Episode16.2
崩れ落ちるソルティアの体をアリサーが反射で受け止め、しっかりと支える。
「怪我人の様子はどう? サンクチュアリの隊員さん」
「うわわ! お待ちくださいと申し上げたでしょうっ! メーディ科長っ」
医務室に入ってきたのは、薄い布で顔半分を隠した女性と魔物研究科長の秘書だというレイン・ゲッテンだった。空気を求めむせているソルティアは、アリサーに体を支えられたまま彼の肩越しに彼らを見た。
「ごほっごほっ!」
「あら、大丈夫? ここの学生には見えないけど……」
「あ、メーディ科長! こちらの方は、その、えっと」
口ごもるレインに代わって、アリサーが口を開いた。
「サンクチュアリが保護している魔法使いだ。この者への詮索は許可できない」
アリサーはソルティアの体を抱きかかると、再びベッドの上へ降ろした。呼吸が落ち着いてきたことで考える余裕ができたソルティアは心の中でアリサーを罵る。行動に一貫性がなさすぎて厄介だ。ふざけるな!と。
「ふうん、なるほど。身を挺して学生たちを守ってくれたのがこのお嬢さん?」
「は、はい、メーディ科長。そのようです」
「それはそれは、感謝申し上げるわ」
目元だけしか見えないが、にこやかな笑顔を浮かべながらメーディが近づいてきた。しかし、途中でぴたりと立ち止まった。自分の服装を見てから肩を竦める。
「すっかり忘れてた。あたし今、汚れてるんだったわ」
彼女は白衣を着ている。真っ白な白衣だが、鮮やかな赤色がべっとりとついていた。一瞬、ただの汚れのように見えるそれがソルティアには何かすぐにわかった。鼻をつく鉄の香りが少し漂っているからだ。
「だから実験のあとは必ず着替えてから出歩いてくださいと再三申し上げているのに」
「小言はいいよ、レイン。そういえばあたし、自己紹介した?」
言葉を遮られたレインは疲れた顔でため息を吐くと、首を横に振った。秘書という立場と性格からして普段からメーディに振り回されているのは明白だ。だいぶ息が落ち着いてきたソルティアは彼らのやり取りを黙って聞く。
「あたしは魔物研究科の長を務めているメーディよ。よろしく。……あら? もう一人いなかった?」
「確かにイルディークさんのお姿が見えませんね」
不思議そうに顔を見合わせた二人を見て、ソルティアもまた怪訝に思った。あれだけの騒ぎがあったのに、イルディークが姿を現さないなどありえるだろうか。仮にもサンクチュアリの魔狩りだ。仕事もせず道草を食っているとは考えにくい。
「合成魔獣について、我々に言っていないことが?」
誰もがイルディークの行方について心配している中、アリサーだけは仕事に忠実だった。話の変わりようにレインが目を真ん丸にした。隣ではメーディが首をかしげる。
「レイン、君がそもそもどんな説明をしたかあたし知らないわよね」
「あっ、はい。僕からご説明します……」
アリサーの顔もといお面からばつが悪そうに視線を逸らしたレインの肩が震えた。ソルティアも感じた通り、やはりただの合成魔獣ではないようだ。
「基本的に治療という目的は変わりありません。その過程で、個体が有する魔力量を増やすと自己治癒力も向上すると分かったんです。魔力量を増やしていますのでそれの副作用で様々な現象が合成魔獣の中で起こっているということになります」
「強制的に引き上げている、もしくは外から得ている、ということですね」
レインの説明を聞いてソルティアは呟いた。戦闘用として能力を引き上げたという訳ではなさそうだが、結果、同じこと。制御できないものを生み出したという自覚があるのか定かではないがソルティアにとって嫌悪感を抱かずにはいられない。
「完全に制御下におけないものを管理しようとするな」
責めるように厳しく放った言葉は、部屋の中に静かに響いた。元々、合成魔獣の任務自体はできるだけ秘密裏にという話だった。それについて深くは触れなかったが、おそらくこの件を大ごとにしたくなかっただけ。学術の園の体面と学生たちの安全を天秤にかけた結果、前者が重かったのだ。
ただでさえ苛立っているソルティアの心はより乱れた。
「……おっしゃる通りね。上空に逃げた合成魔獣は先ほど、サンクチュアリから届いた麻痺薬でなんとか捕獲できたわ。けれど、レイン、君なら実験室にいる他の合成魔獣をどう処分する?」
「えっ? しょ、処分と言われましても」
ソルティアの言葉を意外にもすんなりと聞き入れたメーディは、レインに意見を求めた。が、求めつつもレインの話は聞いていなさそうだ。何やら考え込んでいるメーディは、一点を見つめていた。
「メーディ科長、処分をするにしても費用が……」
「さすがレイン、お金のことを考えているなんて頼りになるわね。でも、決めた」
「な、なにをですか」
怪訝そうな表情を浮かべたレインはメーディに問いかけた。今度は一体なんだ、と訴える視線が注がれる。
「殺処分」
「えぇっ!?」
レインの叫びが響く。すると黙って聞いていたアリサーが背中を壁にあずけた。トンという軽い音を耳に捉えながら、ソルティアもまた短く息を吐く。掴みどころのない人間だなと思いつつ、何とも言えない違和感が体を包んだ。なぜこんなにも全ての出来事を淡々と受け入れているのか、と。
「サンクチュアリのご助言なんだから聞かないとね。制御できないものなんて、処分してしまいましょう」
「これまでサンクチュアリからの言葉なんて聞いたことなかったくせに……って、それよりも研究はどうなさるおつもりですか!? ここは“魔物研究科”ですよ!」
焦るレインは泣きそうな顔でメーディに詰め寄った。仮にもここは研究を行う学び舎。秘書として研究対象の殺処分など簡単に聞き流せる言葉ではないのだろう。今までの弱々しい控えめな態度から一変、レインは果敢に秘書として自分を主張した。
「それ、あたしが考えること?」
「はい?」
しかし、メーディにレインの気持ちは汲み取れなかったようだ。薄い布で顔半分を隠した彼女の表情を正しく読み取ることはできない。ただ、その一言は今までの言葉とは明らかに雰囲気が違った。なぜだか嫌な予感にソルティアの背中が冷たくなる。
「サンクチュアリの魔法使いさん、ご助言感謝申し上げるわ。……お大事に」
そんな言葉を残して、魔物研究科の長であるメーディはさっさと医務室をあとにした。彼女が通った道には鉄の匂いが僅かに残っている。
「は、ははは……」
彼女が去ったあとの部屋の微妙な空気に、レインが堪らず苦笑いを漏らしていた。




