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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode20.1 鮮やかなる日々Ⅱ


 朝と夜の祈祷が終わる頃、アリィと名乗った黒髪の少年はソルティアを訪ねによくやってきた。修道院で育ったソルティアが知らない街の話や彼の家族の話をただ静かに聞くのが、ここ数日の日課だ。不思議なことに、アリィはソルティアに対して余計な詮索をしてこなかった。だから、ソルティア自身も身構えずに彼の隣にいることができるのかもしれない。


 いつものように穏やかに話していた声がふいに止んだ。


「どうしたんですか?」


 月明かりがさしこみ、澄んだ空気が漂う礼拝堂の中央に座りながら、ソルティアはアリィに問いかけた。長椅子の上で仰向けに寝そべる彼はぽつりと呟く。


「妖精って本当にいるのかな」

「え?」


 思わず彼の方を振り返った。

 僅かに強張った体に違和感を覚えながら、恐る恐る聞き返す。


「なぜそんなことが気になるんですか」

「そりゃあ、気になるよ!」


 勢いよく起き上がったアリィは目を輝かせて言う。


「自分とは違う存在と友達になれたら楽しそうじゃないか。おれが一生かけても体験できないことを知っているかもしれないし、想像もつかない景色を見せてくれるかも」

「気味が悪くはないんですか」

「……なんで?」


 人は、自分たちと違うものを本能的に排除しようとする。人によって方法や度合いが異なっても、本質は同じだ。だから何千年が過ぎようと、人と魔法使いは分かり合えていない。それなのに、アリィは質問の意図がわからないのか、それとも本気で「なぜそんな風に思うのか」と聞いているのか真顔でまっすぐにこちらを見た。


「想像のつかないもの、理解の及ばないもの、それらを忌み嫌って人は平気で他を排除しようとします。わたしはそうやって傷つけられてきた人々をここで多く見てきました」


 長椅子から離れゆっくりと近づいてきたアリィは、両ひざをつき目線を合わせた。今までで一番、距離が近いところにいる。こげ茶色だった彼の瞳が、どことなく赤み掛かっているのに気づいた。


「どんな言葉を言っても君が見てきたものが変わることはないけど、少なくともおれは? おれが『自分と違うから』という理由で誰かを傷つけると思う?」

「……その時になってみないとわかりません」

「わかった」


 短く頷くと、アリィはその場に立ち上がった。

 そのまま無理やりにソルティアを立たせる。


「な、なんですか」

「おれが、君を傷つけるような人間でないことを証明するよ。そうじゃなきゃ、一緒になんていられない」


 少し悲しそうに、だけどどことなく怒っているような表情のアリィが、しっかりとソルティアの藍色の瞳を捉えた。


「ついてきて」

「どこにいくんですか。夜は警備兵が巡回してますよ。それに……」


 すでに手を引いて歩き出したアリィは僅かに口角を上げた。



 それから、彼は警備兵の動きを熟知しているかの如く修道院内を歩き回り、ソルティアでさえ知らない外と繋がる道へと案内した。農具や工具をしまっている倉庫の裏にその小さな穴がある。子供でなければ通ることは難しい大きさだ。そしてなぜか、そこに無ければいけないものがなかった。


「結界が……ない?」


 血の気が引いていく。

 普通の人間には分からないように、修道院は周囲に結界が張られている。結界を作り出したのはソルティア。しかし、師匠の指示で結界の維持という名目で実際に管理を行っているのは、別の魔法使いだ。階級的には助修士だが師匠が珍しく、『センスが良い』と褒めていたはず。それなのに、結界に穴があるなど考えもしなかった。結界の維持をしている本人が気づいていないなんて、あり得ないことだ。


「ん? 何か言った?」

「いいえ……何でもないです」


 怪訝に思いながらも、ソルティアはアリィの後に続き、”仕事”以外で初めて修道院の外へ出た。



「どこに向かっているんですか」


 しばらく歩いてから、無言だったアリィに問いかける。方向的に行き先は、修道院の裏にあるリリ・ド山だ。それほど険しい山ではないが、ある場所を境に濃霧が立ち込めるため夜は特に危険な山になる。


「リリ・ド山だよ」

「それはわかってます。リリ・ド山のどこに向かってるんですか。道を知ってるみたいですけど」

「もうすぐ着くよ」


 その言葉にさらに眉を寄せた。

 まだ山の入り口だ。


 すると、唐突に彼は地面に転がっている手頃な黒石を二つ手に取った。そしてきょろきょろと辺りを見回して鋭く尖った深緑のミザの葉を千切ると、足元に置く。


「何を……」


 ただ見ていることしかできないソルティアは、彼の動きに釘付けになった。見覚えのあるその行為に物凄い違和感を覚える。


「見ててごらん」


 優しく微笑んだアリィは、二つの黒石を規則的に打ち合わせた。

 静かな山に石の音がやけに響く。

 刹那、不自然な濃霧が辺りを包んだ。


「これは……!」


 ぼやけた視界が開けたのは意外にもすぐ。


「………………なん、で」

「綺麗な場所だろう?」


 濃霧の先は、満天の星が輝く夜空が眼前に広がる丘だった。澄んだ空気に優しく頬を撫でる夜風。暗く辛気臭い夜の森など忘れたかのように、この場所だけ全てが穏やかだ。思わずソルティアは無言で魅入った。


「気に入ってくれたようで良かった。でも、ここを見せるだけが目的じゃないんだ」


 そう言ってアリィは自身の首に下げていた首飾りを取り出した。貝殻のように七色に輝く小さな宝石がついた、いたってシンプルなデザインの首飾りだ。何をするのかと見ていると、唐突にポケットから取り出した小型のナイフで指先を切った。


「なにをっ」


 驚くソルティアをよそに指先から滴る血を、首飾りに一滴垂らした。


「きっと父さんと母さんは怒るだろうけど、ルティにはなぜか隠し事をしたくないんだ」


 どこか悲し気な表情の中にほんの少しの怯えが見えるアリィが言った直後、ふいに風が強く吹いた。反射で目を伏せる。


「うっ……!」


 それは数秒の出来事。

 しかし体感はやけに長く感じた。

 やがてゆっくりと瞳を開くと、ある一点に視線が縫い付けられた。


「赤い瞳……」


 目の前に立つ年上の少年の瞳は、深紅に染まっていた。

 血のように深く、燃えるように鮮やかな魅惑の瞳。

 月明かりに輝くその瞳は焦がれるほどに生命の力強さが溢れていて、ソルティアには悲しいほど眩しかった。


「ははっ! やっぱり見せて良かった。ルティならきっと()()を嫌わないって思って……た……――」


 ソルティアの呟きに対してアリィは花が咲いたように顔をほころばせた。が、ほんの一瞬、その瞳を見つめていなければわからないほどの刹那、僅かに彼は驚きの表情を見せた。すぐにそれは消えたが、ソルティアにははっきりとそれがわかった。


 さきほどの行動といい、よくわからない胸騒ぎといい、ソルティアは無意識に後ずさる。


「ルティ?」


 これ以上、彼と関わってはいけないと本能がいっている。

 妙な渇きにごくりと喉が上下した。


「確かに、アリィはさっき私が言った『違いを忌み嫌って傷つける側』でないことは理解しました。あなた自身が、きっと人々の中では異物だと判断されてしまうから」

「うん、そうだね。だから父さんはこの首飾りをくれたんだ。父さんの家系に代々受け継がれてきた家宝なんだって。俺みたいに深紅眼を持つ者を守ってくれるらしいよ」


 両親を想っているのか、アリィは嬉しそうに首飾りを握りしめる。

 その姿を見ているとなぜだか高揚していた気持ちが冷めていった。


「……ここに来るあの方法はどうやって知ったんですか」

「ん?」

「そもそも、あれが一体何か知っているんですか!」


 全身が火照り、頭がぼうっとする。

 まるで魔法で精神を支配されそうになっている時のように。


「自分がやったことの意味をっ……うぅっ!」

「ど、どうしたんだっ?」


 驚いた顔のアリィが歪む。

 激しい耳鳴りに耳を塞ぎ、頭を振った。


「あれはッ……まじな――うぁっ!」


 歪んだ視界でアリィが叫ぶ。


「ルティッ!?」


 自分の中で、何かが弾けた。

 突然の体の変化に、伸ばされたアリィの手を掴むことができなかった。


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