Episode10.2
若干の緊張感を残しながら皆が一息つくと、扉がノックされた。
「あたし、ユリィよ」
「おう、入れー」
ポケットに手を突っ込みながら、白衣の裾をなびかせて入ってきたのは医師のユリィ。隊員たちに囲まれて部屋の中央の椅子に座ったソルティアを一瞥すると、彼女は大きくため息を吐いた。
「そろそろ話は終わったかしら。見た目じゃわからないかもしれないけど、この子こう見えても重傷なのよ。治療は拒否するし、あとはもう自己治癒力に任せるしかないんだから負担をかけさせないでよね」
「げっ、まじか」
怒るというよりも、諦め口調のユリィにプラトンは驚きの声をあげた。まじまじとソルティアを見ると首をかしげる。
「……全然苦しそうにしてないのは演技か? それとも魔法で痛みを和らげてるとか?」
そんなバカげた質問に、今度はソルティアがため息をついた。
「演技って何ですか……。それと、魔法なら何でもできるという発想は捨てた方がいいですよ。魔法使いを相手にする専門職のくせにそんなに無知で大丈夫ですか?」
「おぉ……。これでも一応、詳しいはずなんだけどなぁ」
棘のある言葉に口元をひくつかせながらプラトンは軽く笑った。不意に少し雰囲気が和らいだことをいいことに、ソルティアはずっと我慢していたことを言う。
「さっきから気になってたんですけど、“嬢ちゃん”って何です?」
「ん?」
質問の意図を掴み損ねてプラトンは聞き返した。周りの人間もプラトンと同じような表情を浮かべて次の言葉を待っている。だからソルティアは今度こそはっきりと言った。
「私、今年で21歳ですよ」
「「「「…………………………………?」」」」
驚きの声が上がることはなかった。ただ、プラトンを含めた全員が目を真ん丸にして、ただソルティアを見つめていた。
対話部屋での対話という名の尋問から3日。
机と棚、ベッドを置いても余るほどの大きさの清潔な部屋でソルティアは意外にものんびりしていた。てっきりと牢獄に繋がれるものだとばかり思っていたところ、この待遇だ。自由に出歩けないことと不快な魔封じをつけられていること以外は、まるで普通の人間のように過ごしている。
「よし、できた」
程よい網目の粗さが特徴の麻袋いっぱいに、乾燥させたエザーフートの葉を詰めた香り袋を鼻に近づけた。爽やかで仄かに甘酸っぱい香りで胸を満たす。
部屋の壁では葉や花を下に向けた薬草の束をいくつも干して、裂傷用の軟膏を入れた小瓶が机の上に立ち並ぶ。まさに薬草室のような状態になっている。治療は自分ですると言ったことで、翌日からどんどんと様々な薬草やそれに必要なものが部屋に運ばれてきたのだ。
「何を企んでいるのかさっぱりです……」
このまま薬師の作業部屋として使えそうだなと思いながら、部屋をぐるっと見回したソルティアは何とも言えない気持ちを吐露した。保護と言いつつも、実情は拘束された魔法使いのはず。こんな風に好待遇を受ける理由はないはず。サンクチュアリ側に主導権があるのだから高圧的に何か要求を強いればいいのだ。ソルティアは敵対する者同士のそのような関係性しか知らない。
唐突に部屋にノックの音が響いた。返事をせずにじっと扉を見つめていると、やがて遠慮がちにふわふわとした女性の声が聞こえてきた。
「失礼しますぅ~……あ! ソルティアさん~、いるなら返事くらいして下さいよぉ」
桃色頭の魔狩りネルがひょこっと扉から頭を出した。
「え? ……あ、ああ。すみません……?」
拘束している側が拘束されている側に気を使ってノックをする。その異常な状況に戸惑いながら、何となくソルティアは謝罪の言葉を口にした。軽やかな動きで近づいてきたネルは子供のような笑顔で迫ってくる。思わず体を引いて拒絶を全身で表したが、構わず何やら会話が始まった。
「ソルティアさんにご協力していただきたいことがあるんですぅ」
「な、何ですか」
ネルの体を両手で強めに押して遠ざけながら、聞き返す。なぜか残念そうな顔は無視して一定の距離を確保すると、ソルティアはやっとネルの瞳を真っ直ぐに見ることができた。
「ソルティアさんの魔法陣魔法でテルーナの生活を快適にしてほしいんですぅ~。でないと私たちの首が飛んじゃいますぅ~! ひぇえええ」
「魔法陣魔法?」
魔法使いでなくても魔法を簡易的に使えるようにしたものが魔法陣だ。ただし、魔法陣の知識は複雑で習得が難しい。故に古代から脈々と教え伝えられていた魔法陣を習得している現代の魔法使いは少ない。魔法陣一つで生活が劇的に変わるものもあるので、人々がそれを欲するのは自然な流れだろう。現に、様々な場所で魔法陣魔法は使用されている。もちろん、サンクチュアリも例外ではない。
「そうですぅ~! あっ、ちなみにソルティアさんが魔法陣魔法の知識を有しているということは、すでに分析済みですよぉ」
「そうですか」
闇オークションで遭遇した時点で、何かしら調べられているだろうということはこちらとしても予想範囲内。そこは問題ではない。が、気になることがひとつある。
手持無沙汰に部屋の中をきょろきょろと見回すネルにソルティアは問いかける。
「なぜ私なんですか。ここには私以外にも魔法陣に明るい魔法使いがいますよね?」
「へっ?」
なぜ知っているんだという文字を顔いっぱいに書いたネルが、目を真ん丸にした。この女性のこういった抜けた部分はどうにかならないものだろうかと、考えずにはいられない。このままでは、騙し合いが得意な魔法使いとの戦闘で負かされることは必至だ。
無言で歩き出したソルティアは部屋を出た。それを制止せず、不思議そうに後ろをついてくるネルの気配を背に感じながら、廊下の突き当りの天井ら辺を指す。つられてネルは指の先を見上げた。
「保護の魔法陣が刻まれてますよね。保護範囲はこの建物全体です。そこだけではなく、恐らくいくつもの箇所に同じ魔法陣が刻まれているはずです」
魔力を刻印源としているため目視はできないが、建物の至る所に魔法陣が刻まれている。治療室で目覚めたときは気づかなかったが、落ち着いてよく観察すればそれらはすぐにわかった。魔法陣を読み解かなければ詳しくは分からないが、それなりに強度もあり魔除けの効果も組み込まれているため、妖精や魔物の類も寄せ付けない。所謂、結界が張られている状態だ。
これほど実践的な魔法陣を描ける魔法使いを拘束しているのなら、ソルティアを頼らずともいいはず。
「ふぇ~!? よく分かりましたねぇ~~!?」
「もしかしてその魔法使いは死んだんですか?」
「えぇっ!? 違うますよぉ! バランさんはちゃーんと生きてらっしゃいますよぅ」
驚きで軽く跳ねたネルは全力で首を振る。
「まあ、理由なんてどうでもいいですけど」
「あっ! そっかぁ、なるほどです!」
「はい?」
ソルティアの言葉を最後まで聞かずに、ネルが何か閃いたように手を大きく叩いた。ぐいっと強めにソルティアの肩を両手で掴むと、笑顔を咲かせて言う。
「ここにいる他の魔法使いとお友達になりたいんですねっ!」
「………………はい?」
一瞬、ネルが何を言っているのか理解できなかったソルティアは呆けた。その間に彼女は「任せてください!」と自信満々に自身の胸を叩くと、手を引いて軽やかに歩き出す。訳も分からず、ソルティアはただネルに引きずられていった。




