Episode16.1 学術の園Ⅲ
藍色がかった灰色の長い髪の毛が落ちる体とは反して宙を舞う。目を開ける余裕もなく、ただ風を切る激しい音だけが耳を塞いでいた。
「くッーーーー!」
迷っている暇はない。このまま落ちれば確実に死ぬ。魔法を使っても死ぬが、なりふり構っていられない。魔法を使って死ぬ前に自分に課した禁制を解けばいいのだ。もちろんその直後、奴が干渉してくるだろうが。ここら一帯、焦土にしてでも今死ぬわけにはいかないから。
覚悟を決めソルティアはいまだ落下する中、投げ出されていた腕を首もとに持ってくる。指先は魔封じのチョーカー。そして、瞑想した。魔封じの源となる魔力を探る。見つけて壊せば魔封じを破壊できる。普通の魔法使いはこんな野蛮なやり方はしないが仕方がない。手段を選んでいられない状況だから。
徐々に学生たちの気配を感じる。
もう地面は近い。
「うっ!」
数秒探っただけなのに、ぶわっと汗が噴き出した。一気に呼吸が荒くなる。それでも、さらに深く深く精神を沈めた。
「――――ごふッ」
腹の奥底から鉄の味がこみあげる。と同時に、魔封じのチョーカーが甲高い音を立てて、その機能を失った。仄かに熱くなった瞳を開けると学術の園の白亜の塔の先が同じ視線の高さにあった。大勢の人間の視線がソルティアに縫い付けられている中、奥深くに眠る禁制に触れようと――。
「そんなに死にたいか」
「――え?」
体が何かに包まれた。耳を塞いでいた風の音も消え、学生たちの悲鳴が届く。目の前には白いお面。ソルティアの体を抱きかかえたアリサーは軽やかに空中で体の向きを変える。そのまましっかりとソルティアを腕の中に包み、地面を転がった。
「ソルティアさんッ!!」
「きゃあああ! 大丈夫!?」
地面に落ちた衝撃はアリサーのおかげで軽減され、幸い大きな怪我はせずに済んだ。
一連の流れを見ていることしかできなかった学生たちが近づいてきた。リンディとシェリーの声がよく聞こえてきた。相変わらずリンディは大きな声で、シェリーは怯えたようにソルティアを心配している。
だが、色々な意味で鼓動が早いソルティアはすぐに返事ができない。なんとか地面に転がった体を起こしたはいいが、アリサーが持ってきたマントを頭の上から被って目の前は真っ暗。口元も血で汚れているし、魔力に反応して瞳が輝いている。
「ソルティアさんっ! 今すぐ医師に診せた方が」
「必要ない」
心配するリンディにかぶせるようにアリサーが答えた。突然現れた漆黒の装いの男に、学生たちの困惑がひしひしと伝わってくる。この事態をどう収拾しようかと頭をフル回転させていると、意外なことにシェリーが声をかけてきた。
「あ、あの……もしかしてサンクチュアリの特殊部隊の保護官の方ですか?」
「えっ! サンクチュアリ? しかも特殊部隊!?」
周りの学生たちがざわつく。サンクチュアリの保護官ということより、特殊部隊所属であることに驚いているようだ。
「……魔獣との接触で魔力中毒を起こしている可能性がある。普通の医師に手当はできない。医務室に案内してほしい」
「え! あ、は、はいっ」
流暢に言葉を話すアリサーに違和感を覚えながら、ソルティアはただ黙って成り行きに身を任せることにした。シェリーのあとをついて行くのか、アリサーは再びソルティアの体を抱きかかえると、歩き出す。そこでふと、合成魔獣の鳴き声が聞こえなくなっていることに気づいた。
◇
医務室に案内されて早々、アリサーはついてきたリンディ、シェリー、カローナを一人残らず部屋から出した。あまり温かみのない無機質で清潔な空間でソルティアはアリサーと二人きりになってしまった。不可抗力とは言え、もう一人の同行者であるイルディークはどこに行ったのかと心の中で悪態をつく。
ひとまずベッドの上に座ると、水分を含んだ布を手渡された。黙ってそれを受け取り口元の汚れをふき取る。真っ白だった布は赤く染まった。
「……」
手の中の布に落ちていた視線をアリサーの背中へ移す。じっと見つめると小さく息を吐いて、力いっぱい投げつけた。
「合成魔獣を捕まえずに何をやってんですか? せっかくの機会をみすみす逃して、また私に同じことをやれとでも? さっさと仕事を終わらせてくださいよ。面倒ですっ!」
「……この場に魔法使いがいると知れ渡った方が面倒だ」
ゆっくりと振り向いたアリサーは淡々と答えた。
「あの状況なら私が魔法を使ったところで、注目は合成魔獣の方です。誰も私を気に留めない」
「暴走でもしたらどう収拾をするつもりだ」
「それこそあなたたち魔狩りの仕事でしょう! 合成魔獣の相手なんか――」
「違う」
ソルティアの言葉を遮ったアリサーは、一歩近づいた。お面の内側から注がれる視線は鋭い。刺さるような彼からの雰囲気は、息が苦しくなる。思わずソルティアは口を噤み視線を外した。ゆっくりと伸びてきた細長い指の先がほんの少し首に触れる。
「魔封じを破壊したあと、妙な動きをしただろう。一体、何をするつもりだった?」
「……」
「あの場を惨状にでも?」
「っ!」
首に触れていたアリサーの指先が急に顎先を掴み、ソルティアの顔を正面に向けた。ソルティアは目の前の白いお面を睨みつけて言う。
「そんなことをして私に何の得があるんです? 言いがかりはやめて下さい」
アリサーの手を振り払うとソルティアはベッドから降りた。
サンクチュアリの立場からしてみれば、自力での魔封じの破壊は大ごとだろう。魔法使いを制御下に置けていないという事実が発覚したのだから。だが、他に方法がなかったのだから仕方ない。ソルティアとしては、自身の行動を後悔はしていなかった。
「あなたと話をしていても埒が明かない。もう一人の魔狩りはどこですか」
「………………あの人が気に入ったのか?」
「は――――うっ!」
良く聞こえず聞き返そうとした瞬間、いきなり壁に押し付けられた。肺が圧迫されて息が詰まる。ぎりぎりと首を絞められるこの感覚に既視感を覚える。
「サンクチュアリに留まる目的はなんだ。なぜ魔法を使えないフリをしている?」
「なっ……にを……ッ」
「答えろ。あいつの元を離れ、何をしている」
「ぅッ……はなっ……せっ……」
首を絞めつけたままなのに答えられるわけがない。ソルティアは必死にもがいているが、段々と意識が遠のいてきた。この男は、ソルティアを本気で殺すつもりだ。魔封じを破壊しただけでまだソルティアは魔法を自由に扱うことはできない。無理をした反動で全身の血が逆流してもおかしくはないのだから、今、成す術はない。やがて抵抗していた両腕の感覚がなくなり、ゆっくりと落ちていく。もうだめだ、そう思った時。
「――失礼するわね」
何の前触れもなく医務室の扉が開かれた。




