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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode23.1 代償Ⅱ


 イルディークと隣同士のベッドに横たわって、傷を癒していたアリサーの元へ慌ただしい足音が近づいてきた。ユリィの診療室の扉が大きく叩かれる。


「失礼しますっ」


 慌てた様子で現れたのは特殊部隊隊員のフェナンドだった。いつも以上に真面目な表情の中に、明らかな緊張の色がある。


「静かにしなさい、怪我人がいるのよ」


 そんな彼を諫めるように医師のユリィが注意した。しかし、その言葉は届いていないようだ。


「どうした、フェナンド」

「イルディーク先輩、療養中申し訳ありません。たった今、本部から情報が入りました。魔法使いの集団によって、本部が襲撃を受けています」

「はっ?」


 起き上がりかけていたイルディークの体は、完全にベッドから起き上がり、布団をはぎ取り地面に足をつけていた。隣のベッドにいたアリサーも素早く起き上がるが、一瞬の眩暈で片手をつく。体が氷のように冷たいのを強く感じた。


 イルディークが詳しい状況を聞くため、フェナンドに話の続きを促す。


「現在の状況は?」

「数は二十。魔法陣魔法を駆使しているため、手こずっているようです」


 魔法陣魔法という単語に眉を寄せたイルディークは、腑に落ちない表情で首を傾げた。


「数はたったの二十だろ? それに手こずるほど本部の守りが脆いはずは……」

「それについては自分も疑問に思っています。ですが、ひとまずイリス隊長が応援に向かわれましたので、我々は待機とのことです」

「……隊長が?」

「はい。運良く北にいたそうで、こちらに情報が入ったときにはすでに本部に向かわれている際中でした。独自の情報収集ルートでもお持ちなんでしょうか」


 イリスの行動力と迅速な対応に、フェナンドは『さすがは隊長だ』と感心している。一方、イルディークは複雑な顔をして押し黙った。二人のやり取りを無言で聞いていたアリサーは立ち上がる。手先の感覚を確かめると、扉へ向かう。


「ちょっと、アリサー! そんな状態でどこに行くつもり?」

「あっ、アリサー隊員。イリス隊長から伝言がある」


 医師であるユリィの制止と同時に、フェナンドがアリサーを呼んだ。


「伝言?」

「クロッケンダス山脈のひょうごくに行くようにとのことだ。その毒の解毒薬があるらしい。ただし、一人で」

ひょうごくって……」


 フェナンドの言葉にいち早く反応したのはユリィだった。険しい顔でアリサーを見つめる。その瞳には心配の色が映っている。


「ユリィさん、氷谷をご存じなんですか?」

「ええ、まあ……。詳しくは分からないけど、何千年も氷で覆われた渓谷で、真夏の日差しが照り付けてもその氷は解けない場所よ。人が体を休めるところがないから、開拓もほとんど行われていないし、ましてや一人で行くのは危険だわ」

「そんな場所があったのか……」


 ユリィの説明に驚くイルディークや、フェナンドを横目に見ながら、アリサーは歩き出した。それに気づいてイルディークがぎょっとする。


「お、おいっ! お前、そんな状態で行けるわけないだろ!」

「解毒薬が氷谷にあるなら、行く以外の選択肢はないです。フェナンド、バランに転移魔法陣を描くように伝えてくれ」

「りょ、了解」


 有無を言わせない雰囲気に、フェナンドは思わず了承していた。すぐにはっとしたが遅い。『このばか』というイルディークの呟きと、ユリィのため息が部屋に広がる。それを背中で聞きながら、アリサーは診療室を後にした。







 オルセイン帝国とテルーナ王国を隔てるクロッケンダス山脈。その中に存在する氷谷は、一面が氷に覆われている。草木だけではない。地面やその場から見る空さえも、氷に覆われたように映る特殊な渓谷。鳥のさえずりや川のせせらぎの代わりに、ここでは氷同士がこすれる鈴にも似た美しく繊細な音があちこちで聞こえる。


「寒さを……感じない?」


 見渡す限り白銀の世界だというのに、アリサーは思っていたよりも寒さを感じていない。だから、周りに誰もいないのをいいことに、答えのでない独り言を口にした。



 イリスからの伝言を受けてすぐに、テルーナ中央支部からバランが描いた魔法陣でアリサーはこの氷谷にきた。幸いにもバランが氷谷を知っており、ピンポイントで転移先を指定できたことが時間の短縮になったのだ。


「解毒薬って……」


 伝言の内容によると、ここに解毒薬があるということだったが、目ぼしいものは見当たらない。いつか見たソルティアの調合の様子を思い出して、草花を探してみたが氷漬けにでもなっているのか全く見つからないのだ。ただ時間だけが過ぎ、体のふらつきも増してきた。これ以上、時間を無駄にしてはいられない。


「いっそのこと」


 そう呟きながら、帯刀していた剣を鞘から抜いた。氷漬けにされた木に狙いを定める。溶けない氷ならば、砕けばいい。そんな考えで、アリサーは躊躇なく振りかぶる。


「――なんて野蛮な」

「っ!?」


 刃が木に届く直前、聞こえてきた声にアリサーの動きが止まった。流れるように剣の切っ先は、声の主へ。


「何者だ」

「ふむ」


 ぴたりと首にあてがわれた漆黒の剣に、全く動じず男は無表情だ。深い緑色の長い髪に、片眼鏡をした人間離れの美貌を持つその男は、ゆっくりと2本の指で剣を弾いた。


「っ!」


 軽い動作だったにも関わらず、勢い良く振り払われたかのような力にアリサーは驚いた。改めてじっくりと男を見る。威圧的でもあり、どこか儚さも併せ持った雰囲気を纏っている。ただの人間ではないと確信した。


「……妖精?」

「ほう。視える眼を持っているのだな。人間にしては珍しい」


 男は変わらず無表情だが、妖精であることを否定しなかった。見た目は全く違和感のない人間の姿だ。力を使わず街中にでもいたら、アリサーですら気づかなかっただろう。目を引く造形で目立ちはするだろうが、それはまた別の話だ。


「あなた、先に行かれては困ってしまうわ。凍死でもさせるつもりですの?」


 男を追ってきたように、彼の後ろからひょこっと女性が現れた。

 分厚い服を何枚も着重ね、ニットの帽子にふわふわの耳当て、そして赤色の毛糸で編まれた手作りのような少し不恰好な手袋をしている。足元も、動物の毛皮で造られたような丈夫そうな靴を履き、とにかく全身防寒をした姿だった。元の体の大きさが分からないくらいには着込んでいるだろう。黒色の瞳を持つ彼女の吐く息は、真っ白。

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