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LAST WITCH  作者: 海森 真珠
蒼炎の残り香
16/63

Episode8.2





 世界動植物保護協会サンクチュアリ、テルーナ王国中央支部医療班はいつになく慌ただしく動いていた。()が収容される翠の療養室には、久しぶりに患者が運び込まれたのだ。患者が目覚めないまますでに十日が経つ。


「ユリィ、様子に変化は」

「ない」


 被せるようにプラトンの問いかけに専属医師のユリィが答えた。銀縁眼鏡をかけ、クリーム色の綺麗な髪の毛を横に流しながら、白衣のポケットには両手を突っ込んでいる。美人であるが故に余計に無表情な顔からはやる気が見られない。


 相変わらずのぶっきらぼうさに、プラトンより先にトスが小言を言う。


「ユリィ、さん。もう少し言い方ってものが」

「どう言おうが結果は同じでしょ。あんたは無駄なところに気を使いすぎてんのよ。面倒な男」

「ははは。組織に属する人間である以上、相手への配慮は当たり前のことです。ユリィ、さんの無神経を正当化しようとしないでもらえますか」


 お互いに視線が合わない状態で会話をする光景が、プラトンには余計に気まずくて仕方がない。だからいつもとは逆で、プラトンからフォローを入れる。


「おーおーおー、夫婦喧嘩すんな」


 すると、


「違います」

「やめてよ」


 と一呼吸も置かず返ってきた。プラトンは「そーいうところだよ」という言葉を飲み込む。


「お話し中失礼します。特殊部隊所属、フェナンド・フレッカーです」

「おう、入れ」


 闇夜のような漆黒の制服を身に纏った体格の良いフェナンドが丁寧にお辞儀をして入ってきた。ベッドに横たわる少女をちらりと見ながら報告する。


「ただ今アリサー隊員はイリス隊長に呼ばれて席を外していますので、代わりに自分が来ました。こちらが本部に申請していた“真実のじゅ”です。先ほど届きました」


 フェナンドは黄色と紫色が混ざった透明な丸い宝石をユリィに手渡す。受け取ったユリィはそれを手の中で転がした。その姿を見てプラトンはため息を吐く。


「おい、ユリィ。それひとつでいくらすると思ってんだ。丁重に扱えよ」

「はいはい」


 全く聞いていないような返事をしたユリィがベッドに近づく。そこで、命令に忠実なフェナンドが珍しく待ったをかけた。


「ユリィさん。魔法使いなんかに“真実のじゅ”を使う必要があるのか、自分は疑問です。“真実のじゅ”は人にかけられた魔法を識別するための魔具で、採掘がとても困難な魔晶石から作られる貴重な代物ですよね」


 どことなく不服そうなフェナンドにユリィは面倒くさそうに答える。


「あたしに言わないでよ、仕方ないでしょ。アリサーが開けたは塞いで応急処置はしたけど、それ以上の治療をするためにはこの子……ソルティアだったかしら? まあ、いいや。ソルティアの魔力を感じとる必要があるのに、何かに阻まれてできないんだもの。……あぁ、面倒だわ」

「この嬢ちゃんの倒れる前の言動が、何かしらの魔法に違いねぇよ」


 補足するようにプラトンがフォローを入れた。


 ユリィの元に運び込まれたソルティアという魔法使いの少女は腹に剣による穴が開いており、血まみれの状態だった。さらに額、瞼の上、唇に血で印がつけられており、ユリィはすぐに何かの魔法が施されていると直感したのだ。


 案の定、魔法使いの治療には魔力との調和が必要だが、全くそれができない状況に陥った。理由は一つしか考えられない。この藍色の髪の少女が自身に何か魔法をかけたのだ。


「悪いけど、あたしでもこの魔法に心当たりはない。だから“真実のじゅ”に頼るしかないのよ。この子に目覚めてもらわないと色々と困るんでしょ?」

「ああ。聞きてぇことが山ほどあるんでな。ユリィ、頼む」

「はいはい」


 黄色と紫色が混ざり合った美しい小さな宝玉を少女の頭へと近づける。それを確認して、トスがユリィの首につけていたチョーカーをとった。すると、ユリィの瞳が妖艶で深みのある紫色に輝いた。


 その直後、真実のじゅが粉々に飛び散った。


「っ!」

「ユリィッ」


 同時に、全身の力が抜けたようにその場に崩れ落ちたユリィを咄嗟にトスが抱きかかえる。がっしりとユリィを腕に抱いたトスは焦ったように名前を呼ぶ。


「ユリィっ!? お、おいっ」

「……うるさい。死んでないから」


 先ほどよりも確実に弱々しいユリィの声が、トスを落ち着かせる。突然の出来事に、フェナンドは鞘から剣を引き抜いていた。一気に病室内の空気が緊張で包まれる。


「ユリィさんっ! 今のは!?」

「大丈夫か、ユリィ」

「……一瞬、意識が持ってかれたわ」


 プラトンの問いかけに、頷きながらユリィはトスの手を借りて何とか立ち上がった。床に飛び散っている真実のじゅの欠片を見て、顔をしかめる。


「透明……」


 ユリィの言葉に、この場の全員が同じように欠片を見た。黄色と紫色が混じった美しかった宝玉は、なぜか透明に変わっていた。これが指す意味はユリィしか知らない。


「透明って何だ? 初めて見るが」

「魔法じゃないってことよ」

「は?」


 透明の欠片をすくい上げて、ユリィはまじまじと見た。顔をしかめつつも、それ以上に驚愕の気持ちが心を占めているのをトスは気づいた。


 困惑しながらプラトンが説明の続きを促す。


「これが魔法じゃないなら、何だよ」

「……“まじない”よ。言い方を変えれば古代の魔法とも言えるけど、結局同じことね」

「それは、魔法とは違うんですか」


 魔法とまじないの区別がつかないフェナンドがここにいる隊員を代表して聞いた。ユリィ以外、誰一人として“まじない”という単語にピンと来ていないことは、戸惑いの表情を見れば明らかだった。


 真実のじゅの欠片を拾い集めるのをトスに任せたユリィは、ソルティアが横たわるベッドに腰かけて大きなため息を吐いた。


「はあ、ほんっとうに面倒なことしてくれたわね、この子。……まじないっていうのは、魔法が今みたいに魔法と呼ばれる以前のとても古い祈りの方法とでも呼べばいいのかしら。魔法よりも仕組みがはっきりとしているわけじゃないから、簡単に干渉できない。もちろん私じゃどうにもできないし、これは完全にお手上げよ」


 患者を前に完全降伏したユリィを見て、フェナンドは呆気にとられた。片目が潰れようが、腕が引き千切れようが治療を放棄したことなどないひとだ。そんなひとが諦めるなど珍しいどころの話ではない。同じように感じたのか、同様にプラトンも表情を曇らせた。


「魔法と似て非なるものがあるなんて初耳だぞ」

「魔法使いじゃない人間からしてみれば、魔法もまじないも区別はないのよ。言っておくけど、古い存在や古い言い伝えにはそれなりに意味があって、犯してはいけない神聖な領域があるの。魔法使いだからといって、この世の現象全てに関与できるわけではないわ。……妖精すら見ることができない普通の人間には理解しづらいだろうけど」


 肩を竦めたユリィはベッドに横たわるソルティアを見つめてから視線を外した。


「避けて通るべきものに真正面から対峙した気がしてならないわ……」

「心配はいりません。無力化するため魔力封じの魔具もつけますし、アリサー隊員がいれば抑えられます」


 ユリィの言葉をソルティアが暴れた時の心配だと受け取ったフェナンドが、はっきりとそう答えた。それにユリィは重たい足取りでベッドから離れながら頭を振った。


「そういう意味じゃ」

「――失礼します」


 唐突に療養室の扉が開かれた。


「おお、戻ったか」


 甘美な花の香りがふわりと室内に広がった。

現れたのは、白いお面をつけた黒髪のアリサー。いつも通り、特殊部隊員の漆黒の制服を着ている姿の中にひとつ違うものがあった。


 トスが疑問の声をあげる。


「アリサー隊員。その手に持っているものは……花と水、ですか?」


 橙色の小さな花と瑞々しい深緑の葉がいくつもついた枝が、アリサーの手に握られていた。反対の手には手のひらサイズの小瓶に入った透明な水を持っている。強い花の香りはどこか懐かしさで人の心を締め付けるような魅力的な特徴があった。


「アヴァリスの花とクロッケンダス山脈に水源のある泉の水です」


 落ち着き払ったアリサーの声がやけに療養室内に響いた。


「えっ……?」


 フェナンドやプラトンが疑問を口にする前に、アリサーは迷わずソルティアが横たわるベッドの傍に歩み寄った。無言でアヴァリスの花に水を振りかけると、枝ごと花に滴る雫をソルティアに向けて振った。まるでなにかの儀式のように規則正しく橙色の小ぶりな花や深緑の葉から水が飛び散る軽く細やかな音が鳴る。


「アリサー隊員? 何をしてるんですか……?」

「おい、アリサー」


 トスとプラトンが呆気にとられてその行動を棒立ちして見ている中、ユリィは険しい顔つきでアリサーを凝視していた。


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