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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
22/63

Episode11.2


「ロウさんッッ!!!!!」

「きゃー! ロウさん!?」


 訓練を見ていたネルが驚きの声を上げた。それが合図になったのか、他数名の魔狩りが剣を抜く。


「遅い」


 途端、彼らの足元に銀色の魔法陣が現れた。同時に鎖が伸びる。すぐさま飛び退くが全員魔法でできた細く頑丈な鎖に足を絡めとられた。そのまま床に叩きつけられる。


「ぐッ!」

「うあっ」

「ッ!」


 その光景を目の当たりにしたイルディークの額には汗が滲んでいた。奥歯を噛みしめると、訓練用の剣を捨て、壁にかけていた真剣を手に取る。流れるように鞘から剣を抜くと、ソルティアに向かって走り出す。軽やかな動きはさすがだと言えるだろう。彼の目からは怒りが溢れていた。それが、ソルティアには残念でならなかった。


「ここまでやったのに……まだその程度なんで――――――ごほッ」


 言いかけ、口から赤い血が噴き出た。

 唐突に足から力が抜けその場に崩れ落ちる。


「……ぁ」


 自分の身に何が起きたのかすぐに察したソルティアは、自分を嘲笑うように顔を歪めた。


「は……ははっ、予想以上にっ、脆い……な……っ」


 迫りくるイルディークを銀色の瞳で睨みつけながら、ただ待った。剣先がソルティアの青白い肌を切り裂くのを。幾度も繰り返してきたことだ。痛みにもすでに鈍くなった。肉体的な痛みなど、時間がどうにかしてくれる。今もまだ地獄の中にいるのに、切り裂かれるくらいの痛みがなんだというのだ。


 あと少し。

 目の前に迫りくる剣先をただ見つめた。


「…………――ぇ?」


 一瞬、何かがソルティアの意識をほんの少し奪った。


 ふいに懐かしい花の香りが鼻をくすぐる。

 甘美で危険な強い芳香。魔法使いが愛する北の地にしか咲かない朝焼けのように神々しく、夕日のように燃える橙色の小さな花。瑞々しい葉をつける低木に咲くアヴァリスの花だ。決して忘れることはないあの花の香りがこの西の地で、魔狩りが暮らす自然の営みを忘れたこんな場所で。


「そこまでだ」


 気づけば、冷たい床を背に白いお面がソルティアの首を絞めていた。漆黒の髪がさらりとお面にかかる。首を絞められているというのに、息苦しさの中に不思議と痛みはなかった。自分の意志とは無関係にソルティアの瞳からは涙が一筋、流れ落ちる。


「……なんで」


 思わず、柔らかそうな漆黒の髪に血だらけの手を伸ばした。しかし、


「かはッ……!」


 首を絞める手に力が込められた。どくどくと脈打つ自身の“生きている音”が鮮明に聞こえる。伸びかけた手は呆気なく地面に落ちた。息苦しさで視界がぼやける。


「ネル、ロウさんをユリィさんのところへ」

「へっ……! あ、はいっ! 了解ですぅ」

「アリサー!」


 慌ただしくネルがロウを連れ出すと、イルディークがアリサーの名を呼んだ。しかし、それには答えずアリサーは勝手な行動をした仲間をそしる。


「規則違反です。許可なく魔法使いと訓練を行ったのも、真剣を持ち出したのも」

「そっそれは……! いや……そうだな。悪い、迷惑かけて。隊長には俺から報告する」


 素直に自分の非を認めたイルディークは肩を落とした。窺うようにいまだ首を絞められて床に伏しているソルティアに視線をやる。吐血したその状態はすぐにユリィを呼ぶほどのものだ。


「それで、その魔法使いはどうするんだ」

「……もちろん」


 アリサーが腰に下げていた短剣に手をかけた。直後、声にならない悲鳴と重い何かが床に落ちた音が響いた。


「――ッ!?」


 誰もがその音に気を取られた。首を絞める力が緩んだその一瞬を見逃さず、ソルティアはアリサーの胴体めがけて魔力塊をぶつける。が、軽やかにそれをかわしたアリサーはソルティアの上から飛び退く。


 視界が開けたと同時に心臓に激痛が走った。


「ぁッーー!!??」


 あまりの衝撃に声すら上がらない。

 口の中にたまっていた血液でむせる。


「ごほッごほッーー!」

「なっ、なぜ貴女がここにっ!?」


 仰向けになりながら浅い呼吸を繰り返すソルティアは、首と視線だけを声のした方に向けた。口いっぱいに広がる鉄の味と鼻をつく生臭さにまみれながら。


 入口付近に立っていたのは簡素な服を身に纏った男性だった。驚愕の表情を張り付け、首元には魔封じのチョーカーが巻き付けられている。床には魔晶石が散乱していた。


「……?」


 見覚えのない顔だ。すっきりとした輪郭に野暮ったい一重の目、色白の肌以外に特にこれといった特徴のない顔つき。だが、その男はソルティアを凝視するとハッとした表情で近づいてきた。


「バラン、この魔法使いと知り合いなのか?」

「わたしが一方的に知っているという関係ですが……」


 イルディークの問いかけに、バランという魔法使いは激しく首を縦に振った。恐る恐る近づいてくる姿はまるで珍獣を前にした人間のそれ。痛みから動けないソルティアがただその男を見つめていると、


「なにせ……ソルティアさんもわたしと同じ。ですから」

「…………ぁ?」


 思考が停止した。

 ただでさえ体が言う事を聞かないのに、ソルティアの全身から血の気が引いていく。代わりに、目の前で淡々と話す男に殺意さえ湧いてきた。


「それってつまり、“エルタニアサス大修道院”のことだよな?」

「え、ええ。それで合っています、イルディークさん。大修道院は2つの修道院からなるのですが、確かそのうちの1つでソルティアさんは」

「――だ、まれッッッ! ごほッごほッ」


 獣のようなソルティアの怒り声が部屋中に響いた。驚いたバランはハッとして口をつむぐ。ソルティアがバランに余計なことを口走らないように制止したのは誰の目にも明白。その行動こそ愚の骨頂であることはソルティア自身もよくわかっていた。だが、この場でこれ以上その話を聞きたくはなかったのだ。


「ソルティア、さん。この場でバランの口を封じたとしても、彼はこちら側の魔法使いだ。サンクチュアリの協力者ということ。すでにエルタニアサス大修道院で魔法使いが養育されていることも、魔法崇拝の名残があることも聞き得ている」


 ――だから無駄な抵抗はよせ。

 最後まで言わずともイルディークの主張はわかっている。それでも、“エルタニアサス”の名を出した以上、これはソルティアだけの問題ではないのだ。指先を動かして、徐々に戻ってきた体の感覚を確かめるとソルティアは震える声でバランに言った。


「お前が誰でどんな立場であれ関係ないです。ただ、魔法使いであるということを忘れるな」

「ッ……」

「肝に命じなさい。裏切りの代償は死あるのみ。口を開けば開くほどお前は死に近づくんです」


 怯えて狼狽えたバランを見たイルディークは鋭い視線をソルティアに向けた。彼を後ろに下げると、再び厳しい口調で釘をさす。


「それ以上の脅しはこの俺が許さない。ソルティアさんの方こそ、ここがサンクチュアリであるということを理解するべきだ。……アリサー、悪いが彼女をユリィさんのところへ運んでくれ。俺はバランと一緒に隊長へ報告してくる」

「分かりました」


 口の周りを血で汚して仰向けになる滑稽な姿を、まるで心配しているかのような瞳で見てくるバランからソルティアは視線を外した。そして全身から力を抜くとただ静かに目を閉じた。


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