遭遇
昼になり、フォルトは指示された通りに中庭へと向かっていた。すると前方から学生の集団が近づいてくる。面倒なことになりそうだなと、フォルトはスッと近くにある木の上へと飛んだ。
木の上から見下ろすと、その中に見覚えのある人物がいる。橙色の髪に黒い瞳。フォルトとは顔立ちもその色合いも全く持って似通っていないその学生は、フォルトの戸籍上の弟である。兄弟として過ごした記憶がないため、フォルトからすれば他人も同然だ。それを言ってしまえば、フォルトにとって家族と呼べる存在などほとんどいない。
「流石は次期伯爵。さっきの男爵令嬢はそこそこの美少女だったな。羨ましいぜ」
「まぁな。けど僕に相応しいのはやはり王女殿下だろう。いずれは僕と結婚するのだし、それまでの繋ぎというやつさ」
「っとに悪い奴だよ。けどよ、王女殿下の婚約者って一応はお前の兄だろ?」
「ふん、あんな奴は兄じゃない。母は同じらしいけど、それすら怪しいものだ」
吐き捨てるような声だ。ここからは見えないが、その表情も歪んでいることだろう。いつものことだが、フォルトからしてみれば大した話もしたことがない相手に何を言われようと気にならない。それが血を分けた弟だとしても。
「馬鹿馬鹿しいな、ほんとに」
この学園の中では、伯爵家という爵位は上位の部類に入る。だからこその態度なのだろうが、あくまで学園の中だけの話だ。学園の外に出れば、通用しない。なぜこの小さな世界の中の話だというのに、あそこまで優越感に浸れるのだろうか。
「だからこその箱庭、か。他者を見下すことでしか意義を見出せない。そういうことなんだろうな」
それはフォルト自身が告げられた言葉だ。今ならばその意味も理解できる。己の価値をそうすることでしか測れないのは、とても寂しいことだと。恐らく彼にとってはその対象がフォルトなのだろう。家でも見向きもされないフォルトと比べて、自分は優れていると感じたい。そう思うこと自体が、既に己を貶めていることなど気づくことはない。
彼らの後ろ姿が遠くなるのを見計らって、フォルトは地面に降り立つ。約束の時間が近づいてきているので、急いで向かわなければならない。遅刻でもすれば、またあのお姫様は怒り心頭だろう。
「少し急ぐか」
「あ、あの」
そうして向かおうと姿勢を正したところで声を掛けられた。声に振り返ってみると、少々小柄な少女がそこにいた。どこから出てきたのだろう。少なくとも連中がいた時には、姿はなかったはずだ。
「……」
「あの、えっと……フィアート様、ですよね?」
あまり呼ばれることのないので馴染みのない名前だが、それは間違いなくフォルトの家名である。だが、目の前の少女には見覚えがない。これでも一応高位貴族令嬢の顏は頭に入っている。少なくとも、フォルトが知る限り伯爵家より下位貴族の令嬢だろう。ならば、あちらから声を掛けてくるのはマナー違反だ。尤も、それはあくまで貴族社会でのルールなので、フォルトにとっては当てはまらないのかもしれないけれど。
「確かに私はフィアートですが、貴女は?」
「あ、すみません。私、この前編入してきたんですけど、ミーア・リステルといいます」
「リステル……なるほど、リステル男爵家ですか」
そういえば最近編入生が来たという噂をどこかで聞いた気がする。学園内の噂話には詳しくないので、それ以上のことは知らない。だが恐らくはこの少女こそがそうなのだろう。髪色こそ茶色と目立たない色合いだが、その瞳は深緑色。少し小柄で色白ということもあって、どこか庇護欲を感じさせるような雰囲気を持っている。
「それで、その編入生が私に何か用ですか?」
編入してきたということは理解したが、ではなぜわざわざフォルトに声を掛けてきたのか。そこがわからない。制服のタイの色からしてまだ一学年だ。同学年でもないし、これといって接点もない相手に声を掛けてくる理由はないだろう。普通ならば。
「フィアート様にお聞きしたいことがあって」
「私に?」
「……その左目、もしかして色が違うとかで隠されているんですか?」
おおよそ初対面に尋ねる内容ではなかった。フォルトは呆れたように深く息を吐く。確かにフォルトの左目と右目は色が違う。これ自体珍しいことなので、奇異の目で見られることは多い。貴族においてはそれが蔑んだものになる。だから隠しているのだろうと周囲が見るのも当然だった。
「それが君に何か関係がありますか?」
「関係は、ないですけど」
「用がそれだけなら失礼します」
「え、ちょっと待って――」
引き留めるように手を伸ばしてきたが、フォルトは構わず背を向けた。興味本位で声を掛けてきたのだろう。学園で眼帯をしているのはフォルトだけだ。それだけでも目立つ存在だということはわかっているが、わざわざ確かめに来るとは随分と暇をしている。編入ということは、まだまだ講義には不慣れだろうに。
そんなことを考えながら歩いていると、目的の中庭へとたどり着いた。そこにはベンチに座り腕を組みながらも眉を吊り上げているグリューネの姿。少しばかり遅れてしまったらしい。傍に近づくと、フォルトをじっと睨みつけるかのように見上げてきた。
「遅いわ! 何をしていたのよ!」
「申し訳ありません」
「レディを待たせるなんて、紳士のすることじゃないわよ」
「……そうですね」
待つのが嫌ならば待ち合わせなどしなければいい。そう言いかけた言葉を飲み込む。フォルトとてグリューネがそこまでしてフォルトと昼を共に摂ろうとするのは、彼女なりの気遣いだと知っているから。
学園にも食堂はあるが、フォルトは一度も利用したことはない。無論、弁当を持ってくることもないので、基本的に昼食は食べなかった。そんな生活に慣れてしまっているので、フォルト自身は何とも思っていないのだが、グリューネからしてみれば許せないことらしい。なのでこうして強引にでも食事を摂らせようとしてくれる。グリューネは、フィアート伯爵家でフォルトがどういう扱いを受けているのかを知っているのだ。
「いつまで立っているのよ」
「……では失礼します」
「わざわざ断りなんて必要ないでしょう」
そういいながらグリューネは、自分の膝の上にあるのと同じお弁当をフォルトへと差し出した。
「今日は……ちょっと色々と工夫したの」
「殿下が作ったのですか?」
「そ、そうよ。だって……お兄様がその方がいいっておっしゃるから」
よく見ればグリューネの指先には、怪我の手当てをしたような跡があった。王女という立場にあるグリューネが料理をしたことがあるとは思えない。恐らくは王子殿下たちに揶揄われたのだろう。直ぐにムキになるグリューネの反応を楽しんでいたに違いない。
「ありがとうございます、殿下」
感謝を告げると、グリューネはプイっと外へ顔を向けた。だがその耳は赤くなっている。これは照れている証だ。それを告げれば、また怒り出すのはわかっているのでフォルトは手を合わせると弁当箱を開けた。