その1 フェンサー
「うわぁ、聞きしに勝るってまさにこのことですねぇ!」
革でできた大袋を背負い帯剣した痩せぎすの青年が、目の前にそびえ立つ山を仰ぎ見て驚きの声を上げた。
バルブレア大陸の四大国の一つ、ダルモア帝国の王都ツーリから北へ徒歩三日の距離のところにこの山がある。
ジル山脈を構成する山の一つで、剣聖キリュー・ゴーライの修行場だったことからゴーライ山と呼ばれていた。
「けっこう登ったのにまだ頂上が見えないなんて……。隊長のご実家、とんでもないところにありますねぇ……」
青年が呆れたように言う通り、ここまで来るのに、街道から外れて山道を登り始めてから随分と時間が経っていた。
険しい山道を黙々と登るうちに、周囲は、森林限界で植物が育たないくらいの標高までになっている。それなのに頂上はさらに高く、雲に覆われて見ることができなかった。
隊長と呼ばれた三十前後と思われる男が、青年の隣りで同じく目の前の山を懐かしそうに見上げている。
青年よりも頭一つ分背が高く、陽に焼けた顔に太い眉と大きな目が精悍さを感じさせた。鍛えこまれただろう肉体が、革鎧と羽織ったマントの上からでも窺い知ることができた。
男の名は、キリュー・リュウケン。剣聖キリュー・ゴーライの孫で、北の蛮族の国ド・グーの討伐のために戦地に向かい、五年ぶりに実家に戻ってきた。
「この山道を修行と称して、俺は5歳の時から毎日上り下りしてたんだ。
爺さんから『毎日新鮮な牛乳を飲むように』と言われて、弟子たちと一緒に毎朝麓の村まで牛乳をもらいに瓶を担いで行ったもんだ。今思い出しても辛かったなぁ……。辛かったが、まぁ、そのおかげで足腰は、もの凄く強靭になったけどな。
ーーそんなことよりフェレット、さっさと登っちまうぞ。実家の用事を済ませて、今日中に王都に着きたいからな」
そう言って、リュウケンは歩き出した。
「うへぇ……」
思わず痩せぎすの青年ことフェレットは、ため息をつく。
まだ昼になるまで十分に時間があるが、これから山頂まで登り、用事を済ませ、それから大人の足で三日かかる王都までの道のりを今日中に行くことを考えたら、フェレットがため息をつくのも致し方がなかった。
しばらく進むと、岩肌に沿って階段が掘られているのが見えた。北側から東側へ左に回り込むようにして階段が続いている。
「ここから頂上まで一気に登るぞ」
リュウケンがそう言い終わらないうちに、勢い良く駆け足で階段を上り始めた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
フェレットが慌てて追いかけるが、大荷物を背負っているせいもあって、リュウケンとの差は開くばかりだった。
必死になって追いかけるフェレット。
前を走るリュウケンが、
「絶対に落ちるなよ! 落ちて死んだヤツが何人もいるんだからな!」
と大声で言ってきた。
階段は、大人二人がやっと擦れ違うだけの幅。すぐ横は断崖で、リュウケンが言う通り、
(これは、落ちたら絶対に死ぬ……)
と、フェレットは崖下を覗き見して、冷や汗をかきながらそう思った。
先を走り上るリュウケンの姿は、すぐに見えなくなった。
子供の頃から毎日上り下りしたということあって、まるで平野を駆け回るかのように、急な階段を何の苦も無く上っていった。
(この階段を削るのに、どれだけの期間と人手と労力が必要だったんだろう……)
などと考えながら、フェレットは、リュウケンの後を必死に追った。
途中、雲を突き抜け、眼下に雲海を望むことができたが、フェレットは全く見る余裕がなかった。
重い荷物を持ち、尚且つ空気の薄い高所での激しい運動ゆえに意識を失いかけながら、やっとのことで山頂にたどり着いた。
「ふひぃ……やっと着いた……」
フェレットは、疲れて座り込みたい欲求をなんとか我慢し、周囲を見渡した。
山頂は思ってた以上に広く、小さな街ならすっぽり入るくらいの広さがあった。地面は岩質にも関わらす、刃物でスパッと横に切り取ったように平坦で歩きやすかった。
(もっとゴツゴツした岩肌むき出しの足元を想像していたんだけどな……)
これには、フェレットも少し驚かされた。
東側の階段登り口から見て、西側中央の遠くに木の塀に囲まれた大きな建物が一つ、その建物を挟むようにして中ぐらいの建物が二つ建っているのが見えた。
リュウケンの姿を探すと、南側の少し離れたところに立つ巨大な石像の前で座ってくつろいでいるのが見えた。
急いでリュウケンに駆け寄ると、一言、
「遅い!」
と、怒られた。
それでも、リュウケンの視線は石像からは離れない。
フェレットは、恐る恐る話しかけた。
「この石像は、剣聖ゴウライ様の石像ですか……?」
「そうみたいだな。俺がいたときは、こんなもんはなかったがな……」
剣を帯びて仁王立ちした老人の像。長い髭が印象的で、やはり祖父とあって面影はリュウケンに似ていた。ガッチリとした体格も祖父譲りなのかもしれない。
石像の前には、花や果物、見たこともない食べ物が供えられていた。
「さて、行くか」
リュウケンは、おもむろに立ち上がると、スタスタと遠目に建物が見える方向へ歩き出す。
フェレットは、無言で付き従った。
しばらくすると、気合声が聞こえてきた。
開け放たれた門の中を覗くと、木剣を手に打ち込みをする集団が見えた。
すぐに門の中へと入ると思いきや、リュウケンは、門に備え付けられた古ぼけた看板を難しい顔をしてジッと見つめていた。
見たこともない文字を目の当たりにして、フェレットが尋ねた。
「こんな文字は、初めてみました。隊長、これは何て書いてあるんですか?」
看板には、『桐生錬気術』と書かれていた。
「ああ、『きりゅうれんきじゅつ』って書いてあるんだ。俺もそんなに詳しくないが、爺さんが生まれた国の文字らしい」
そう言って、リュウケンは、何故か『ふぅ…』とため息を一つつくと、意を決したように門の中に入っていった。
馬が自由に駆け回れるほど広い敷地には、敷き詰められた石畳の上で、四、五十人ほどの訓練生が忙しく木剣を振るっていた。
ここは標高も高く肌寒いくらいなのに、男たちは皆大汗をかき、体からは湯気を立ち昇らせている。
彼らの振る木剣の太刀筋は鋭く、正式に剣技を学んだことがないフェレットは感心して見ていた。
リュウケンが訓練風景をしげしげと見ていると、
「どちら様で……?」
一番近くで木剣を振るっていた大柄の若い男が、ゆっくりと近づいて尋ねてきた。
「俺は、リュウケン。弟のイオリに取り次いでくれ。ーーまぁ、勝手に入っても文句を言われる筋合いはないのだが、イオリのヤツ、ここで道場主のようなことをやってるみたいだから、一応、ヤツの顔を立てないとな」
そう言って、ニヤリと笑う。
「リュ、リュウケン様でしたか! リュウケン様とは、き、気づかず申し訳ござ、ございませんでした。ど、どうぞ、こちらへ……」
リュウケンの顔を知らなくても名前だけは良く知っていたようで、名前を聞いて驚きのあまり取り乱しそうになりつつも、若者は正面に見える建物へと案内をしてくれた。
リュウケンとフェレットは、他の訓練生たちの好奇な目にさらされつつ、先導された一番大きな建物へ向かった。
「道場ですか! うわっ、広い!」
建物の開け放たれた扉から中を見て、フェレットが驚いて声を上げたのも無理もなかった。山頂にもかかわらず、中では、百人を超す大勢の訓練生が木剣で打ち合っていたが、その倍の人数でも余裕で収容できる広さがあったからだ。
「リュウケン様、少々お待ちください」
そう言って、案内をしてくれた若者は急いで中に入ると、入り口から見て左手に、一段高くなった場所で正座して練習を眺めている人物に駆け寄っていった。
案内役の若者が説明し始めると、その人物が入口に立つリュウケンに鋭い視線を一瞥すると、ゆっくりと立ち上がってこちらにやってきた。
弟と言っても、無造作に伸ばした黒髪のリュウケンとは違い、金髪を短く綺麗に切った目つきの鋭い若者だった。
「兄上、お久しぶりです。御壮健の様子でなりよりです」
若者は、リュウケンの目の前に来ると、正座をして深々と頭を下げた。
「おう! 相変わらず堅苦しいな、イオリ。用事があったから、わざわざやってきたぞ。まず、喉が渇いたので茶をくれ」
「兄上も相変わらずですね。ー—では、こちらへ」
そう言って、隣の母屋に連れていかれた。
母屋は、武骨な木造の道場とは違い、石造りのタイルを使った貴族が好みそうな洒落た造りの建物だった。
備え付けられた家具も、田舎者のフェレットでさえ一級品というがわかるくらい高価な物が置いてある。
二人は、客間に通されると、宝石のように磨かれた大理石のテーブルについた。
すぐに、弟子と思われる別の若い男がやってきて茶を淹れてくれた。
「緑茶も五年ぶりだな……」
リュウケンはうまそうに飲み干すと、おかわりの冷たい茶を自分で水差しから注ぎ入れる。
「緑色の茶ですか……珍しいですね」
注がれたお茶を興味深そうに見ていたフェレットが、恐る恐るお茶を口に運んだ。
「うん、苦みの中にもほのかな甘味があって、サッパリしていて美味しいですね」
フェレットは、お茶菓子のクッキーも口に放り込んでご満悦の様子だ。
「ところで兄上、今日の御用件はなんでしょうか?」
二人が喉を潤したのを見計らって、イオリが口を開いた。
「素っ気ないな……。ま、お前らしくていいかもしれないな。ーーまず、爺さんの刀を渡してもらおうか」
そう言うと、イオリの頬が不自然なほどピクリと動いた。
少しの間があったが、イオリはゆっくりと立ち上がり奥の部屋へと消えていった。しばらくして戻ってくると、手には二本の刀が携えられていた。
「どうぞ、手入れはしております」
差し出された刀を手に取ると、おもむろに刀を鞘から抜き、刀の状態に目を凝らす。
隣で見ていたフェレットも、その刀に目を奪われた。
フェレットが両手を広げたほどもある黒塗りの鞘に収められた大刀。少し反りのある形状で、刃には、荒海が上げる水しぶきのような紋様が描かれている。
(これが剣聖キリュー・ゴーライの名刀か……。人を殺す道具なのに、なんて美しいのだろう……)
押し黙っていたリュウケンも刀の状態に納得いったようで、
「さすがにこれほどの刀には、巡り合えたことがないな……」
ひとしきり愛でたあと、静かに納刀した。
そして、刀の美しさの余韻に浸ることなく、リュウケンはイオリに目を向けた。
「イオリ、いくつかお前に聞きたいことがある」
「なんでしょうか……?」
リュウケンの落ち着いた口調に、イオリは逆に緊張を覚えた。
「まず外の石像、あれはなんだ? なんであんなものがここにある? それと高弟のバルトンがここを仕切ってるはずが、爺さんの弟子が一人も見当たらねぇ、どういうことだ……?」
その質問に、イオリはドキリとした。
五年前、剣聖であるキリュー・ゴーライが亡くなった後、後継者である兄の代わりに、父のランザンと自分が『桐生錬気術』の看板を背負うことになった。
祖父ゴーライの遺言には、『領地は息子嵐山に譲渡する。ジル山脈にある道場を含め、「桐生錬気術」に関するすべてのことは、孫の竜剣へ任せる』とあった。
貴族との事件を起こしてすぐに、蛮族との戦争が起こり前線に飛ばされたが、リュウケンが帰郷するまでゴーライの直弟子で師範の一人であった高弟のバルトンがすべて任されることになっていた。それは遺言にも載せられていたことだった。
だが、父ランザンが横槍を入れ、桐生の道場をも強引に我が物とした。修行場があるジル山脈一帯が、良質の金鉱脈が豊富に埋蔵されていることを知っていたためだった。ゴーライの遺言を無視した横暴な行為に反発したバルトン他、すべての祖父の直弟子は、ランザンが自ら破門にして追い出した。
門下生が数万人という盛隆を極めた桐生の道場も、このことがあってから一時期道場生たちが激減し、大陸一の剣技ともてはやされたのは過去のものとなった。
「あれは、ここの支援者からの助言で建てました……。兄上が戦地に行かれた後、お爺様の直弟子たちは、父上のやり方に反発し、桐生家に対して恩を仇で返すかのように、練習生を引き連れてここを去っていきました。
父上と私は、御爺様の意思を引き継ぐためにも『桐生錬気術』を復興すべく、あらゆる手段を取りました。それが、あの石像を建てることでここを聖地とし、『桐生』を名乗る他の偽の道場ではなく、ここが本家で正統であることを示しました」
「正統ねぇ……」
それを聞いて、リュウケンは思わず苦笑した。
正統とは、唯一後継者として名指しされたリュウケンであって、桐生一族のものではない。それに『練気術』を使えない親父やイオリが正統を名乗り、道場を構える姿が滑稽に思えた。
「まぁいいや……。で、支援者って誰だ?」
「王都アルーナ地区の治める義父のデュワーズです。2年前に一人娘のカスクを妻に迎えました」
「ふーん……。ま、結婚おめでとさん」
義父や結婚ことを含め、色々と近況報告してくる弟の話を聞き流していると、外にみすぼらしい格好をした十歳前後の子供5人が、庭を横切るように歩いてきた。
その中の一人を見て、リュウケンは驚きのあまり目を見開いた。
「おい!」
隣でお茶菓子を貪り食うフェレットに肘鉄を食らわせ、外にいる子供を見るように顎で指して促す。
何事かと、指し示す先を見たフェレットも驚きの表情を見せた。
その様子を見たイオリが説明する。
「ああ、彼らは、アルーナ地区にいた孤児たちですよ。義父に頼まれてここで世話をしています。まぁ、剣術の才能は全くないので雑用係として働かせていますが……」
イオリの面倒な事を頼まれたという気持ちが前面に出た物言いに、リュウケンが一瞥すると、
「孤児か……。じゃ、一人貰っていってもかまわないな。――フェレット、ここに連れてこい」
顎をしゃくって指示を出すと、すぐさまフェレットが子供を呼びに行った。
「兄上が引き取ってくれるなら助かりますが、礼儀作法も知らないただの小汚い子供ですよ。学もなく文字も読めませんから、連れて行っても役に立たないと思いますが……」
外にいる子供を見下して言うイオリに対して、
「だからお前はダメなんだよ」
リュウケンがさらに冷たい目で見下してイオリを見た。
外では、フェレットが5人の中でもっとも小柄で瘦せっぽちな子供に声をかけ、こちらを指さしながら身振り手振りで話すのが見える。
すぐにフェレットが子供を連れてこっちにやってきた。
子供を家には入れず、あけ放たれた戸を通して庭から対面した。
「よぉ、わざわざ来てくれてありがとうな。俺は、リュウケン。『桐生練気術』の正統な使い手だ。で、お前の名前は、何て言うんだ? 自分の歳がわかるか?」
正統という言葉を強調して言うと、イオリが渋い顔をした。
「……アルファ。歳は、多分、13才」
ぼそりと小声で名前を述べる。
ヨレヨレの染みだらけの麻の長袖シャツに、同じく汚れた麻の七分丈のズボンを着ている。汚れ具合から、孤児として過酷な環境で生活してきたのがうかがい知れた。見た目が10才ほどなのは、成長に必要な栄養が足りてない証拠だろう……。
「なんで自分がここに呼ばれたかわかるか?」
リュウケンの問いに、アルファが小首をかしげる。
「よし、よく見てろよ。――ふん!」
リュウケンが体に力を込めると、常人には見えない不可視の金色の炎が燃え上がった!
それを見て、息を飲むアルファ。
「俺だけじゃないぞ、フェレットやってみせろ」
リュウケンに促されて、フェレットも体に力を込めた。
フェレットの体の表面に薄っすらと白く光った。
それを見て、アルファが『ぷっ』と噴き出した。そして、フェレットを指差して、
「そっちの人、最初の人が山火事だとしたら、ロウソクの炎しかない……」
そう言われて、フェレットががっくりと肩を落とす。
「あははは、フェレットは”気”の量が微々たるもんだからな」
リュウケンも笑い声を上げる。
イオリは、このやり取りの意味がわからず、不審な表情をしていた。
「アルファ、お前さんも相当な”力”を持っているようだが、使い方が全くなってない。今も力を垂れ流している。いわゆる、何も知らない幼子がお漏らししている状態だ。そこでだ、俺と一緒にくればその”力”がなんなのか、どのように使えばいいのか一から教えてやる。どうする? 一緒に来るか?」
アルファは、しばらく悩むと、
「強くなれるの?」
と、率直に聞いてきた。
「ああ、俺が教えてやれば、3か月でこの道場で剣を振り回しているヤツの誰よりも強くしてやるよ」
「なら、ついていく!」
アルファは、薄汚れた顔に笑みをたたえて言った。
だが、それとは対照的に、イオリの満面には怒りの表情を浮かばせていた。
「聞き捨てなりません! 道場で剣を振り回しているヤツとは、私も含まれているのでしょうか! 私が幼き頃から20年も振っている剣技が、兄上が3か月鍛えたこの子供の方が勝ると言うのですか!」
イオリの物言いに、リュウケンは、思わず『チッ』と舌打ちが出た。
「お前が才能がないと言ってバカにしたこの子供は、”気”使いだぞ。正直、”練気”の使えないお前なんか足元にも及ばないからな」
「そうですか……。御爺様に疎まれた父上や私と違って、兄上は、御爺様が自ら手ほどきをするほど気に入られ、”練気”の全てを教え込まれたそうですね。私は、”練気”のいろはでさえ教えられませんでしたが、独学で”気”を学び、ある程度なら私も使える用になりました」
「ほう……」
「私は、”気”とは、人体に内包する”力”のことで、その”力”を操り、蓄え、瞬間的に爆発的な力を生み出すのが”練気”であるという結論に達しました。御爺様は、”練気”について伝授してくださりませんでしたが、独学でも”練気”の使い手になれることを、私は証明したいと思います」
睨みつけるようにして言うイオリに対して、リュウケンは、呆れて言った。
「独学で”練気”使いになる? イオリ、それは無理だ。お前は勘違いしている。爺さんは、親父やお前を嫌って”練気”を教えなかったんじゃない、教えられなかったんだよ。――考えてみろ。お前は、生まれつき目の見えない者に、どうやって空の青さを教えることができるんだ? 生まれつき耳の聞こえない者に、どうやって王宮で奏でられる笛の音を教えることができる? 生まれつき”気”が見えない親父やお前は、最初から教えを受ける資格がなかったんだよ。そこのところをよく覚えておけ」
切って捨てるように言う言葉に、イオリが体を震わせるながら反論した。
「それでも私は多少なりとも”練気”を身につけました。御爺様や兄上、そして直弟子たちが避けていた王国主催の剣術大会に3年前出場し、私は”練気”を使い、そこで優勝して陛下から直接剣聖の称号を授かりました。それでも、この子供を3か月鍛えれば私より強くなれると言うのですか!」
イオリが、口角泡を飛ばしながら食ってかかる。
「言っちゃ悪いが、王国主催の剣術大会なんて子供のお遊び程度だぞ? 本気で”練気”の使い手が仕合ったら、血みどろの殺し合いにしかならねぇ。だから爺さんは、直弟子たちに大会などの出場は禁止にしたんだ。そんなこともわからねぇのか、お前は……。それに、お前が言う”練気”なんざ、北の蛮族ド・グーに行けば、子供だって使ってる技術だぞ。実戦も知らねぇ道場剣術家が、剣聖の称号を与えられるなんて笑い話にもならねぇよ」
「お言葉ですが、5年前、御爺様が亡くなられた隙をついて攻めてきた商業国家バシャンを撃退したのは、私と私の部隊ですぞ!」
「アホか! 爺さんは、亡くなった後のことも予想して、直弟子たち100人をバシャンに潜ませ、バシャンの兵がダルモアに攻め入る瞬間を狙ってバシャンの重鎮たちを皆殺しにしたんだ。その一報を聞いてすぐに撤退したバシャンの侵攻部隊に追い打ちをかけただけの戦いが、お前の言う戦争だとしたら、お前、蛮族国家ド・グーの最前線ならすぐに死ぬぞ。――ああ、もういい。これ以上言っても無駄だから、道場で本物の”練気”が何であるか身をもって教えてやるよ」
リュウケンはそう言って立ち上がり、フェレットとアルファを引き連れて道場の方へ歩き出した。その後を苦々しい表情をしたイオリが続く。
道場では、突然やってきたリュウケンを見て、訓練生たちは騒ぎ始めていた。
すでにリュウケンが、北の蛮族国家ド・グーの頑強な戦士たちを退け、北を平定した武勇は知れ渡っていた。
生存率の低い最前線で武功を重ね、当初は、10人の部下を擁する小隊長であった地位も、ド・グーを支配下に治めるころには、北の全兵力を統括する将軍にまで昇り詰めていた。因みに、直属の部下で新兵だったフェレットも500人隊長まで昇進していた。
生ける伝説を目の前にして興奮冷めやらぬ訓練生をよそに、道場中央で対峙するリュウケンとイオリの2人。
「始めに言っておく。これは試合じゃない、物分かりの悪いお前に対しての最初で最後の教導だ。”練気”が何であるか身をもって体験しろ。それから、アルファ! お前もちゃんと見てろよ!」
と、リュウケンが、道場の隅っこで見ているアルファに声をかけた。
アルファが、コクリと頷くのを確認してから、
「では、始めるか。――いつでもいいぞ。かかってこい!」
リュウケンが、木刀を持つ手をだらんとさせながら言った。
10歩ほどの距離を置いて離れていたイオリが、剣先をリュウケンの鼻の位置に合わせるようにして中段に構える。
足裏をこするようにじわじわと接近するが、リュウケンは、意も介さず大きなあくび一つした。
(バカにして……。だが、その態度も次の一撃で一変するでしょうよ)
イオリは、体内で力をゆっくりと溜める。
(間合いに入る寸前に、速歩を使って飛び込み、足から伝わる力と腰の回転による力に、腕を振り下ろす力と体の重さを木刀に乗せ、木刀が兄上に触れる瞬間に木刀を握り込み、蓄えた力を一気に開放する……。これに対応できなければ、兄上は、己の頭蓋に赤い花を咲かすことになるでしょう……)
じわり、じわりと間合いを狭めてきたが、あと6歩ほどの距離になると、
(ここだ!)
イオリは、一足飛びに間合いを詰めた。
リュウケンの懐に飛び込み、振りかぶった木刀を勢い良く振り下ろした。
(決まった!)
と、思った瞬間。体が何かに固定されたかのように動かなかった。
「ぐ、ぐぐっ……」
木刀を振り下ろした形で固まったイオリは、いくら力を込めても身動き一つできない。
「イオリ、本物の”練気”がどういうものかわかったか? お前が言う”練気”は、ただの体術だ。人が持つ力を的確に使うとお前が言う爆発的な力を生み出せる。だが、本物の”気”は、人が内包する力だけじゃない。息を吸う空気のようにどこにでもある。それを取り入れ、練り上げ、自分の力とするのが”練気術”の基本だ。それができないお前は、ここが限界だ」
リュウケンが持っていた木刀をイオリの首筋にそっと当てると、ビクンッと体が跳ね上がり、イオリはドサリと床に崩れ落ちた。
「おい、誰か! イオリの手当をしてくれ!」
リュウケンが一声かけると、訓練生が慌ててイオリに駆け寄り、数人で抱え上げて母屋に連れて行った。
「アルファ、ちゃんと見てたか?」
リュウケンが、離れて見ていたアルファのところに歩み寄って聞いた。
「うん、凄い! リュウケンから金色に光る糸がいっぱい出て、あのイオリっていう人をグルグル巻きにしてた」
「お、ちゃんと見えてたな。こんな感じで、気は色々と応用が利く。木刀を通して相手に気を送り込めば、相手の意識を一瞬にして刈り取ることもできる。まずは、お前は、気の制御ができるようになれ。それができるようになったら、いろいろと教えてやるからな」
「うん、頑張る!」
リュウケンは、アルファに呼び捨てにされることも気にもせず、興奮冷めやらぬアルファの頭をクシャクシャと乱暴に撫でた。
「さて、王都に向かうとするか。アルファ、出発するから自分の荷物を持ってこい」
「自分の荷物、何もない。出発する前に仲間たちにお別れのあいさつがしたい」
アルファが、神妙な顔で願い出た。悲しい素振りは見せていないが、別れが言いたいほどなら、孤児同士で仲良く助け合ってやってきたのだろう。
「行って来い。俺たちは、門の外で待ってるからな」
アルファは、もの凄い速さで道場を飛び出して行った。
リュウケンとフェレットが連れ立って門の外に来ると、
「よし! これも持っていくぞ。フェレット、お前が持て」
そう言って、門に掲げられた『桐生練気術』の看板を取り外し、フェレットに引き渡す。
「ええええ! こんな嵩張る物を持っていくんですか。置いていきましょうよー」
「アホか! 俺は『桐生練気術』の正統な後継者だぞ! 爺さんが書いた看板は、正統であることの証明なんだから置いていけるわけねぇだろ」
嫌がるフェレットの頭をバチンッと叩いて、無理やり看板を持たせた。
しばらくすると、もの凄い勢いでアルファが戻ってきた。
巨大な荷物を背負い、さらに一抱えもある看板を持つフェレットを不憫に思ったのか、
「お別れ言ってきた。看板、アルファが持とうか?」
「いや、持たなくていい。お前は、王都に行く道すがら、走りながら垂れ流している”気”を抑える方法を教えていく。それをちゃんとものに出来たら、フェレットみたいにロウソクの炎程度の”気”しか扱えないヤツなんか、すぐに追い抜けるぞ」
「わかった。王都に着く前にフェレットを追い抜いてみせる」
アルファは、ふんっ! と鼻息を粗くしてやる気を見せた。