼らは関係ないと貴方は言ったッ! これじゃ、何のためにッ……! なぜッ!?!?!?!?」

「ルディハラ、お前が躊躇えば躊躇うほど同胞が消えてゆくんだ! 同族意識が魂に刻まれたお前にそれが耐えられるか?」

「あ……あぁッ……!」


 呼吸が乱れていく。

 強烈な頭痛と耳鳴りに頭を抱えた。

 自分が立っているのか、座り込んでいるのかもわからない。

 ただ、目の前がぐにゃりと歪んだ。


「これまで、秩序を乱す同胞たちの命を奪わず、自然との繋がりを断つことで魔法使いとしての力を奪った理由を、この俺が気づかないとでも? その弱さがどれほどの犠牲を生むことになるか、お前はわかっているのかっ、ルディハラッッッ!!!!」


 ゼオセァルヴィにとって、同胞も魔狩りも、リーン以外は全て等しくどうでもよいのだ。彼の瞳に映るのは美しい彼女だけ。


「ッ……いっ……やぁああああああ!!!!!!!!!!!!!!」


 ソルティアの中で膨れ上がった得体の知れない力が、爆発した。

 巻き起こる風がやがて蒼い炎を纏い、辺りを焼き殺していく。人も家も木々も何もかも。辺り一面、蒼い炎の海。舞い上がる火の粉が美しく残酷に夜空を照らす。


 何も考えられない。

 やるべきことも守るべきことも分からなくなった頭で、とにかく、ソルティアは悲しかった。ただ、願う。リーンの魂と早く入れ替えて、と。早く還らせて、と。


 ――ズンっ!

 魂が何かに引きずり込まれる感覚に立っていられなくなった。


「うぐッ!」


 ふいに、不思議な甘い香りが鼻を掠めた。

 同時に純白のツタが瞳を覆い隠していく。

 まるでこの世界から遠ざけるように、

 もう瞳に映すべきものは何もないと言っているように。

 刹那、体が軽くなった。


 今度こそ直観した。

 ――還ると。


「ルティッッッッ!!!!!!!!」


 純白のツタの合間から、アリィの心臓に炎の剣が突き刺さるその瞬間が見えた。


「ッッッ――――――!!!!!!」


 心の中で叫んだのか、声に出ていたのかわからない。

 意識が遠のいていく中、最後に見えたのはアリィの周りに純白の魔法陣が輝いていたことだけ。





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