Episode17.1 学術の園Ⅳ
合成魔獣保護の任務が終わったにも関わらず行方のわからないイルディークを探し回っていると、いつの間にかある建物に辿り着いた。二階建ての古びたその建物は、カローナがガラトリスという毒見鳥を放っていた芝生を庭園に持つ旧授業棟だ。構内の端に位置するため、やはり人気は少なかった。
「魔物、研究科……実験塔?」
よく目を凝らして見ると、入口に小さく『魔物研究科実験棟』と書かれている札がぶら下がっていた。案内をする気も主張をする気も全く感じられない書き方にソルティアは呆れる。おそらく魔物研究科長であるメーディが実験をする場所でもあるのだろう。
建物をじっと見つめるアリサーを横目に、ソルティアの足は不思議と建物の中へと向いていた。音のなる古びた扉を開くと以外にも中は綺麗に整頓されていた。学生たちも出入りをする場所のようで、使い込まれている感じは見受けられるが実験というわりにおどろおどろしい雰囲気はない。所詮、人間の学生たちがお遊び程度にやる実験だ。ソルティアの記憶と知識にある実験とかけ離れている様子になぜか安堵した。
「……なんだ? 何かが……変です」
階段は登らず、一階の廊下を歩き回っていると不意にソルティアは足を止めた。柔らかい黄緑色の扉の前に立つと学術の園に入ってからずっと感じている違和感がより強くなった。思わず扉に手をかけると、思った以上に重く押し開けられない。
「あ、あれ…………――おわっ!?」
再び力を込めようとした瞬間、後ろから伸びてきたアリサーの手が簡単に扉を開けた。行き場を失ったソルティアの勢いはそのまま体を前のめりにさせる。確実に転ぶ!と反射で体が強張った。
「あ……」
しかし、アリサーの腕が腰に回りしっかりとソルティアの体を支えた。ソルティアの動きが一瞬止まるが、礼の言葉ひとつしないですぐにその手を振り払った。アリサーを振り返らずに部屋の中へ侵入する。
何の変哲もない一般的な実験室。切ったり縫ったりをする金属の器具や対象生物を寝かせる大きな冷たい寝台。得体の知れない液体に浸かった様々な生き物の部位が入った透明な入れ物。棚には薬品が所狭しと並べられており、どこを見ても怪しい点はない。ふと天井を見上げるといくつか魔封じの効果を持つ魔晶石が埋め込まれていた。
「ただの人間が魔物相手に実験するんですから、まあ、これくらいは必要で…………ん?」
言いかけ、ソルティアは天井を見つめた。北向きに二つ、南により大きな魔晶石が一つ、東と西向きに等間隔で小ぶりなものが三つずつ。適当に埋め込んでいるだけではないその配置に既視感を覚えた。どこかで見たことのある配置だ。確実にどこかで。それがどこだったのか、いつだったのか思い出せそうで思い出せない。だが、思い出さないといけない気もするし、思い出したくない気もする。
動きの止まったソルティアに気づいて、アリサーも天井を見ていた。
「…………隔離の……魔法陣の原形?」
「ッ!」
弾かれるようにソルティアはアリサーを凝視した。時が止まったようなわずかな沈黙。驚きと不安のこもったソルティアの視線をアリサーは静かに受け止めた。“あの頃”に引き戻されそうになった思考を寸前で引き留め、込み上げてくる何かを必死に抑える。
彼から視線を外すと、わずかに震える足で焦るように実験室内を見回した。天井の魔晶石の配置が本当に『隔離の魔法陣の原形』ならば、必ずあるはずの扉を。
「なぜッ……そんなはずはッ……」
壁に沿うようにソルティアは歩く。震える足を必死に動かし冷たくなっていく指先をざらついた壁に沿わせる。“隔離の魔法陣”の知識があることも、それが“原形”であることも行き着く先は一つだ。どうか適当に並べたら似通った配置になっただけであってくれとソルティアは願う。それと同時にすでに諦めている自分がいて、心臓が強く脈打っていた。
「ッ!」
唐突にソルティアは足を止めた。数秒動きを止めると、どこでもない空間に瞳を泳がせ、零れ落ちそうな涙を耐える。胸が詰まるほど苦しいのは、過去の記憶からかそれともこれから目の当たりにする惨状を予見しているからか。どちらにしても避けられない悪夢だ。
深呼吸をして心を落ち着かせると、触れていた壁から指先を離し視線を足元に移した。ゆっくりと一歩、二歩と後ろへ下がる。床を見つめたまま、ソルティアは自身の指を強く噛んだ。指先から滴る赤い血液がぽとり、ぽとりと床に落ちる。僅かに顔をしかめると、その場に膝をつき床の上に指を走らせた。
字のような、絵のような紋様を描くと静かに口を開いた。
「固き結び 緩き綻び 流れるままに従わん〈トュリ・オル・ルディハラ・リーン〉」
赤かった紋様が銀色の光に包まれる。仄かな光はやがて天井の魔晶石までも光を帯びさせた。ゆっくりと床に亀裂が入り開かれたそこには地下へと繋がる階段があった。人ひとりが歩ける程度の狭さだ。ふわりと漂った鉄の匂いにソルティアは険しい表情を浮かべた。
「……入ります」
アリサーをちらりと見てからソルティアは不穏な空気が漂う地下へと足を踏み入れた。
階段を降りてまっすぐ続く薄暗い廊下を抜けた先。魔晶石でできた灯が広い空間を仄かに照らしていた。そして、目に飛び込んできた光景にソルティアは声を上げずにはいられなかった。
「もうっ……こんなの嫌ッッッ!!!!!!!」
地面を蹴って駆ける。
呼吸をするたびむせるほどの血の香りが胸を犯し心を揺さぶる。
広い地下室の床や周りの壁には赤黒いものがべっとりとつき、錆びた異臭が漂っている。中央天井からはいくつもの鎖が垂れ下がり生き物たちがぶら下がっていた。何一つ完全なものがない。そのさらに中央に魔物たちより小さな影を見つけた。
「イルディーク!」
金髪で少し童顔だったイルディークは両腕を鎖に繋がれ、変色した腹や脇腹が敗れた服の隙間から覗いていた。口元には吐血の跡が見られ、完全に意識を飛ばしている。だらんとして動かなくなったその悲惨な姿にソルティアは思わず途中で立ち止まってしまった。
これは、ただの拷問ではない。あまりにおぞましく、あまりにむごい行為。ソルティア自身の後悔の1つ。消せない過去の過ちだ。
「……脈が弱い」
イルディークの脈を確認したアリサーが呟いた。死んではいないようだが、確実にその時は近づいている。早く治療を施さなければ取返しがつかないことになるだろう。
ぐったりとしたイルディークを吊るしている鎖をアリサーが解こうとした瞬間。足元で何かが光った。
「ッ!」
それは反射だった。
魔法の発動をいち早く察知したソルティアの腕はアリサーを押しのける。一瞬のその間にアリサーは振り返りソルティアに手を伸ばす。しかし、あと数センチそれは届かなかった。
「うあッ!」
「ソルティア!」
あっと言う間にソルティアは鳥かごのようなものに捕らわれた。そしてすぐに気づく。宙に浮く金色の鳥かごは完全に魔力を遮断する効果がある。体から力が抜けていく感覚となぜか息苦しい呼吸に立っていられなくなった。
「なん……だ、これ……?」
「ソル――」
「あらぁぁ~~~~~~~~~~~!」
唐突に、こんな場所には似つかわしくない声色が響いた。どこか楽しむような、どこか嬉しそうなそんな女性の声。いつの間にか抜刀していたアリサーが現れた女性にその切っ先を向ける。
「あら嫌だ、物騒ねぇ~~~~。ふふっ、でも嬉しいわぁ~~~~~! こんな日を待ってたのよぉ」
「……メーディ魔物研究科長?」




