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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
38/63

Episode19.2




 意識が深く深く沈んでいる気がする。だが、とても心地良くゆらゆらと揺れてここから出なくてもいいかなと思わせる。そんな感覚に全てが囚われている。だからもうこのまま憎しみも悲しみも焦がれる愚かな気持ちも全てを手放して、身を任せよう。



 ふと意識が覚醒した。瞳を開けると、いつもと同じ天板が映る。柔らかく手触りの良い寝台から身を起こすと、両脇から垂れ下がる薄い布越しに幻想侍女が声をかけてきた。


「ソルティアお嬢様、お目覚めですか」

「……おはよう」

「本日は礼拝堂にて朝の祈祷をしていただきます。まずは薬湯で身を清め、次にアヴァリスの香油で――」


 一日の流れを機械的に並べ立てる幻想侍女の言葉を聞き流しながら、寝台の上で大きく伸びをした。ここは窓のない部屋であるため外の様子は分からないが、天井の天空魔法はうっすらと夜が明けて澄んだ空気が漂う景色を映し出していた。礼拝堂や神殿など修道院内の朝の掃除を助修士たちが始める時間だ。役割は違えど、主席修道女である自分も彼らと起きる時間は同じ。


 幻想侍女の手を借りながら身支度を済ませ、礼拝堂に向かった。




 床を引きずるほど長い純白の修道女服を着て、ソルティアは礼拝堂の中央に座った。白濁した大理石でできた広い礼拝堂はしんと静まり返っている。両脇に並ぶ木製の長椅子に人の姿はない。それを確認して、魔晶石でできた耳飾りに触れた。


「ふぅ……」


 意図的に絶っていた自然との調和を取り戻す。解放感とは違う、何か大きな力に引き寄せられるようなそんな感覚は何度経験しても慣れない。だが、不思議と怖くはなかった。


 心を落ち着かせる効果のあるエザーフートの葉が詰め込まれた座布団の上で前方の巨木のガラス細工を見上げる。全て魔晶石でできたそれは朝焼けが反射して神々しい光を放っていた。それを全身で浴びるように静かに目を閉じた。


「……――――」


 祈りを捧げるのは、かいじゅ

 魔力の源であり、生命が生まれ還る場所。父であり母なるの大樹だ。どこに存在するのか、どうすればその真価に触れられるのか誰にもわからない。だが、世界樹が現れたとき最も強い願いが叶うと魔法使いの間で脈々と言い伝えられてきたこと。


 古い言い伝えには意味があり、この世には触れてはいけない神聖な領域がある。自然との調和を感じ取れる魔法使いであってもそれは変わりない事実だ。もしそのことわりに反することがあれば、その時はきっと大きな代償を払うことになるだろう。




 きっかり2時間。魔力の源となる、ここではない場所に沈めていた意識を、徐々に引き戻した。早朝からすっかり温かい空気に変わった礼拝堂で、ふわふわとする感覚のままぼんやりしていると、微かな物音に一気に覚醒した。


「誰っ!?」

「――――うわっ!」


 叫びながら振り返ると、最後尾の長椅子の足に躓いた何者かが、床に身を投げ出した。鈍い音が礼拝堂内に響く。


「……………」

「いててて」


 吸い込まれてしまうのではないかと怖くなるほど美しい漆黒の髪を持つ少年が、そこにいた。慌てて身を起こした少年は、ソルティアよりも少し背が高く端正な顔はまだほんの少し幼さが残っている。


 気まずさを隠すように苦笑した顔が、綺麗だと思った。口数の多くないソルティアはそんな気持ちを隠すように口火を切った。


「礼拝堂への立ち入りは禁止です。修道院の者ではないですね。迷ったのですか」

「えっと……邪魔をしてごめん。君は見習いの修道女、かな?」

「見習い…………」


 思いもよらない問いかけに呆気にとられた。


 修道院内の階級は明確に区切られている。穢れなき純白に、金色の刺繍が入った服を身に着けられる人物は、全ての助修士たちを束ねる修道女もしくは修道士と決まっている。それを知らない修道院関係者はいない。しかも、ソルティアはその中でもさらに特別だ。アヴァリスの花をかたどった髪飾りをつけ、禁域に唯一入れる主席修道女においそれと話しかける者などいないのだから。


「あ、あれっ? ごめん、違った?」


 否定も肯定もしないソルティアの様子を見て、不安になった少年はさらに気まずそうに笑った。こげ茶色の瞳がまっすぐにこちらを見ている。


「……いえ、合っています」


 その瞳を見て、ソルティアは思わず彼の問いかけを肯定してしまった。なぜそんな答えをしてしまったのかはよくわからない。だが、その答えで少年の表情が一気に和らいだ。


「おれは昨日から修道宿舎で母さんとお世話になってるんだ。朝のお祈りに来たんだけど、もしかして場所が違うのかな」

「場所は合っています。時間が早いんですよ」

「なるほど! 通りで人とあんまりすれ違わなかったのか」


 信仰の深い熱心な信者は、修道宿舎で数日泊まり込むことがある。少年の母親はきっとその類の人間なのだろう。彼はよく知りもせず連れてこられ、暇を持て余しているのかもしれない。


 ひとまず礼拝堂から少年を出させようとソルティアは立ち上がりかけ、はっとした。


「ぁっ……」


 慌てて魔晶石でできた耳飾りに触れ、自然の調和を断ち切る。ソルティア自身は気にも留めていないが、この行為をしている間は魔力が自分の意志に関係なく周囲に集まってくる。魔力は普通の人間にとっては毒だ。


「どうしたの?」

「……何ともないんですか?」


 しかし、少年はきょとんとした顔で近づいてきた。苦しがる素振りはない。ゆっくりと立ち上がるソルティアに手を伸ばしてきた彼の手を少し見つめてから、壊れ物に触れるようにその手を取った。


「えっと、ごめん。何が?」

「いえ…………何でも、ないです」

「そう?」

「はい。それより、今からここには助修士たちが清めの儀式を行いに来ます。見つかったら大目玉をくらいますよ」

「えっ、それはまずいや! 行こう!」


 なぜか少年に手を引かれ礼拝堂を出ようと催促される。ぐいぐいと引っ張る力を、不思議なことに振り払う気にはならなかった。


「ちょっ」

「ほら、早く早く!」

「……っ」


 思わず長く鬱陶しい修道女の上着を脱ぎ棄て、ソルティアはしっかりと彼の手を握った。


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