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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
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Episode12.1 水の乙女


 木目調の大きな机の上に座った特殊部隊を率いるイリスを前に、イルディークは冷や汗をかいていた。隣に立つバランもおろおろと視線が忙しなく行ったり来たりを繰り返す。規則違反をした旨の報告を泣く泣くしてから、美しい金髪を持つイリスは両手を後ろにつき、斜め上を見上げ目を閉じたまま何も言わない。


「た、隊長……」

「それで? イルディークはソルティアを見てどう思ったのかしら」

「えっ?」


 目は閉じたまま、イリスはイルディークに問いかけた。小柄な彼女の足はぷらぷらと揺れている。滲み出るその余裕さが隊員の間で恐れられる理由の1つでもある。


「ん~……バランみたいに魔晶石や筆といった類の道具を使わないで魔法陣を描いていたのは興味深いです。なんていうか……“ああ、魔法使いだな”って。いや、魔法使いに違いないんだけど」

「彼女は魔法使いだよ。正真正銘の魔法使い」

「そりゃあ……そう、だろ」


 イリスの言わんとしていることがわからず、イルディークは首を傾げた。疑問で頭が埋め尽くされたことで、意図せず敬語がなくなっているがそれについてイリスは特に何も触れない。


「バラン、彼女について知っていることは?」

「えっと……」


 ソルティアに脅されたことが気になるのか、いつもは流暢に話すバランが口ごもった。


 本調子ではないにしろ、突然吐血した彼女は身体的に何かしら問題があるようにイルディークの目には映った。起き上がることさえままならないにも関わらず、憎しみすら感じられる眼差しで必至に言葉を紡ぐ姿に圧倒されたのはイルディークだけではないだろう。だから堪らずバランに優しい声をかける。


「大丈夫だ、バラン。さっきの彼女の言葉は気にするな。お前がサンクチュアリに協力する限り、俺たちも全力で守るさ」

「……ありがとうございます」


 深呼吸をしたバランは僅かに笑顔を見せ、やがて顔を上げた。イリスの瞳をしっかりと見ながら先ほどの質問に答える。


「エルタニアサス大修道院が2つの修道院で構成されていることはご存じですよね」

「ああ。ウォルニ修道院とタッツァス修道院だろう? 孤児院も兼ねているのは前々から知っていたが、魔法崇拝の名残があるのはさすがに驚いたな」

「そうですよね。そもそも、大修道院は世界考古学研究所エルタニアサスが運営する修道院ですから、魔法研究の名残があると表現した方があなた方にはしっくりくるかもしれません」


 世界考古学研究所エルタニアサス、通称『研究所』は遺跡や古代文明について調査、保護を行う機関。世界動植物保護協会サンクチュアリと同じく治外法権を持つ独立組織だ。だが、歴史はサンクチュアリよりも長く、前身は旧魔法研究教団。つまり、魔法の研究を行っていた魔法使いと深く関わりのある組織でもある。もちろん、それは六百年ほど前の話で、今では人々に信頼された世界的機関で影響力も大きい。


「“研究所”の奴らは俺、好きになれないんだよなぁ。仕事でも衝突することが多いし。ああ、思い出したらムカついてきた。はあ……それで、ソルティアさんと修道院の関係は?」

「ひとことで言えば、ソルティアさんはウォルニ修道院の主席修道女でした」

「主席修道女?」


 聞き慣れない単語にイルディークは首を傾げた。修道院に所属する女性は修道女、男性は修道士と呼ばれることは一般常識。しかし、“主席”という階級がつくのはエルタニアサス大修道院特有の文化だ。


 唐突に、今まで黙って聞いていたイリスが口を挟んだ。


「特別な修道女ってことでしょう。禁域に唯一入れる」

「……その通りです」


 驚いたようにバランはイリスを凝視した。禁域という禍々しい言葉に、イルディークはさらに眉間のシワを深くする。詳しい説明を待ったが、それ以上バランは知らなかった。


「申し訳ありませんが、禁域についてはわたしもよく知りません。修道院で修道女や修道士になれるのは数名です。わたしは下っ端の助修士なので……。序列において魔法は関係なく、全て信仰心で決まるものですから、魔法使いが紛れていることはお互いですら気づいていないはずです」

「ああ~……つまり、ソルティアさんは修道院の中でも特別な立場にいたってことか?」

「は、はい。そういうことになると思います」


 神妙な面持ちで何度も首を縦に振るバランを見て、イルディークは不思議と納得した。修道院で行われていることやその実態についてまだわからないことが多い。が、歴史が長く容易に手出しができない巨大組織であるエルタニアサスが関わっていたのなら、ソルティアの異様な魔法技術もあのきつめな性格も合点がいくから。


 しんと静まり返った部屋で、イリスが机の上を指でトントンと叩く。その一定のリズムが妙に緊張感をイルディークに持たせた。バランも同じ気持ちなのか両手を握ったり開いたりと落ち着きがない。ふいに部屋の外からイリスを呼ぶ声が聞こえた。


「どうぞ」

「失礼します。アリサーです」


 入ってきたのはソルティアをユリィのところへ運んだはずのアリサーだった。相変わらず用途の分からない白いお面で顔を隠した変人は、音もなくイリスの前に歩いてくると淡々と報告をした。


「中央支部における魔法使いソルティアの治療は不可能。そのため、ユリィさんが北のオルセイン帝国本部での治療を提案しましたが本人の強い拒絶により、西の果て“不可侵の森”での治療を提案。よって、その許可が欲し――」

「許可」

「はやっ!」


 報告内容に若干被りながら即答したイリスに反射でイルディークが驚いた。ハッとして口を塞ぐ。だが、すぐ隣でイルディーク以上になぜかバランが驚愕していた。


「治療が不可能って……彼女はそんなにも回復していないのですか?」


 机の上から降りたイリスはアリサーを見上げて、ソルティアの治療について指示を出す。


「リンゼの時計台のせいでボクたちにとって魔法陣の知識は確保しなければいけないよ。ついでに仕事もあるし。準備ができ次第、発ちなさい」

「了解です」


 軽く会釈するとアリサーはさっさと部屋を出て行く。それをぼんやりと見ているイルディークにイリスは気だるげな視線を送った。


「何してるの、イル。君もよ」

「っ……はい」


 イルディークにとってソルティアの付き添い、そして彼女の完治までが今回の不始末に対する仕事だ。だから何も言わず黙って従おうと、素直に返事をすると慌ててアリサーの後を追った。







 ソルティアの教えのもと描いた移動の魔法陣により、一瞬で西の不可侵の森にひとっ飛びしたプラトンをリーダーとした一行。イルディークの腕の中でぐったりとしたソルティアに言われるがまま森の中を歩いていると、やがて湖に辿り着いた。初夏の太陽が燦々と真上から降り注ぐが、不思議と湖の周りは気温が落ち着いており、空気も澄んでいる。そして、陽の光を反射した水面はきらきらと美しく輝いていた。


「はわわわ~! とぉっても綺麗ですぅ。こんな場所があったんですねえ!」

「開拓調査のために何度も立ち入っているはずなのに、こんな場所があったなんて知りませんでした」


 湖を見てはしゃぐネルにつられて、トスも自然の美しさに魅入った。大陸の西に広がる不可侵の森は広く深い。しかも古来より神聖な場所として距離を置かれていたため、人の手が加わっていない。神聖視される理由に人ではない存在が関わっているのは、お伽話のひとつとしても有名だ。


「知らなくて当然です。正しい手順でないとたどり着けないようにしているんですから」

「正しい手順?」


 ソルティアの言葉にイルディークは何も考えず聞き返した。すると、腕の中から見上げるように『教えると思ってるのか?』という鋭い視線が返ってきて苦笑する。すぐさま聞かなかったことにして、先ほどから気になっていた畔に佇む建物に触れてみた。


「ええっと……あの家はもしかして、ソルティアさんのか?」

「……」


 僅かな沈黙。不思議に思って視線を彼女へ戻すと、思いもよらぬところから飛び出してきた兎を見るような目で、腕の中の小柄な魔法使いは自分を見ていた。そのぱちくりとした瞳がなぜだかやけに面白く、イルディークは思わず噴き出した。


「ふっ……はははっ!」

「な、なんです」

「いや、すまない。……賢いんだか、抜けてるんだか」


 怪訝な表情を浮かべるソルティアから視線を逸らして、彼女の家を観察する。


 都会ではおしゃれのために飾るような乾燥させた草花の束がいくつも逆さまに軒先に吊るされ、もはや本来の役目を果たしているのか定かではない壊れかけた木製の門には何かの儀式のように石が積まれている。家のすぐ隣には手入れの行き届いた薬草たちが生き生きと生命を育み、深緑が美しい蔓草が巻きついた深みのある赤色のレンガの家。まさに絵本にでてくる心優しい魔法使いの家だ。


 お伽話もただの作り話とは限らないなと思っていると、突然、背中に衝撃を受けた。


「うわあっ!?」

「――うげっ」


 ソルティアを抱きかかえたまま態勢を大きく崩したイルディークは、呆気なく地面に転がった。仲良くソルティアも地面に落ちて、カエルが潰れたような声があがる。

 急いで振り返ったイルディークの目に映ったのは、白黒のお面を被ったアリサーだった。片手には鞘からは抜いていない剣が握られている。


「お、お前、何のつもりだよ……」


 困惑しながら自分よりも後輩のはずのアリサーに問いかける。


「……いつまで抱かれているんだ?」

「は?」

「足があるだろう。自分で歩いたらどうだ」


 イルディークを気に掛ける様子は微塵もなく、アリサーの視線はおそらく地面に投げ出されたソルティア。少ししか関わっていなくてもわかるソルティアの気の短さからすると、すぐに不満が飛び出るだろうとイルディークは身構えた。しかし、


「……はあ」


 彼女はため息をついただけで、服についた土を手で払う。そしてそのままだるそうにゆっくりと立ち上がった。


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