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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode23.2


「ヤツリカ、この美しく貴重なアダグラスを破壊せんと剣を振るう野蛮な人間がいたのだ。今すぐ追い出すべきだと思うだろう」

「まあ、氷月の雫(ルプル・ティーア)を採取するからと500本ほど氷木を切り倒したお方ですの?」

「……誰かと問われれば、私はオーリンだ」

「存じ上げてますわ、わたくしの夫ですもの」


 ニコニコと笑うヤツリカと呼ばれた女性と、無表情のオーリンと呼ばれた妖精は、何とも言えない雰囲気で話し始めた。なぜだか話が噛み合っていないと思いつつ、アリサーは剣を握り直す。


「わたくしもオーリンも、闘いは好みませんのよ。物騒なものはしまって欲しいですわ。大丈夫、安心して。貴方を傷つけるつもりは全くありませんから」


 アリサーのちょっとした動きに目敏く反応したヤツリカが、穏やかに言った。だからといって、得体の知れない存在を目の前に剣を収めるわけにもいかない。ただでさえ、体調が万全ではないのだから。


 その様子が伝わったのか、僅かに目を細めたオーリンが静かに深呼吸をした。何かを感じ取ろうとしているかのような行動だ。唐突なその行動にアリサーは怪訝な視線を送る。


「ふむ」

「調子が悪そうですわね。えっと……ごめんなさい、お名前を聞くのを忘れていましたわ」

「……」


 少し思案して、アリサーは顔につけていたお面を取りながら名乗った。


「アリサー・ミルフィス」


 吉と出るか凶とでるか、ものは試しだ。もはや隠しておく理由はない。

 名前に反応したのか深紅瞳に反応したのか、はたまた別の何かかは分からない。だが、確実にヤツリカは僅かに目を見開いた。が、すぐに表情は柔らかいものに戻っていた。


「オーリン、彼を治せますか?」

「造作もない。だが、治す理由がない」


 妖精が善意だけで何かをすることはない。必ず対価が必要になる。それが、恩恵を受ける人物の笑顔もあれば、命であることも。彼らにとっての価値と、人間にとっての価値が同等であることはない。それ故に、彼らの言葉にそう簡単に耳を傾けてはいけない。


 両親を失ったあと、ゼオセァルヴィの元で酷い仕打ちに耐え続けていた日々に聞き得た情報だ。薬草の香りと感情を押し殺した少女の声が鮮明に思い出された。


「アリサーさん?」


 はっとして彼女を見る。

 深い思考に落ちていた意識が、ヤツリカの声で現実へと引き戻された。相変わらず穏やかな笑顔で「どうするのか?」と問いかけている。


 すでに自分の中で出ていた答えを口にした。


「妖精に頼み事はしない」

「そうですか」


 軽く頷いたヤツリカは、近くにあった氷の岩に腰掛けた。

 ひと息ついて、その場に落ち着く。


「無理強いはしませんよ。ただ、昔のよしみでひとつ教えて差し上げます。雪花(せっか)が咲く場所に深い眠りにいる子がいますわ。間違えてオーリンが氷岩を砕く前に起こして差し上げてください」

「深い眠り?」

「“雪花に流るる涙 幻想(ゆめ)で歌う心に今寄り添わん 砕くは想いか呪いか”。生まれた命に罪はありませんもの。自由であるべきですわ」

「ヤツリカ、向こうへ行く」


 アリサーが質問をする間もなく、意味深な言葉を口にしたヤツリカはオーリンに手を引かれる。


「久しぶりに会えて嬉しかったですわ。今回は一体、誰の願いが叶うのかしら」

「……?」


 彼女の言っていることが理解できず、首を傾げた。しかし、ヤツリカとオーリンの視線はすでにアリサーから逸れていた。




 陽が傾きかけた頃、仄かな光を纏った雪の花が足元を照らした。ひとつ、ふたつと光が灯っていく。


「これは……?」


 ふとアリサーはヤツリカの言っていた雪花を思い出した。雪花というものは知らない。だが、今目の前で見ているものがきっとそれだと直感した。不思議な光を纏った雪花はまるで誰かをいざなうように咲いている。それを見て、自然と足が動いた。


 どこに向かっているのかはわからない。一歩一歩進むにつれ、空気が澄んでいく感覚がする。辺りは変わらず氷で覆われているのに、雪花はなぜか生き生きと見える。すると、足元ばかり見ていたアリサーの視界が唐突に開けた。目に映ったその光景に、絶句する。


「なん……だ、これ」


 仄かな光を纏った雪花が一面に咲き誇り、その中央で透明に透き通った巨大な氷塊がそびえ立っていた。薄暗い白銀の世界が暖かく色づいている。光の粒が踊るように漂い、幻想的なまばゆい空間を創り出している。その光景は、美しいという言葉だけで表現できるものではなかった。


 我に返ったアリサーが一歩踏み出したその時、縦に細長い氷塊の中に何かがいることに気が付いた。じっと目を凝らしてその姿を捉える。ゆっくりと歩み寄っていたはずが、気づけば雪花の上を駆けていた。


「ソル、ティアッ……!」


 驚くほど冷たい氷塊に手を這わせ、アリサーは見上げる。

 『なぜここにいるのか』という疑問よりも『見つけた』という安堵の気持ちが心を占めていた。氷塊の中で、連れ去られたはずのソルティアが眠っている。美しい彫刻のようにぴくりとも動かない。生きているのか死んでいるのかすらわからない。だが、ヤツリカの言葉通りならソルティアは深い眠りの中にいるだけだ。


「っ剣で砕くのは……危険だな」


 氷塊を砕けば、中にいるソルティアを傷つける可能性が高い。どうすればこの氷塊を壊すことができるのか。視線を手元に移して、アリサーはやっと気が付いた。手の震えが増し、焦点が合いにくくなっていることに。明らかに毒の症状が悪化している。


「くそっ」


 毒の回りが想定以上に早い。氷谷という環境のせいで、冷気が体を蝕んでいることに気づくのが遅れた。ソルティアを救う前に自分がこの場で倒れてもおかしくはない。深呼吸をしたアリサーは額を氷塊につけて瞳を閉じた。


「ソルティア、君の願いは何だろう? あの頃、俺は身勝手にも君を縛り付ける全てから解放すればいいんだと思っていた。だが……それは過ちだったと気づいた。浅はかだったよ。君の行いを許すことは一生できないけど、俺が君を傷つけたこともまた事実だ」


 そっと氷塊から離れ、アリサーは剣を左手に持ち替える。そして躊躇いなく右手で刃を掴んだ。鈍い痛みと共に、赤い血が剣を伝う。どくりと、漆黒の剣が呼吸をした。


「だから、俺は君の行動の意味を知りたい。何を感じて何に心が動くのか。何を憎んで何に悲しむのか。それでやっと、俺は君を理解できると思う。人と魔法使いは理解し合うことを恐れたまま突き進んでいるんだよ。俺と君から始めよう。終わらせるために始めるんだ」


 短く息を吸い、アリサーは漆黒の剣を氷塊に突き刺した。


「俺たちはもう、あの頃のように弱くはないからッ!」


 叫んだ直後、紅黒い光と白銀の風が氷塊から噴き出した。氷塊を中心にそれらは空気を揺らし、辺りの氷を溶かしていく。もの凄い風圧と衝撃にアリサーは必死に剣を掴む。


 刹那、頭上で音がした。


「ッ!?」


 氷塊に僅かなひびが入っていた。

 やがてそれは大きなひびを増やしていく。

 そして、決定的な亀裂が氷塊に走った。


「ソルティアッ!!!」


 崩壊した氷塊から落ちてきた魔法使いの少女に、アリサーは手を伸ばした。


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