Episode12.2
なんとも言えない奇妙な二人のやり取りに困惑しているイルディークをよそに、ソルティアがプラトンたちに声をかけた。
「今から妖精と交渉しますから、静かにしててください」
それだけ言うと、彼女は何もいない空間に話しかけ始めた。興味津々に近寄ろうとするネルの首根っこをプラトンが捕まえる。そのいつも通りな光景が、イルディークの視界にちらつく。
「おいこら、ネル。今の話聞いてなかったのか」
「えぇ~! 気になりますぅ。妖精とお話できるのが魔法使いだけなんてずるいですよぉ」
だからと言ってどうしようもない不満をぶつけるネルに、トスは諭すように言う。
「ソルティアさん曰く、森は完全に彼らの神聖な領域だそうです。ここは大人しく待ちましょう。お伽話の中でしか登場しない存在と対峙したところで、俺たち人間に友好的かもわかりませんし」
「トスの言う通りだ。魔法使いの嬢ちゃんですら渋い顔してたじゃねぇか。それだけ厄介な存在なんだろ」
「――なあに? 心外ねぇ」
唐突に、プラトンの話を遮って女性の声が割って入ってきた。同時にプラトンやイルディークたちの視界にほんの一瞬、小さな光が走った。
「あっ、ちょっ! ユニフー!?」
驚くソルティアの隣に、どこから現れたのか人間離れした美貌を持つ美しい女性が佇んでいた。だが良く見ると瞳はガラス玉のように透き通っており、水色の髪の毛らしきものは肩辺りから胴体と同化していた。ふくよかな体系は女性のそれだが、人間ではない。それだけは誰の目にも確かだ。
「よ、妖精?」
思わず零れ落ちたプラトンの言葉を合図に、湖の周りに同じような容姿を持つ女性の姿の妖精が現れた。彼らは心地よい旋律の鼻歌を歌いながらくるくると楽しそうに舞い始める。湖は美しく魅惑的な歌声に包まれる。
「わたくしたちは泉を好むユニフー。厄介な存在などではなくってよ。下品な物言いはやめていただけるかしら」
「え……っと、すまん」
「きゃ~! 妖精って初めて見ましたぁ!」
美しく穏やかなユニフーを前にプラトンやトスは戸惑いつつ、ネルは呑気にはしゃいでいた。
「ユニフー。申し訳ないですけど、この人間たちは供物ではないですよ?」
「あら、心配しなくてもわかってるわ。貴女のモノがいるものね」
「供物……?」
何のことを言っているのかさっぱりわからないイルディークはソルティアの言葉を繰り返した。すると、彼女は短くため息を吐いて挑発するかのように言い放つ。
「ユニフーのいる泉は彼らに守護され、その水は癒しの効果があると言われます。ただ、彼らが好むのは“若い人間の男性”。つまり、ちょうどあなたたちくらいなんですよ」
珍しいソルティアの笑顔は悪意しかないだろう。ぎょっとしたトスとイルディークが仲良くユニフーを見ると、彼らは妖艶にほほ笑んでいた。まるで『こっちへおいで』と言っているかのよう。
「さあ、ソルティア。対価があるなら優しくしてあげるけれど、今の貴女に何かできるのかしら」
「……確か、あなたたちの歌は魔法使いや人間の夢から作るんですよね」
「あら……あらあら……」
ユニフーの笑顔が、一瞬にして深くなった。背筋が凍るような不気味さがあり、先ほどまでの妖艶な笑顔とは全く異なる。明らかに変化した雰囲気に、イルディークだけでなくプラトンたちも息をのむ。
「“金色の魔法使い”がいなければ、ソルティア、あなたはそれほど簡単に夢を犠牲にするのね。あなたがいちばん嫌っている過去を」
「やらないといけないことがあるんです。……そのためなら、なんだってやります」
「命に代わるものはないということ、覚えておくことね」
妖艶な微笑みに戻ったユニフーはソルティアの手を引き、湖に入っていく。透けるように白い彼女の肌が、太陽の光を反射してきらきらと光る水と同化しているように見える。その儚げな様子がイルディークにはまるで死にゆく人のように思えた。
「っ――!?」
「あら」
ソルティアが腰辺りまで湖に浸かったその時、なぜかアリサーが彼女の腕を掴んだ。妖精が守護するという湖に躊躇いなく入ったアリサーをプラトンやトスは目を丸くして見つめる。
「妖精。対価なら俺の血は?」
落ち着き払ったアリサーの声がやけに大きく響いた。風に揺れる木々の音も、どこか遠くで聞こえる川のせせらぎも、鳥の鳴き声さえ厚いベールの向こう側。
「なっ……にを、勝手にッ!」
一瞬の驚愕のあと、すぐに怒りの表情に変わったソルティアが叫んだ。何に対して憤慨しているのか、イルディークはもちろん、ネルもプラトンもわからない。ただ、滅多に自己主張しないアリサーの今の行動が不思議でならない。一方、唐突な提案にユニフーは妖艶に微笑んだ。
「そうねぇ。あなたは相変わらず魅力的よねぇ。ずーっとここにいてほしいくらいに」
「ユニフー! だめですッ! 手を出したら許さない!」
振り返ってアリサーをキッと睨みつけたソルティアは、どことなく焦っているように見えた。
「余計なことをするなッ! …………ここを血に染めたいんですか」
「………………」
絞り出すような言葉に、掴んでいたアリサーの手がやがてゆっくりと離れていく。2人の間で視線だけの会話があるように思えて仕方がないのはイルディークだけではないはずだ。太陽の光が燦々と照りつけているはずなのに、ちっとも暑くない。むしろ説明のつかない涼しく物悲しい風が通り抜けた。やけに静かなのは、先程まで踊り狂っていたユニフーたちが歌うのをやめたからだろう。
「ソルティア、こっちを向いてくださる?」
静まり返った湖でユニフーの声だけが落ち着いている。蝋燭の炎のようにゆらゆらと揺れるソルティアの感情と比べると、妖精の気まぐれなど可愛いものだとイルディークは思った。
自分自身に落ち着けと言い聞かせるように深呼吸をしたソルティア。言われるがまま、アリサーから視線を逸らしてユニフーを見た直後。
「――ごほッ!?」
「ごめんなさいね。それでも、わたくしは最初の約束を守らせていただくわ」
アリサーを見ながら妖艶にほほ笑んだユニフーの手は、ソルティアの首を掴み彼女を湖の中へ沈めた。




