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許嫁派遣しました ~お参りの御利益は許嫁~

作者: 浮葉まゆ

『私たちもう終わりにしましょう』


 俺の名前は東雲陽しののめひかる


 高校二年生だ。


 俺は今、生まれて初めて付合った彼女から無常のお別れ通告を受けている。


 スマホのスピーカーから聞こえてきたその言葉を頭の中で三度復唱してやっと自分が振られたことがわかった。


 ゴールデンウィーク初日の今日は彼女とデートの予定だった。


 待ち合わせ場所に時間を過ぎても現れないので心配して電話をかけたのに別れ話を切り出されるってどういうことなのだろう。


「ど、どうしたの? 急にそんなこと言われても理由わからないんだけど」


『やっぱり、私無理なの陽みたいにオタクで陰キャで変に理屈っぽい人』


 ついさっきまで彼女だと思っていた人から浴びせられる侮蔑の言葉。


 なんで? どうして? という思いだけが自分の中を支配していく。


「えっ⁉ たしかに俺は陽キャじゃないけど、俺のそんなところを含めて好きになってくれたんじゃないの?」


『ううん、付合っていくうちに変わってくるかなと思っていたんだけど、やっぱり変わらなかったから。だから、もう終わりにしたいの。これで私たちの関係はお終い。一応、クラスでは最低限の会話はしてあげるけど、それ以上は話しかけてこないでね』


 彼女からの一方的な通告が終了すると同時に電話はプツリと切れて、こちらから再度かけようとしても着信拒否されているようでつながらなかった。


「まじかよ。なんで……」


 ここが駅前の広場でよかった。


 もし自分の下宿でこの電話を受けていたらこみ上げてくる嗚咽を押さえることができず、口からエイリアンでも産み出しているのではと心配した隣人が救急車を呼ぶほど泣いたかもしれない。


 少しばかりの羞恥心を握りしめて何とか広場の隅に立ち、意識的に気持ちを落着かせて冷静を保った。


 広場にはさっきまでの俺と同じように待ち合わせをしているカップルの片割れと思われる人が多くいる。彼らが彼女と腕を組みながら街に繰り出していく姿を見ることはとてもではないが今の俺に耐えられるものではない。


 一刻も早くここから立ち去らねばと若干の眩暈をもよおしながらもよたよたと歩いて、自分の住んでいる下宿へと戻った。


 しかし、不幸とは弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂というように重なるもののようだ。


「うそだろ……」


 俺が一人暮らしをしている下宿先の大沼荘にトラックが突っ込んでいる。


 もともと、かなり古い建物でトイレを流せば隣の部屋どころではなく、建物全体に音が轟くほど壁は薄く、アメフト選手が五人くらいでタックルすれば倒壊してしまいそうなほどボロイ。


 そんな大沼荘にトラックが突っ込めばもう住むことは出来ない。


 大沼荘の前には住人や大家さんが警察の事故処理の様子を呆然と見ている。


 俺は大家さんに声を掛け、外出していて無事だったことを伝えた。大家さんは今日から住む場所が無くて困るだろうからと、大家さんが所有する別の物件にすぐに移っていいということ告げられた。


 そして、一時間もしないうちに運送業者と名乗る人たちがあっという間に俺の荷物を運び出し、徒歩圏内にある新しい物件へと引っ越し作業を始めた。


 俺も教えられた新しい物件に着いたのだが、明らかにおんぼろの大沼荘の代わりに住むような物件ではなかった。


 七階建ての鉄筋コンクリートのマンションで築三年。オートロックに宅配ボックス付き。


 大沼荘では六畳一間のような部屋だったのに四十五平米超の1LDKである。おなじ大家の物件とは思えない。賃料も前と同じでいいといっていたが、どう考えても十倍くらい違う気がする。


 荷物の運び込みが終わり運送屋が帰ると急に広くなった我が家は落ち着かない。


 彼女に振られたショックは下宿にトラックが突っ込んでいるというショッキングな光景に幾分中和されていた。きっとアドレナリンが多く出て、振られた感傷に浸かっている場合ではなかったからだろう。


 運び込まれた荷物を整理しようとするとピンポーンとインターホンが鳴った。


 もう新聞や宗教の勧誘が来たのだろうか。それならさっきの怪しい運送業者が情報を流したに違いない。


 俺は大沼荘に住んでいた時の癖で、インターホンを特に確認しないで玄関を開けてしまった。


 そこにはクラスメイトの夜見美月よみみづきさんが旅行鞄とスーツケースを持って立っていた。


 夜見美月――彼女の銀色の髪はひときわ目を引く。いつも手入れが行き届いておりさらさらでエンジェルリングが輝いている。幼さが少し残っている顔立ちにぱっちりとした碧眼。普段から姿勢がいいからか上品でお嬢様というような雰囲気がある。


 そして、彼女の魅力をさらに引き立てているのは彼女の話す京都弁だ。中学までは京都にいたということで今も基本的に京都弁を話す。そのはんなりした言葉に男子生徒諸君のハートは射抜かれ告白者が後を絶たない。


 でも、彼女の答えはいつも決まっている。


「うち、今は友達と遊ぶ方が楽しいさかいに彼氏とかは考えとらんのよ。そや、君も今度一緒に遊びに行かへん」


 告白する男子諸君はもはやこの言葉を聞きたいがために告白をするようである。


 さて、そんな銀髪美少女がなぜか引っ越してきたばかりのうちの玄関にいる。


「ごきげんよう、陽さん。うち許嫁として派遣されてきました。これからよろしゅうお願いします」


 夜見さんは頭を深く下げて丁寧にお辞儀をした。


 彼女は何を言っているのだろう。許嫁? 派遣? って何のことだかさっぱりわからない。もしかして、テレビ番組の企画で可愛いクラスメイトがいきなり許嫁として現れたらどういうリアクションをするかというものだろうか。そうだとするとここに引越してきたときから既にドッキリが始まっていることになる。


「えーと、夜見さん、これって何のドッキリなの? 俺、今日はいろいろあってそういう冗談には付合えないのだけど」


「これは冗談ではありまへん。うちは陽さんの許嫁として派遣されたんです。まあ、急にこんなけったいなこと言われて驚くのも無理あらへんけど……、とにかく、説明するさかいあげてもらっていいですか?」


 両手をフリフリしながら必死に説明しようとする夜見さんを不覚にも可愛いと思ってしまった。


 近所の目もあるし、クラスメイトをこのまま玄関に放置するわけにもいかないので部屋に通すことにした。


「おお、思ったよりいい部屋やわぁ」


「いやいや、夜見さん、これからここに住むみたいなこと言っているけど、ここ俺の部屋だから」


 不動産屋と内覧に来た様子で部屋を見渡してるので釘を刺す。


「何言ってますの。うちはこれから許嫁としてここで陽さんと一緒に暮らします」


 あー、まださっきのドッキリ続いてるんだ。勘弁してくれ。玄関で騒がれても困ると思って家に入れたことを痛烈に後悔する。


 それよりも、さっき言っていた説明とやらを求めたい。


「そうやったね。うちが陽さんの許嫁になったのは、陽さんのおじいさんのおかげなんよ。陽さんのおじいさんが近所の稲荷神社に()()()()()()()()して油揚げを奉納したことで御利益ポイントが溜まってな。許嫁コースが選択できるようになってん。そしたら、おじいさんが孫である陽さんに最高の許嫁をとお願いしたんやわ」


 あのじいさん何やってくれてんだよ。たしかに俺が幼いころから毎日お参りしてたのは知ってたし、俺も一緒にお参りしたことも何度もある。まさか、あれでポイントが溜まるなんてそんなスーパーやドラッグストアみたいなことがあるのか。


 納得してない様子があからさまに出てしまっていたのか、夜見さんは少し困った様子でポケットから一枚の紙を取り出した。それにはこんなことが書いてあった。


【参拝・奉納御利益コース】

 ・一〇〇ポイント:恋の応援コース(1回)

 ・一〇〇〇ポイント:恋の応援コース(無制限)

 ・五〇〇〇ポイント:許嫁コース

 ・二〇〇〇〇ポイント:極楽浄土コース


「お参りにはこんなふうに御利益ポイントがあります。一日一ポイントで連続でお参りせなあきまへん。雨の日も風の日も欠かすことなく陽さんのおじいさんは参拝して五〇〇〇ポイントまでいきました。これは近年まれにみる記録ですね。許嫁コースを選びますと、神さんが全国のキツネ娘とその人に一番合う子とをマッチングさせます。それで陽さんにはうちが選ばれたというわけです」


 ん? キツネ娘ってなに? 神様まで出てきて話が壮大になってきたぞ。


「そうやった。まだうちの本当の姿見せてなかったわ。陽さん、驚かんといてね」


 夜見さんが不安そうな顔でそう言うので、多少の心の準備はしたけど、俺が目の当たりにしたものはちょっとの心の準備でカバーできるものではなかった。


 夜見さんの頭からはしゅっとキツネ耳が出てきて。お尻の上の辺りからはフサモフな髪色と同じ毛の生えた尻尾が出てきた。


 俺はこのあたりでこれはドッキリとかの企画ものでないことを理解し始めた。もう、テレビ番組でできるレベルの演出じゃない。ということは夜見さんは本当に人ではなくてキツネ娘ということなのだろう。


「陽さん、どうやろ。驚いた? それとも怖い?」


「ううん、驚きはしたけど、怖くはない」


 正直言ってかなり驚いている。大沼荘にトラックが突っ込んでいるときの光景を見た時より驚いている。でも怖いという気持ちは湧いてこなかった。もし、夜見さんが悪いキツネ娘ならこの部屋に招いたところで襲われて殺されていただろう。


「おおきに。この姿見て驚くんは当たり前です。でも、怖がられたり嫌われたりしたらどないしよと思てたんです」


 夜見さんの顔から不安の色が消えて一気にニコリとした笑顔が花開いた。


 大丈夫ですよ。俺は今の姿の方が可愛いと思います。


 でも、それと夜見さんを許嫁として受け入れるかは別の話。


 俺はつい数時間前に彼女に振られたばかりで、急に許嫁が出来たとしても気持ちを切り替えるなんてことは出来ない。


 いや、俺の中には夜見さんが何らかの方法で彼女に俺を振るように言ったんじゃないかという疑念さえある。そうでなければ、彼女に振られて、大沼荘にトラックが突っ込み高級物件に引っ越すなんていう小説レベルのことが起こるはずがない。


「それは違います。おじいさんが御利益コースを選択された時にはすでに陽さんは彼女さんとお付き合いをされてました。そないなると、神さんといえど陽さんの不利益になるようなことは出来ません。そやさかい、うちは陽さんのクラスメイトという距離に置かれたんです。そこで陽さんを見守りなさいってことでした」


 振られた彼女と付き合いだしたのは三カ月くらい前、夜見さんと同じクラスになったのは二年生になってからだ。でも、これでは夜見さんが彼女に何か働きかけたことを否定するだけの証拠にはならない。


「こないなこと言うんは嫌なんですが、実は彼女さんは浮気してはったんです」


 今度は旅行鞄から一冊のファイルを取り出すと俺に渡した。


 その中には元カノが俺も知ってるイケメンのクラスメイトと楽しそうにカフェで話している様子、映画に行っている様子、果てには俺も一緒に行ったこともないネズミのテーマパークに行っている様子の写真が収められていた。カフェで話す顔は俺に見せないような笑顔で、映画は興味ないとか言って断られた作品だし、テーマパークはまだ早いかなと言われて誘ったけど保留にされていた。


 ファイルを持っている手がどんどん冷たくなっていくのがわかった。そして、気づかない間に写真の上に涙が次々と落ちていく。女の子の前だというのに嗚咽が漏れるだけでなく、鼻水や涎までが止まらない。膝が折れ、ファイルが手から零れて、床に写真が散らばる。


 確かに春休みになってから彼女とのメッセージのやり取りが減り、デートのときもよそよそしい感じは出ていたけど、浮気だなんてことは一ミリも疑ってなかった。


「ほんま、堪忍してな。うちはこのことを知ってても必要以上の接触を禁止されとったから陽さんに教えることが出来へんかったんよ」


 夜見さんは自分の服が俺の涙や鼻水、涎で汚れることも厭わず、そっと抱きしめてくれた。ふわりとした優しい感触と彼女から香るいい匂いが次第に俺の心を落着かせてくれた。


「ありがとう、夜見さん。もう大丈夫」


 時間にしてどのくらい経っただろう。その間、夜見さんはずっと抱きしめたり背中をさすってくれていた。


 顔を上げて夜見さんを見ると彼女も泣いていたらしく頬には涙が走った跡が残っていた。


 俺は一度顔を洗ってくると告げて、洗面所に向かった。


 鏡に映る自分の顔は相当ひどく汚いだけでなく、目も腫れている。こんなに泣くなんて何年ぶりだろう。


 リビングに戻ると夜見さんの姿がない。どうしたのかと思って、隣のベッドルームの扉を開けた。


「キャッ」


 短い悲鳴を発した上半身下着姿の夜見さんと目が合う。


 ごめんと反射的に言って、扉を閉めたが、脳裏にはしっかりと薄ピンクに花のレースが咲いているブラと陶器のように白く綺麗な肌が焼き付いていた。


 俺はベッドルームの扉を背にするようにしてリビングに立って、落ち着くためにビネの公式を唱えていた。


 待つことしばし、扉が開く音がして夜見さんが出てきたようなので振向く。


「あの、さっきは堪忍な。急に扉が開いてちょっと驚いただけです。うちは陽さんの許嫁やから着替えてるの見られるくらい全然恥ずかしくなんかあらへん」


 夜見さんは恥ずかしくないかもしれないけど、それでは俺がもちません。


 あと、恥ずかしくないと言っているのに顔を赤くして、ちょっと震えていると全然説得力無いからね。


「いや、俺こそごめん。あと、服も俺の涙とかで汚してごめん」


「ううん、そんなに謝らんといて。それで、さっきの話の続きな」


 元カノの浮気の件ですっかり本筋を忘れていた。


「今日になって、神さんから陽さんが振られたって連絡が入って、準備しとった計画が発動されたんです。大沼荘にトラックが突っ込んだもの、大家さんがここに引っ越すように言うたもの、万が一、陽さんが振られた時にうちが許嫁として陽さんのもとに派遣できるように準備されとったんです」


 だろうね。トラックが突っ込んだ光景を見てから夜見さんがインターホンを押してここに来るまでの流れが綺麗すぎるもんね。


「別に騙すつもりは無かったんです。うちらからしたら施されたら施し返す、御利益ですからというところです」


 夜見さん的には渾身のギャグを放ったつもりらしくニヘヘと笑って見せる。


「うん、夜見さんの言っていることはわかった。理解したつもり。でも、夜見さんはそれでいいの。特にかっこいいわけでもない。今までまともに話したこともない。オタクで陰キャで変に理屈っぽい人の許嫁にされて。そんなほとんど知らない人の許嫁にされて嫌じゃないの。夜見さんなら俺じゃなくてもっといい人と付き合うことくらい簡単に出来るよ」


 こんな俺の許嫁にされるなんて夜見さんが可哀想過ぎる。じいさんには悪いが、許嫁コースから恋の応援コースにでも変更してもらおう。


「陽さんは変なことをいいますね。ちょっと昔までは祝言の時まで相手の顔見ないことなんて普通にあったんよ」


 それちょっと昔どころじゃないだろ。たしかにドラマとかでは戦前のシーンでそんなことあったけど。現代じゃそんなことはかなりマイノリティーなはずだ。


「それにもう、うちに帰る家はありません。ここに来た時点で今まで住んでいたところは解約されました。あと、陽さんがうちのこと気に入ってくれん場合はうちは神さんとこに帰らないけまへん。そして、ちゃんと御利益を果たせなかったということでキツネの姿に戻されて襟巻にされてしまいます。まあ、タヌキの場合はタヌキ鍋にされますからちょっとはましかもしれませんけど」


 えっ、何そのスプラッター映画みたいな結末。どちらも死亡のバッドエンドじゃん。


「陽さんはうちのこと嫌いですか?」


 夜見さんは俺との距離を詰めて潤んだ瞳で見上げてきた。


 ちょ、ちょっと、そんなふうに見つめるの反則だろ。運動会の騎馬戦にサブマシンガン持ち込むくらい反則。


「い、いや、俺は夜見さんのことは嫌いじゃない。でも、さっき振られたばかりだし。夜見さんのこと全然知らないから好きでも嫌いでも――」


 突然のことで今起こっていることがわからなかった。


 俺の首に手が回され、話していた口は夜見さんの唇で塞がれた。


「それなら全然問題ありません。陽さんがうちのことしか考えられないくらい好きにさせてみせます」


 彼女の吐息が耳をくすぐる。きっと、今の俺はさっき泣いていた時と同じくらい顔が赤いに違いない。


 元カノともしていなかった俺のファーストキスは突然許嫁として派遣されてきた夜見さんに奪われた。


「さっ、夕食の買物でも行きましょ。今日からはうちがちゃんとご飯作るさかい」


 俺への突然のキスを終えた夜見さんは俺から離れるとすぐにクルっと反対を向いた。その一瞬に見えた彼女の陶器のような顔は紅くなっていた。


 さっきまで許嫁を断ろうと思っていた俺の心は大きく揺らぎだしている。俺が夜見さんを断れば、彼女は襟巻にされちゃうって神様酷いだろ。


 夜見さんと近くのスーパーで食材を買って帰り、部屋の扉を開けた時この部屋が自分の部屋でないと思ってしまった。


 それは、この部屋に慣れていないからではなく、買い物に行っている間に部屋の中にソファー、テーブル、大型テレビ、大型冷蔵庫等の家電が運び込まれて殺風景だった部屋が一気におしゃれなカップルの同棲部屋のようになっていたからだ。


「夜見さん、これって……」


「これはうちの仲間からの餞別ですね。昔からこうやって新しい生活おきばりやすって送る風習があるんです」


 まずい、これって結婚の時のご祝儀みたいなものだろ。完全に俺の外堀埋められてるじゃん。流されちゃダメなのに流れがどんどん激流にみたいになってきた。


 運び込まれたばかりの冷蔵庫に買ってきた食材を入れている夜見さんを見ながらハッと思い、急いで奥のベッドルームの扉を開けた。


 やられた。


 ベッドルームにはクイーンサイズの大きなベッドがしっかりと置かれていた。


 マジかよ。これはまずいって、夜見さんと同じベッドだなんて。夜見さんに手を出すとかという問題ではなく、隣で女の子が寝息をたてていることを考えるだけで、落ち着いて眠れる気がしない。


「ん? どないしたの。わぁ、大きいベッドやない。これなら二人で寝ても狭ないからいいわぁ」


 俺の後ろでは夜見さんがグーにした両手をほっぺに当てて嬉しそうにしている。


 やっぱりこれって二人で寝るためのものですよね。寝る時までにどうするか対策を考えなくては。


 夕食後、本日の危険イベントであるお風呂時間がやって来た。


「陽さん、お風呂はいかがします? うちは一緒に入ってもええねんけど……、お背中流しますよ」


 やはりそうきたか。絶対に一緒に入ると言ってくると思っていた。


 これは罠だ。


 いや、夜見さんは罠だなんて思っていないと思うが、俺からしたら大いに罠である。健全なる少年誌のグラビアまでしか経験したことのない俺にとって、いろいろなものを飛び越していきなり同級生と一緒にお風呂に入るなんてことは正常な判断を狂わすには十分な刺激である。


「気を使ってくれて、ありがとう。でも、俺一人で入るから大丈夫。先に夜見さん入って」


 夕食前から入念に考えていた台詞と言うことに成功。


「フフッ、そのセリフ何回練習しはったんですか? えらいガチガチで不自然です。まあ、陽さんが一人がええならそれでかまいまへん。でも、先に入るは陽さんにしてください。うち、まだ荷物の整理が終わってなくて、そっちを先にしたいんです」


 全部バレてる。お風呂に入ることをそこまで意識していたということがバレて恥ずかしかった。ただ、一人で入るということを勝ち取ったので、結果としては勝利と言っていいだろう。


 湯船につかりながら、今朝からのことを思い返す。


 元カノに振られてから怒涛の勢いでここまで来てしまった。今朝の俺にあと十二時間以内にお前に許嫁が現れて高級マンションで銀髪美少女と一緒に生活するなんてことを話しても絶対に信じなかっただろう。


 御利益って半端ないな。こんどから参拝するときはもっときちんとしようなんてことを考えていたらだんたんと眠くなってきた。俺が感じている以上に身体は疲れているのかもしれない。


 溺れないうちに風呂から出て寝る準備を整えると、夜見さんに疲れたから先にベッドに入ることを伝えた。


 二人で寝るには十分な大きさのベッドの端の方にちょこんと外側を向くように横向きになって寝た。ソファーで寝ることも考えたが、きっとそれでは夜見さんがいらない気を使うと考え、最善の策としてこの形を選択した。


 風呂でうとうとしていたのにベッドに入った途端、急に眼が冴えてきた。それはいつもと違う寝床だからだろうか、それともこのあとここに夜見さんが来て一緒に寝るからだろうか。


 しばらくして、壁越しに小さい音だけれどドライヤーを使う音が聞こえてきた。夜見さんがお風呂から出たのだろう。ということは彼女がもうすぐここに来ることになる。それまでに寝ないとますます寝付きにくいと思うが、それが余計に緊張を生んでしまい寝付くことが出来ない。


 ついに、ベッドルームの扉が開く音が聞こえ、少しベッドが揺れることで彼女もベッドに入ったことがわかった。


 自分はこのままの姿勢でいればそのうち寝てしまうだろうと思っていたら、背中にぴとっと夜見さんがくっついてきた。ふわりと風呂上がりの彼女のいい香りが俺を包む。


「これは独り言です。なんで、そないに端で背中を向けて寝てはる? そないにうちのこと嫌いですか? うちが許嫁ではあきまへんか?」


 俺のパジャマを握った手は小刻みに震え、途中から涙声になりながら夜見さんは続けた。


「もし、そないならちゃんと言ってください。明日にはここ出ていきます。そうすれば、新たにマッチングされた私よりいい子が来てくれはりますから。うちは一日だけでも陽さんの許嫁として一緒にいれて幸せでした」


 出て行くって……、そんなことすれば、夜見さんはキツネの姿で襟巻にされるんじゃないのか。夜見さんそれでいいの……、いや、夜見さんが言っているのは彼女の気持ちじゃない。俺が夜見さんをどう思っているかだ。


 それに気づくと何を言うかを考えるより先に起き上がった。


「夜見さんは俺の許嫁にはもったいないくらいいい人です。可愛いし、俺のこと気遣ってくれるし、服が俺の涙や鼻水で汚れることも気にしないで慰めてくれるし、料理もすごく美味しい。本当に俺には出来過ぎている許嫁だと思っています。さすがに今日振られたばかりで気持ちの整理がつききれていないから、すぐに夜見さんの気持ちにすべて応えることは出来ないかもしれないけど、出て行くなんて言わないでください」


 とにかく思いついた言葉を特に考えず吐き出した。上手くまとまってないかもしれない。でも、今、俺が思っていることをちゃんと伝えないといけないと思った。


 夜見さんは顔を手で隠しているので、どんな表情をしているかわからない。


「ほな、明日からもここにいていいんですね」


「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 俺はベッドの上で正座をして深く頭を下げた。


「やっと、陽さんの気持ちが聞けたわぁ」


 さっきまでとは声色が違いいつもの調子の声が聞こえた。


 えっ⁉ と思って顔を上げるとニヘラと笑っている夜見さんがいた。まさかさっきのあれは全部夜見さんの計算⁉


「ほんま、陽さんはいけずな人やから、なかなかうちのことどう思っているか言うてくれんからなぁ。本当はうちの方に向きを変えて、抱きしめられて、そのままの勢いで……とも思っていたんですが、陽さんの理性が永久凍土並に硬いみたいやわぁ」


 ころころと表情を変えながら嬉しそうにしている。一方こっちは肩にガチガチに力が入っていたのが抜けてへなへなとベッドに倒れこんだ。


「大丈夫ですか?」


 夜見さんは膝をついた四つ這いの格好で俺の上に覆いかぶさった。傍から見れば俺が襲われているように見えるかもしれない。


「陽さんの永久凍土みたいな理性をいつか溶かしてみせますね。その時はどんな風になるか楽しみにしてます。そして、うちなしじゃダメなくらいにしますんで覚悟してな」


 夜見さんはそう言うと同時に俺の口を塞ぐ。彼女の髪が俺の頬を撫でて石鹸だけではない、いい香りがグッと濃くなって頭がくらくらする。


 口づけを終えた夜見さんは俺から離れて寝る体勢に入った。


「今のはおやすみのキスです。ほな、おやすみなさい」


 本日二度目のキスに呆然としながらも睡魔が俺の方にもやってきた。


 まどろみゆく意識の中で俺はおやすみなさい、明日からもよろしくと呟いて夢路を辿った。


《読者の皆様へ お礼とお願い⦆

この度は短編ながら読んでいただきありがとうございます。本当に感謝です。

「面白い」

「続編も書いて」

「連載化して」


と少しでも思っていただけましたら、


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皆様のご意見を今後の作品作りの糧にしていきたいと思います。

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