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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
26/63

Episode13.2

 

 自室に血の香りが充満することは滅多にない。しかもその血の香りは特別なもの。妖精や魔物たちがこぞって集まってくる魅惑の香りだ。修道院内に妖精や魔物が入れないように結界を張っていることがこんな時には良かったと思ってしまう。


「治療を――っ……」


 脇腹の傷口に薬を塗ろうとした手を、少年によって拒絶された。開かれた深紅の瞳はこちらを鋭く睨みつけ、隙あらば殺してやろうと殺気立っている。


「よく平然としていられるなっ……!」

「これが、私です」


 彼から視線を逸らし、薬棚を漁りながら答えた。


 両親を殺され、毎日魔法訓練の的としてなぶられ、心安らかに眠ることもままならない哀れな年上の少年。彼よりもずっと前の前の前の、数えられないほど昔から、ただ苦しめられるためだけに生かされ続ける哀れな血筋の人間だ。一体、何をしたらこれほどゼオに執着されるのか。きっと、と関係があるのだろうがそれ以上は誰も何もわからない。


 傷口を抑えながらふらりと立ち上がった少年は、ゆっくりと一歩一歩近づいてくる。


「結局、お前も奴らと同じだったのか。弱くて愚かで哀れな……お前が嫌っているろくでなしの魔法使いたちと」

「……」


 一歩を踏み出すたび、空気が冷たくなっている気がした。それなのに、顔は仄かに火照り、喉が締め付けられる。だが近づいてくる彼を止めるつもりはない。


「出会うべきじゃなかった……。お前たちみたいな存在と関わるべきじゃなかったんだっ!」

「ぅッ!!!」


 直後、彼の細い指が首を絞めた。怪我人のくせにどこから出ているのかと思うほどの力に、苦しさで顔を歪める。背中を打ち付けた衝撃で、薬棚の薬が音を立てて落ちた。


「自然との調和? 奇跡の力? 選ばれた者たち? ……はッ! ふざけるな。魔法使いは、お前は…………呪われてるッ!!!」

「ッ勝手な、ことをっ」


 甘んじて受け入れていた苦しみに、彼の言葉を聞いているうちにだんだんと苛立ちを覚えた。魔法使いであることも、ここに縛られ続けることも、ゼオのそばを離れられないことも、全て自分の意志ではないのに。“選ぶ”という人間が当たり前にできる選択が、自分には生れ落ちた瞬間からない。


 気づけば、涙が頬を伝っていた。


「そんなのっ、自分がよくわかってるッ! ……あなたとの時間もっ、何の意味もなかった! 人を救えるのは人だけなんて嘘じゃないッッ!」


 刹那、首を絞める力がほんの少し弱まった。宙に浮いていた両足の先が若干、床につく。咳き込みながらも、溢れ出る言葉が止まらない。


「あなたの言う“世界”なんて知らないッ。肉が焼ける香ばしい香りで朝目覚めることも、肩を寄せ合って夜空を眺めることも私は知らないの! 眩しいほどの朝焼けも、夜露がかかった草花が甘いことだって知っているのに、それなのにッ……!」


 そのあとの言葉は続かなかった。首を絞めつけられる力は確かに弱まっているはずなのに、苦しくて苦しくて仕方がない。滲む視界で映っている彼の表情がはっきりと見えない。きっと最後だろうからと必死でその顔を見ようとするのに、頭がぼんやりとしてきた。霧がかかる視界の中で、彼は何かを言っている。


「――!」


 だが、何も聞こえなかった。







 どこか遠くで誰かが名前を呼んでいる気がする。とても焦っているような、必死な声。ただ、まっすぐに何の迷いもなく。


「――ティアッ! ソルティアッ!」


 その声に耳を傾けた瞬間。

 苦しくて息ができなかった胸に、一気に空気が入り込む。


「ごほッ! ごほッごほッ!」

 

 突然、水中から引き揚げられた。

 瞳に光が入り込み、冷たい風が体を包む。


 咳き込みながらソルティアは自分が誰かに抱えられていることに気づいた。全身、湖に浸かりながらも足は浮いている。涙ぐんだまま、脇に手を差し込んでいる相手をぼんやりと見上げた。


「……………………ア、リィ?」

「ッ……」


 瞬間、目の前の白いお面をつけたアリサーが息を呑んだのがわかった。すぐに自分の失態に気づく。反射で彼の肩を強く押して、距離をとった。


「ッ!?」


 が、思ったよりも水深が深かった。泳げないソルティアの体は見事に沈んでいく。


「や、やばっ……! ――うわあッ!?」


 口元まで沈みかけたとき、水でできた触手のようなものがソルティアの体を支えた。水中でもがくなんて無様な姿を晒した事実に若干の羞恥を感じる。しかしそれよりも、溺れなかったことに胸を撫で下ろしていると、呆れを含んだ声が降り注いだ。


「救い上げてくれた人間にお礼を言うどころか突き放すなんて。とっても礼儀知らずな子ではなくって? ねえ、ソルティア」

「あ……ありがとうございます、ユニフー」

「あら、わたくしの話を無視するなんて大胆で礼儀知らずな子。……まだ夢と現実の狭間でまどろんでいるのかしら」


 ユニフーによって、ソルティアの体が完全に水中から引き揚げられた。水面すれすれに足がついているその状況に困惑する。


「えっと……?」

「自分の体に意識を向けてみなさい。そうねぇ……まずは自分の足で立てるようにしてみるのはどうかしら。巡りが良くなっているはずよ」


 言われた通り、瞳を閉じて自分の内側へと意識を向ける。

 呼吸に耳を傾け、全身の力を抜いた。


 澄んだ空気の中、真っ白の羽が一枚水面に舞い落ちた。

 僅かな揺れは水面を伝わり草木を揺らし、鈴の音よりも繊細な囁きが呼応する。辺りは太陽の輝きが弱まり、月の光がその存在を主張し始めている。昼と夜の狭間の時間がそこに流れていた。


 それらの動きと音を全身で感じる。


「わたくしたちの癒しはあなたにとって極上でしょう?」


 瞳をゆっくりと開くと、ユニフーの支えなしに両足が水面の上に立っていた。だるかった体も軽くなっている。何より、ユニフーの言う通り“巡り”がよくなっていることがわかった。


「でも忘れないで頂戴。ソルティア、あなたの()()を根本から治す術はそう簡単には見つからないわよ」


 その言葉を置いて、ユニフーの姿は水の粒となりどこかへ消えていった。あっという間のことに、ソルティアさえも声をかけることができなかった。


「本当に妖精という存在は気まぐれですね……」


 ユニフーがいた場所を見つめて、ぽつりと呟く。すると、圧倒的な妖精の存在がいなくなったことで、やっとサンクチュアリの隊員たちが口を開いた。


「あー……、嬢ちゃん。治療とやらは終わったのか? 終わったんなら、上がってきてくれないか。アリサー、お前もだ」


 プラトンが話しかける前に、アリサーはすでに陸へと泳いでいた。すぐに陸へ上がると、服を絞り始めた。それを視界の端に映しながらソルティアは軽い足取りで水面の上でゆっくりと歩みを進める。


「ソルティアさん~! すごいですぅ! どうやって水の上を歩いてるんですかぁ!?」

「ネル隊員、それ以上行くと落ちますよ」


 興味津々にこちらを見つめるネルは、地面と湖のぎりぎりのところで前のめりになっていた。トスの制止が彼女の耳に届いているのかは定かではない。そんなはしゃぐ姿を見て、本当にあの人は何しにきたんだろうと思わずにはいられない。


「え? えっと、足元の魔力の流れを上手く感じ…………?」


 不自然に言葉が切れたことに、ネルが首を傾げる。ネルだけではない。プラトンやトスも不思議に思いソルティアに注目した。


「……ソルティアさん?」


 どこか遠くの方で僅かに音が聞こえる。何かが這えずりまわっているような、そんな連続した重低音。勘違いなどではない。ユニフーの癒しによって感覚が冴えている今、自然の現象には敏感なはずだ。そして、一拍遅れて小刻みな振動が水面を揺らし始めた。それはやがて地面を揺らし始める。確かな地響きに変わり、ネルたちもその現象を察知した。


「げぇッ!」

「こ、これ!」


 何か思い当たる節があるのか、魔狩りであるネルとイルディークが顔を合わせた。二人とも嫌そうにしかめっ面だ。


「ドトウだよ! 繁殖期にはまだ早いはずなのに、最近、動きが活発なんだ」


 イルディークの説明に、ソルティアは西域にしか生息しない土壌魔物を思い浮かべた。


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