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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode13.1 夢の狭間で



 甘くどこか棘のある刺激的な香り。深呼吸をすれば胸を犯す魅惑的なその香りは薄暗い部屋中に充満している。もはやどこから香っているのかはわからない。染みついたものなのか、美しい女性のカラダが横たわる寝台から漂っているのか。生と死の狭間で咲くと言われるイチイバナが悲しいほどに真っ青な儚い花弁を綻ばせ、部屋中を彩っている。


 アヴァリスの枝で編まれた寝台の上には美しい女性が横たわっている。冷たい床に座り、それをいつものように眺めるこんじきの魔法使いに話しかけた。


「クロッケンダス山脈遺跡の地下の件、片付けてきましたよ。後処理はイズに任せてます」

「あそこが“遺跡”か……。なあ、ティア。どれほどの時間が経ったら“遺跡”になるのだ」


 遠い昔に想いを馳せるように、だがつい昨日のことのように懐かしむ表情の問いかけ。馬鹿らしい質問だなと思いつつも、なんだかんだ付き合った。


「数百年……数千年、じゃないですか。誰も真実を知らない時間が流れている時代かと」

「そうか。それなら、あそこは“遺跡”ではないだろう? 俺がまだいるのだから」

「………………………………はあ」


 内心、勘弁してくれと呟く。こんな驚くほどつまらない話が続くのかと思うとぞっとした。何度も繰り返される“他愛もない話”は、全て死者の話。誰一人として彼の口から生き人の話はでないのだ。うんざりして疲れて、やがて逃げだしたくなる。誰か助けて、このどうしようもない檻から出して終わらせて、と。


 だから適当にあいづちを打った。


「そうですね、ゼオ。……ああ。そういえば、妖精王(フェンディオッデロ)が『甘い香りがする』と言って――」

「っ」


 言い終わる前に、ゼオの瞳が真っ直ぐにこちらを見た。目を見開いているわけではない。だが縋りつくような、待ちわびたような、そんな気味の悪い瞳が恍惚に輝いていた。それを見て一瞬、呼吸が浅くなる。


「ティア……ソルティア…………いや。……………………<ルディハラ>」

「っ……はい」


 瞳が一気に熱くなる。

 抗うことのできない<名付けの縛り>が全ての自由を奪う。


 自然の摂理に抗い、永い時を生きる魔法使いはゆっくりと立ち上がった。天井に描き記された星の導き、いくつもの魔法陣の原形が彼に呼応するように金色に染まっていく。呼吸をするたびに甘く痺れる香りが体を犯していく感覚に、くらりと眩暈がした。


「やっと、かいじゅが応えてくれる。準備をしなさい」


 彼の顔には満面の笑みがあった。

 初めて見たそれに、嫌悪感と苛立ちを覚えた。


 生まれてからずっとその手で育ててきた少女を、これから世界樹に捧げるというのに。舞台を整えるために、少女が唯一気を許すように仕向けた男の子とその家族を切り裂いたのに。愛など幻で、猛毒で、滑稽なものだと罵っていたくせに、結局それに縛られていることにすら気づいていないのに。妖精から祝福ではなく哀れみを向けられる存在に成り下がってしまったのに。


「満月は二日後ですよ。その日が最適だって言っていたのはゼオ、あなたです」

「ああ……そうか。そうだな。…………もうすぐの辛抱だ、“リーン”」


 寝台の上の美しい女性に向かって話しかけ始めたゼオを見て、踵を返した。もうここにいる理由はない。一秒でも早くここから出たいという気持ちが歩くスピードに比例した。寝台の上の彼女は、『眠っている』のではない。ただそこに『横たわっている』のだ。


「……世界樹を維持する存在を呼び覚ますなんて馬鹿げてるッ」


 誰にも聞こえないように、長く薄暗い廊下でそんな言葉を吐き捨てた。




 許可がなければ足を踏み入れることすらできない禁域から一歩出た瞬間、よく知った血の香りがした。風にのってほんの少し鼻をかすめただけ。それだけで、驚きのあまり普段は修道院内で使わない移動の魔法を使っていた。


 視界が切り替わった途端、目の前の光景に激高した。


「一体なにごとですかッッ!?」


 血だらけで石畳の冷たい床に転がる黒髪の少年。抵抗の跡すらない細く白い腕は力なく投げ出され、浅い呼吸を繰り返している。すぐ隣にその姿を見下すように立っているのは、修道女の服を着た深緑色の瞳の魔法使いだった。


「あはッ! なによ、そんなに興奮してるとこなんて初めて見たぁ。おもしろ~うける~~~~」

「メランダッ……!」


 嘲笑うようにケラケラと笑ったのは次席修道女のメランダ。ソルティアよりも10歳上の今年23になる彼女は、何かと突っかかってくることが多かった。それがついに今日、ソルティアの逆鱗に触れた。


「はあ? どうせもうすぐ、これ処理するんでしょ~~。()処理をちょぉっと手伝ってあげただけじゃない~~~~。もしかして怒ってるの~~?」


 くせっ毛の髪を指に絡めてくるくると遊ぶその姿はいつも通り。普段であれば気にも留めないその行為が今日はなぜだかひどく鬱陶しい。無意識に一歩踏み出した。


「いいの~~? 本当にそれでいいのぉ~~? こいつの下に魔法陣を描いてるの見えないのぉ~~? 次、あんたが動けば『ぼんッ!』……よぉ~~?」

「……」


 確かに少年の腹部あたりの床には、彼女が描いたと思われる魔法陣の端が見える。


 勝ち誇ったように余裕の笑みさえ浮かべたメランダは、くすくすと笑った。足先で汚いものをつつくように血だらけの少年を弄ぶ。浅い呼吸を繰り返す少年は指一本動かさず、やられるがまま。まるでこのまま死んでもいいかのように無気力だ。この場において、一番気に障ったのはその事実だった。


「……何が望みですか?」

「あはッ!」


 その質問に、メランダはひどく歪んだ顔で大げさに声をあげる。とても愉快そうな表情は目障りで、笑う声は耳障りだ。


「あんたのそーゆうとこがほんっとうに嫌い~~! その無欲で余裕たっぷりみたいな態度よぉッ! はあ~~~~……何なの? 師匠のお気に入りだからって安心してんじゃないでしょうねぇ!?」

「ぅあッ」


 言いながら、メランダの足は少年の腹部の傷の上。容赦なく体重をかけると、少年は呻いた。彼はただの手段。ソルティアを挑発するためのただの手段にすぎないのだ。そして彼女のその目的はまさに達成された。


 後悔しても、もう遅い。


「はあ~~~~。何よもう~~! これでもそのクソで小綺麗な顔を歪めらんないのぉ~~~~!? んああああ、もういいやぁ! ばいばい~~~~魔狩り直系の坊やぁ」


 少年への興味を完全に失ったメランダは、魔法陣に魔力を込めた。


「……――あれ?」


 が、何も起こらない。

 しんと静まり返った部屋で、メランダの肩が小刻みに揺れ始める。みるみる怒りに支配されていく彼女の表情が、部屋の雰囲気をより重く、空気を薄くした。


「そもそも、ゼオの傍にいるのがなぜあなたではなく私なのか一度でも考えたことがあるんですか?」

「……はっ……はああぁぁ~~~~?」


 口の端をひくつかせながら、メランダは冷静さを装う。その姿が滑稽で哀れに見えた。ゼオの傍にいるということがどういう意味を持つのか。生きているはずなのに無欲でいることの理由は何なのか。未来のある彼女には一生わからないことだろう。


「最後に教えてあげますよ、あなたと私の違うところ」

「ッえぇ~~……?」

「私が大樹に寄り添う者(へリオル)だからです」

「ヘリ……? ッ――あぁ!?」


 疑問を口にした途端、彼女は自分の両手で両腕を強く握りしめた。小刻みに揺れ始め、不本意であろう涙をぼろぼろとこぼす。こちらを睨みつける深緑色の瞳からは輝きが失われていく。ただ唯一の、使()()()()の瞳の輝きが。


「なッ……なによぉ~~!? これぇ~~~~!?!??」

「魔法は自然との調和により成し得る奇跡。それを忘れ、魔力を“体内に溜め込む”なんて考えは無粋ですよ。……もはや“純粋な魔法使い”は少ないのかもしれませんね」


 奥歯を噛みしめながら、何かから必死に耐えようとする彼女の姿は少年の目にも映っているのだろうか。ふと気になり床に転がる血だらけの少年に目をやると、彼は目を閉じ静かにただ呼吸をしていた。すぐ傍で起こっていることには興味の欠片も示さない。


「ゆ、許さなッ――……………」


 唐突に、糸が切れたようにメランダが大きく態勢を崩して床に倒れ込んだ。気絶した彼女をちらりと見てから、扉の外に待機しているメランダ付きの助修士を呼ぶ。


「メランダは規律を破りました。荷物をまとめて追い出しなさい。もちろんこの北の地からですよ」

「えっ…………は、はい。承知いたしました」


 助修士がメランダを運ぶのを横目に、少年に触れこの部屋をあとにした。


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