Episode19.1 鮮やかなる日々Ⅰ
北の帝国オルセイン北部。険しい山脈が連なり魔力が濃く漂う鬱蒼とした森のさらに深い場所。幻想霧が視界を遮り、外界との接触を一切許さない空間にエルタニアサス大修道院の秘地があった。変哲のないただの洞窟に入ると、見かけからは想像もつかない厳かで不気味さの漂う神殿が現れる。
迷路のように入り組んだ道を魔力の道標なしに歩くことは不可能。魔法使いであるか、それ以外の方法を持っていなければたどり着けない造りになった魔境の地。ひんやりとした空気が辺りを包みどこに何があり、どこと繋がっているのか、把握している人間はおろか魔法使いさえもいない。
「師匠!」
メランダが師を呼んだ。彼女がいるのはその秘地の中で一番広い空間。壁や床には魔晶石が美しく輝き、天井には星が煌めいている。薄暗い空間でもそれらの光が辺りを仄かに照らしていた。中央にある木で編まれた大きな椅子には金色の瞳を持つ白髪で30代前半ほどの男が座っている。背丈以上の長い服の裾は横になびき、ゆったりと座す姿はまさに王者の風格。
「ティアの様子は」
「金色の鳥かごに入れたままだと衰弱死と魔力暴走の可能性があったので、師匠からお預かりした迷夢の魔法陣で意識を沈ませ氷谷に眠らせています。第三の日まで眠らせ、全ての準備が整ったら師匠の手で彼女の禁制を解くのが宜しいかと」
「ご苦労」
その一言で、メランダの顔には満面の笑みが咲いた。ただ機械的に放たれた言葉なのに、メランダは誰が見ても分かりやすいほどに浮かれている。
「嬉しそうだね、メーディ……じゃなくてメランダ」
「イズリット、あんたがいなければもっと嬉しかったけどねぇ~~~~~~」
「ははは。だろうね」
メランダが入ってきた道とは別の道から現れたのは、柔和な笑みを浮かべた三十代半ばの男性。左目には黒い眼帯がついている。耳にかかる深みのある茶髪は綺麗に切り揃えられており、小さな金色の魔晶石がついた耳飾りが耳元で揺れていた。ゆっくりと歩み寄ったイズリットは中央の椅子に座る魔法使いに話しかける。
「尊主、報告です。西のテルーナ王国における最終準備が完了しました」
「魔法陣の展開は」
「西のサンクチュアリ中央支部の密偵が手筈を整えています。いつでも首都を囲む三か所の魔法陣を展開できますよ」
「……たった8年がとても長く感じた」
イズリットに“尊主”と呼ばれた古の魔法使いゼオセァルヴィは天井の星々を仰いだ。ゆっくりと息を吐くと、僅かに口角を上げて言う。
「ティアはそのまま氷谷で眠らせておくといい。すでに8年前、尽きるはずだった命だ。魂が深く傷ついていようが世界樹を喚ぶ器として、なくてはならない存在なのだから」
「畏まりました。尊主の望みが全て叶った後は……?」
目を伏せていたイズリットはゼオセァルヴィを窺うように視線を上げた。
イズリットから見たこの男は生きることに執着しない空虚な存在で、ある女性のためにどんな犠牲も厭わない一途で情熱的な魔法使いだ。そして、憎悪の炎で身を焦がし続ける愚かな生き物。
しかしイズリットは、想い人のために全てを賭けられるゼオセァルヴィがとても羨ましいと思っていた。かつて自分はそれができなかったから。その代償がこんなちっぽけな痛みであることも耐えがたい屈辱だ。そんなことをふと思ってイズリットは無意識に左目の眼帯に触れていた。
「そんなことあんたは知らなくていいのよぉ~~! ふかふかの椅子に座ってエルの教皇でもやってなさいよぉ~~」
「すでに5年も前から世界考古学研究所エルタニアサスの教皇なんだけど……」
「表向きは、でしょぉ~~~~~? あんたがもっと刺激的にサンクチュアリに喧嘩を吹っかけてたら面白かったのにぃ~~~~。何を躊躇ってるんだか~~~~!」
「思慮深いと言ってほしいんだけど……って、わたしへの駄目だしはまた後にしてくれるかい? もう一つ報告があるんだ」
ふんっと鼻を鳴らしたメランダはイズリットから視線を外した。誰にでも噛みつくメランダの性格は相変わらずだ。苦笑しながらイズリットは姿勢を正して報告に戻る。
「アンのおかげで原料のトイシュンは焼き払えましたが、サンクチュアリが保持している麻痺薬がもう少し残っているようです。ですので、どこかで彼らに麻痺薬を使い果たさせる方が良いかと思われます。代替麻痺薬も効能はトイシュン由来の麻痺薬の三分の一ですし、今が絶好の機会です」
「良いだろう。そなたらの考えではどこが良いのか?」
メランダが面倒なことを言う前に、イズリットは口を開いた。
「出し惜しみさせず確実に使用させるために、サンクチュアリ本部を叩くのが良いかと。もちろん守りは強固ですが、今回の目的は麻痺薬を使い果たさせることです。丁度、ウォルニ修道院の彼らの力試しにもなるのでは?」
その言葉にぱっと表情を明るくしたメランダが一歩前に出た。
「緑華のレーダンねぇ~~~~!」
意気揚々と話し出したその姿を見てイズリットはほほ笑む。
「あたしがみっちり鍛えたんだから、魔法陣魔法はもちろん、魔物の扱いもばっちりよぉ! たとえ愚図でのろまな奴がいて捕まったとしても、綺麗さっぱり命を絶つ方法を教えてるわぁ~~~~! 肉体は灰になるから分析の心配もなしぃ~~!」
エルタニアサス大修道院のひとつ、ウォルニ修道院で養育された戦闘魔法の精鋭、それが緑華のレーダン。彼らを導いていたのはメランダだ。魔法使いであった頃から育てていたため、メランダとしても思い入れは強い。もちろん、弟子たちとしてではなく駒として。
「魔法陣魔法に特化した魔法使いたちである緑華のレーダンは二十名ですから、人数的にも十分だと思います」
イズリットがメランダの言葉を補足すると、彼女はその場で片足をついた。真剣な表情でゼオセァルヴィに告げる。
「師匠の悲願まであと数日です。緑華のレーダンを引き連れて今すぐサンクチュアリの本部に向かいます! どうか、ご許可を!」
「……イゼルの血を継がぬ者が治めるサンクチュアリなどに興味はない。好きにしなさい」
眉間に皺をよせ、こめかみを押さえながらゼオセァルヴィは答えた。機嫌と体調にムラのある古の魔法使いは、先ほどよりも気分が良くなさそうだ。深く椅子に体を預けると軽く手を振ってこの空間からの退出を促す。メランダは笑顔でもと来た道へ戻っていき、イズリットも軽く頭を下げると、踵を返した。




