Episode15.2
注意深く空を見つめていると、学術の園の中心部に立つ白亜の塔の頭上が僅かに揺れた。何もないはずの空間に歪みが生じたのだ。混乱状態のはずなのに、クィンは不自然なほどに白亜の塔には近づかない。それをソルティアは見逃さなかった。
「見つけた」
「えっ?」
刹那、約三メートルの巨体が白亜の塔に降り立った。トカゲのような頭に胴体には羽が生え、足は二本あるが下半身はほぼ太い蛇のような歪な魔物。唐突に現したその姿が見えるのは、ソルティアだけではなかった。そこかしこで悲鳴があがる。
「なにあれっ!?」
「魔物……!?」
合成魔獣を見て息を呑む三人を置いて、ソルティアは白亜の塔に走った。
合成魔獣が姿を現してすぐなのに、すでに数十人の学生が広場に集まっていた。だが、彼らの瞳に恐怖の色はあまりない。魔物の研究をしている学生も多いので、魔物には見慣れているのかもしれない。きっとその魔物が逃げ出したくらいに思っていることだろう。自分たちはそれを見守るただの観客だと。
「危機感のなさは一流ですね」
そんな彼らの気持ちが手に取るようにわかったソルティアはため息をついた。アレはただの魔物ではない。体をツギハギにされた合成魔獣だ。飼い慣らすことなど不可能で、今、奴は腹を空かせている。この場において、誰が強者で誰が弱者か。日常生活で命の危険を感じたことのない学生たちには思いもつかない現実が目の前にある。それを、誰ひとりわかっていない。自分たちが普段、何を相手に何をしているのか、正しく理解している人間が誰一人としていないのだ。
仲良く集まる学生をその瞳に捉えた合成魔獣は、大きな翼を広げた。燦々と輝く太陽を背に、柔らかい薄黄緑色の翼は美しいのひとことに尽きる。状況を理解していない学生たちは珍しい魔物のその動きに「おお!」と野太い歓声を上げた。一人ずつ殴り飛ばしてやろうかという気持ちを飲み込んで、ソルティアは邪魔なマントを脱ぎ棄てる。
あの動きは捕食の準備だ。
たった今、合成魔獣は学生たちを捕食対象として認識した。
合成魔獣がその巨体をゆっくりと空中に投げ出した。そして翼を広げながら、学生たちに向かって急降下する。それでやっと状況を理解したのか、学生たちから悲鳴があがった。
「きゃあああッ!?」
耳障りなその悲鳴に顔をしかめながら、ソルティアは舌打ちをした。辺りを見回して見つけたカローナの服をまさぐる。
「ちょっ! な、なに!?」
「動かないで下さいっ。……あった」
手にしたのは黒点のある灰色の石。手のひらに収まる小ぶりな大きさで、表面はザラザラとしている。リンディたちがカローナから借りようとしていた身代わり石なるものだろう。そして、ソルティアは触ってみて確信した。これが魔晶石だと。
「借りますね。返せないと思いますけど、弁償はサンクチュアリの奴らがしますよ」
「えっ?」
目を白黒させるカローナを無視して、ソルティアはその場で指を噛んだ。魔封じのせいで魔法は使えないが、魔法陣魔法なら着火剤となる魔力さえあれば使えるのだ。迫り来る合成魔獣を睨みつけながら、血が滴る指を地面にこすりつけた。小さな魔法陣だが複雑。魔力量が圧倒的に足りない今、魔法陣自体を複雑にして威力をあげるしかない。
「もってくださいよっ!」
血で描いた魔法陣に魔晶石を近づけた。
一瞬にして学生たちを囲うように透明の半円が現れる。
魔法による結界だ。
「きゃああああッ!?」
合成魔獣が学生たちに突っ込む直前、それは結界によって阻まれた。薄い膜のようなそれは、合成魔獣の巨体を弾き返す、はずだった。
「なっ!?」
鋭いクチバシは結界に触れるや否や、みるみる熱を帯び始めた。真っ赤になったその凶器が透明の結界に亀裂を入れる。それはほんの一瞬だった。
「こんな話、聞いてないっ!!」
ソルティアは吐き捨てるように依頼をしてきた秘書のレインを罵った。彼らの主張通り怪我や病気が理由でただ体をつぎはぎにしたのなら、こんな異常は起こらない。戦闘に特化したような造りに。つまり、サンクチュアリの保護官たちやソルティアには言っていない何かがあるに違いなかった。
ガラスが割れるような音が響いた。
反射でソルティアの体は学生たちの前に出ていた。
使い物にならなくなった魔晶石である身代わり石が手から滑り落ちる。それが地面に落ちる前に、ソルティアの体に衝撃が襲った。
「ッッッーーーー!?!?」
あっと言う間に地面が遠のく。
気持ちの悪い浮遊感に思わず目をつむった。
「ピィイイイィィィィーーーーーーーッ!」
鳴き声かただの衝撃波か判断がつかないほどの近距離の爆音に、軽く眩暈を覚える。そっと目を開けると、ソルティアの体は見事に合成魔獣の爪に引っかかり宙を浮いていた。少しでも角度が変われば、地面に打ち付けられるだろう。そして、どう見ても即死レベルの高さだった。
「これはさすがに死ぬ……」
状況が最悪すぎて、表情筋はとんでもない引きつり方をしている。初めて体験する高さに腰は抜けてもはや全身に力が入らない。今、ソルティアは無理に魔法を使えない体だ。妖精ユニフーの力で多少は回復していても、それは見せかけ。“あの日”受けた根本の傷は治っていない。いや、そもそも治るものではない。すでに無理をしてはいけない体で何度も無理をしてボロボロだ。
落ちても死ぬ。無理に魔法を使っても死ぬ。選択肢があるようで、ない。
「サンクチュアリの奴らは一体、何をしてるんだ」
不満を呟いたその直後、優雅に飛んでいた合成魔獣の顔先が再び目下の学生たちへと向いた。
「げっ! ちょ、ちょっと待っ――――!」
大きく体が傾いた。
刹那、辛うじて体を支えていた重りがなくなったような感覚が走る。同時に、体がとても軽くなった。
「いっ…………やあああああああああぁぁぁぁぁッーーーーーーー!?!?!?!?」
ソルティアの体は風を切って真っ逆さまに落ちて行った。




