Episode11.1 追憶の花
与えられた真っ白の靴を履き、真っ白のワンピースの裾を揺らしながら入ったのは訓練室のような部屋だった。広い空間には何もなく首まで覆われた漆黒の制服を着た人間たちが数人、体を動かしている。ネルとソルティアが部屋に足を踏み入れたのに気づいたのか、彼らは視線だけをこちらに投げかけていた。
その光景に機嫌が急降下したソルティアはネルに引っ張られていた腕に力を入れる。
「……なんのつもりです?」
「もちろん人探しですよぉー!」
能天気にそう言ったネルは、部屋全体に響き渡る声で呼びかけた。
「あれぇ~? どなたかバランさん見ませんでしたあ?」
ちらちらと向けられていた視線が完全にこちらに向けられた。動きを止めた数人の魔狩りたちが一瞬顔を見合わせると、
「あと数分で来る予定のはずだけど?」
二十代後半ほどの男が不思議そうに答えた。鍛え上げられた無駄のない筋肉が服の上からわかるその男から「だから何だ?」と気さくに質問が返ってくる。
「ソルティアさんに紹介したかったんですけどぉ」
突然紹介されたソルティアはぎょっとしながら、視線を逸らす。とてつもなく居心地が悪い。案の定、「ああ」とだけ小さく相槌を打ったその男からは隠しきれない嘲笑が漏れていた。友達のように気さくに話しかけられてもそれはそれで気持ちが悪いが、理由なく嘲笑われるのも気分がいいものではない。しかも、嗤った本人はその行為を自覚していないときた。その事実がさらにソルティアの癇に障る。
「用事があるならここで待ってるといいんじゃないか。いま探し回ると行き違いになるかもしれない」
「それもそうですねぇ。教えて下さってありがとうございます、イルディークさん!」
感謝の言葉に、イルディークは軽く手をあげた。周りの男性たちと比べて体格に恵まれているとはお世辞にも言えないが、無駄のない筋肉と身軽さは魔狩りとしてそれなりに武器となるだろう。すると、間隔を開けて体をほぐしていた赤茶の髪が首まで伸びている男が面白そうに話しかけた。
「イルディーク! たまにはより実践に近い模擬実践なんてどうだ?」
「え? 模擬実践って……」
困惑しながらもイルディークの視線はソルティアを捉えた。面倒事に巻き込まれたと直感したソルティアは盛大に舌打ちをする。
「えぇっ!? ちょ、ちょっとだめですよぉ、ロウさん! 保護した魔法使いとの訓練の許可は下りてないはずですぅ」
思いもしない方向に話が進みかけて、ネルが慌てた。しかし、彼女よりも年上で先輩らしきロウは聞く耳を持たない。
「お前たちが黙ってれば済む話さ。なに、鎖を全部取っ払おうって話じゃない。そうだな……ああ、その茨姫だけ取れば多少は魔法を使えるはずだろ。イルディークは訓練用の剣でやればちょうどいいんじゃないか。なあ?」
ロウの面白がっている表情からは、ただの興味本位で言っているのか、それとも全てが悪意から言っているのかは読み取れない。だが、突然の拒否できない提案にソルティアは不快感しか抱かない。提案されたイルディークも強く拒めばいいものの、苦笑いをすると結局了承した。
「そ、そんなぁ~!」
訓練が始まることを察知した他五名ほどの魔狩りたちが、部屋の隅にはけていく。その雰囲気にこれ以上何も言えなくなったネルも、渋々ソルティアの頭の魔封じを取ると重い足取りで入口の扉を閉めに行った。ネルにはもう少し粘ってほしかったところだが、彼らの中にも序列があるのだろう。彼女一人にこの場の流れを変えられる力はないと、一連のやり取りでソルティアもわかった。
強制的に抑えつけられていた魔封じが外されたことで、慢性的な鈍痛がすうっと引いていく。まだ手足につけられた枷のような魔封じはあるが、それでも多少は気分が晴れた。首を絞められている状態から、深呼吸はできないが自由に軽く息は吸える、そんな状態だ。
「……模擬実践ってどこまでですか?」
話しかけられると思っていなかったのか、ソルティアが口を開くと対面にいたイルディークがわずかに目を見開いた。訓練用の剣の調子を確認しつつ答える。
「この訓練室には強固な結界が張られているから、好きに魔法を使っていい。君は魔封じもついている状態だし、気兼ねなくやって大丈夫だ。俺はこの訓練用の剣を使う。殺傷能力はなく、魔法を受け流すことしかできないものだから安心してくれ」
「……? 思ってたより単純ですね」
説明に拍子抜けしたようなソルティアが呟いた。邪魔な靴を脱ぐと、訓練室のひんやりとした床の感触が足の裏を伝う。イルディークが訓練用の剣をしっかりと構えたのを合図に、模擬実践が始まった。
「……」
「……」
互いに見合わせた二人は動かない。無言の時間が数秒続く。すると、イルディークが申し訳なさそうに眉を下げた。
「好きに魔法を使ってくれていいんだが……」
両腕をぶらりと下げていたソルティアは、面倒くさそうに部屋を見回す。退屈さを隠しもせず、ゆっくりと近くを歩き始めた。視線は完全にイルディークから逸れる。
「これ、外してくれるならお望み通り魔法でここら一帯、吹き飛ばしてあげますよ」
両足につけられた枷の魔封じが、がちゃがちゃと鳴る。
魔封じをつけておきながら、好きに魔法を使えだなんてふざけてるにもほどがある。両腕を縛っておきながら、目の前に置かれた料理を思う存分食べていいと言っているのと同じことだ。
不満が心を占めていながら、ソルティアからは笑みがこぼれていた。勝手なことを言う魔狩りにとてもムカついているはずなのに、肩を震わせる。緊張感なく無造作に歩き回るソルティアの姿をイルディークは思わず目で追いながら聞いた。
「何がおかしいんだ?」
「いえ、“訓練”ってこういう方法もあったんだなぁと」
「……?」
不審そうにイルディークは眉を寄せた。観客として周りで様子を窺っていたネルやロウも怪訝そうに二人のやり取りを見守る。そんな雰囲気を無視して、ソルティアは自分の中の“あの頃の記憶”を見つめながら、
「知ってました? 群れの長を仕留めれば、無駄な争いを避けられるんですよ」
薄く笑った。
「――え?」
刹那、イルディークの後方でうめき声が聞こえた。
「うぐっ!」
「――っ!?」
振り向いたイルディークの目に映ったのは、黒色の鎖で首を絞められたロウだった。彼の足元には銀色に輝く魔法陣が現れそこから鎖が伸びている。苦しそうにもがくロウの姿にイルディークはすぐさま地面を蹴った。
「意外と反応がいいですね」
「訓練相手以外に狙うなんて何を考えてるんだっ!?」
ソルティアの行動に憤るイルディークは先ほどまでの嘲笑と遠慮を捨て、訓練用の剣を振りかざした。しかし、
「ッッ!?」
ソルティアに届く直前、剣は何かに弾かれた。反動で思わずイルディークの腕が痺れる。咄嗟にソルティアから距離を取るが、すぐ後ろでは今にも意識が飛びそうなロウがもがいていた。そのもがきもだんだんと弱くなっていく。
「あなた、本当に魔狩りですか。私たちのこと知らなすぎじゃないですか?」
「なんだとっ?」
焦りを露わにするイルディークを見て、ソルティアはやれやれと首を振った。何でもありだと言ったのはイルディークとロウの方だ。それなのに今さら文句を言われても困るというもの。
再び向かってくるイルディークにソルティアはひと言、声をかけてやった。
「悠長にしてていいんですか? 後ろの奴、死にますよ」
「!?」
口から唾液をこぼしながら、顔を真っ赤にしたロウのもがいていた腕が力なく地面に落ちた。そのまま体も一緒に崩れ落ちる。




