Episode18.2
連れてこられたのはユリィの診療室。すでにイルディークが治療を受け、横になっていた。深手を負ったイルディークは絶対安静が必要で、すぐに任務復帰は難しい。顔色が幾分か良くなった彼の顔を見て、アリサーは少しほっとした。
「ユリィ、怪我人1人追加だよ。……アリサー」
「報告に行かせる前に寄らせてよね、まったく」
イリス相手に少しもおくびれることなく嫌味を言うユリィに、横になったままのイルディークが苦笑した。その弾みで痛みの走った横腹をさする。
「いてて……アリサーお前、レイン・ゲッテンに刺された傷はどうなんだよ」
「刺されたですって?」
カッと目を見開いたユリィが手荒くアリサーを座らせ、体を見回した。すぐに右腹付近に刺し傷を見つける。手早く治療を施していくが、ふとその手が止まった。薄紫色の瞳は細められ、じっくりとアリサーの顔を見た。
「体温が低いのは普段から?」
「……いえ」
「目眩はある?」
「……若干」
「自分の傷口を見て。紫色に変色しかけているの、わかる?」
そう言われて、アリサーは自分の傷口に視線を落とした。よく見なければわからないくらいの変色だ。確かに手先はいつもよりも冷たいが、やはり疲れているからだろうと結論付けた。だが、ユリィは険しい顔でイリスを見て言う。
「毒に侵されてるわ」
「なんだって!? レイン・ゲッテン、あの魔法狂信者野郎! ナイフに毒を仕込んでたんだなっ!……って、な、何だよ」
アリサーの状態を見たユリィは再びイルディークに向き直った。
「言っとくけど、あんたも毒に侵されていたのよ」
「ええっ!?」
「解毒は?」
ユリィの言葉にイリスが眉を寄せた。イルディークの傍に立ちながらユリィに聞く。
「もちろんすでにやってある。けど、アリサーの毒はまた別だわ。毒の種類がわからないから解毒薬の作りようがない」
「そんな……」
イルディークが驚愕の声をもらした。腕組みをしたイリスは何かを考えこみながら黙りこむ。その様子を見たアリサーは静かに言う。
「猛毒ならすでに体が動かないはずですよね。つまり、遅効性の毒ということだ。体中に毒が回る前に何か手だてを探せばいい」
「お前、そんな簡単に……」
「こんな時ソルティアがいれば役に立ちそうだけど、仕方ないわね。今わかっているのは、サンクチュアリに保管されている研究資料や書物の中にはこの毒に関する情報はないということよ」
その言葉であることに思い至ったアリサーはちらりとイリスを見た。彼女も同じことを思っていたのか、天井を見上げてため息を吐いた。
「サンクチュアリが生き物専門なら、エルタニアサスは無機物専門。あそこの大所蔵庫なら毒に関する珍しい書物もある可能性は高いね」
しかし、エルタニアサスが簡単にこちらに手を貸すとは思えない。だからユリィもイリスも険しい顔をした。取引を持ち掛けるにも何か相応のモノが必要だ。エルタニアサスとの衝突をできるだけ避けようとするサンクチュアリの上層部を説き伏せるのも一苦労だろう。
考えこんでいるイリスを見ていると、アリサーは自分の手が氷のように冷たくなっていることに気づいた。手だけではない。体全身が先ほどよりも冷たい気がする。
「おい、アリサー。お前、やっぱり顔色悪いぞ」
イルディークの言葉に反応して、ユリィが改めてアリサーを診た。
「毒性はさほど強くないし遅効性のものだからすぐに命の危険があるわけじゃない。けど、時間が経つにつれて体が冷気に侵されていくようね。このままだと……あと七日ほどで体が氷のように冷たくなって取り返しがつかなくなるわ」
「なんだって!? おい、アリサー。やっぱ駄目だ。悠長に手だてを探してる暇はない。隊長、本部に掛け合ってエルタニアサスとの交渉の場を設けてもらおう!」
痛みに顔をしかめながら、イルディークはベッドから起き上がった。自分もその交渉の場に行く気満々の様子にイリスは彼を軽く小突く。
「本部が……いえ、現統率者のあの男がアリサーのために波風立てるとは思えないよ。北に戻って手続きをしている暇もないしね。だから、ボクがひとりでエルタニアサスに行く」
「それって」
「もちろん、非公式。でもツテはあるから」
それだけ言うと、イリスは踵を返して扉に向かった。その後ろ姿にイルディークが神妙な面持ちで声を投げかける。
「ここでは隊長と呼べって言われてるけど、今だけは別だ。……姉さん、あいつと取引をしようとしてるんなら、俺は反対だからな」
「余計なことは考えず、イルは怪我を治すことに専念していなさい。アリサーもだよ」
振り返らずにそう告げると、イリスはそのまま部屋を出て行った。
“あいつ”とは一体誰のことを言っているのか見当がつかなかったが、イルディークの表情を見てアリサーは聞くのをやめた。温厚な性格の彼には珍しく、心配と軽蔑の色を含んでいたから。
「そういえば、ユリィさんにひとつ聞きたいことが」
唐突にアリサーはユリィに問いかけた。学術の園の地下室からずっと引っかかっていたことだ。イルディークの傷の経過を確かめながら、ユリィは耳だけを傾ける。
「何?」
「魔法を使用した際、その痕跡に“魔法の色”が残ることはありますか」
「魔法の色ってなんだ?」
特殊部隊員としては先輩のイルディークだが、アリサーの言葉に首を傾げた。少し考え込んだユリィが「ああ」と相槌を打って答える。
「魔力の質がとても高い場合は視覚的に色として漂うことはあるわね。でも、それも稀よ。魔力自体が具現化するなんて相当魔力の質が高い魔法使いじゃないとないことだから」
「魔力に色ってあるんだな。それってあれか、瞳の色と同じになるんですか?」
「その通りよ、イルディーク。瞳の輝きは魔法使いの証、瞳の色は魔力の証。だから、死にゆく魔法使いは瞳の輝きが濁っていき、瞳の色は失われていくわ」
「瞳の色が失われていくって何だ? どんな状況だよ」
「色が薄くなっていくってこと。例えば灰色のようになるとかね」
「へぇ~。……ん? 灰色の瞳? あれ、どっかで見たような……」
ユリィの言葉を聞いて、アリサーは世界が一変したあの日を思い出していた。湖の中、動かなくなった両親をこの腕に抱いて、銀色の瞳の少女を見上げていた悲劇を。いまだ鮮明に覚えているあの日、両親の体には微かな金色の魔力が漂っていた。
「……まさか」
古の魔法使いが世界の全てだったあの少女が流す涙の意味を、自分は知らないといけないのかもしれないと、今になって気がついた。




