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ミルグラムの罠  作者: 恵梨奈孝彦
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空気の支配

教授 「では、みなさんの実験中の様子を明らかにしないとフェアではないですね。佐倉井さんは、被験者、この場合は電流を流されている人という意味ですが、彼が答えなくなったときに、『黙っていると間違いとみなしますよ』と言っています」

榑林 「なるほど。『バカっていう罪で死刑』っていうのと同じだな」

教授 「つづいて大谷さんですが、レバーを引きながら笑い続けていました。何回か舌を出したりしていました」

大谷 「だってさ。おかしくてたまらなかったんだよ。なんかこの先生が『続けて下さい』ってくそマジメな顔して迫ってくるんだぜ。他人の真剣な顔ほどコッケイなものはないよな。あっはっはっは! (碧に)だから君もそんな顔していないほうがいいよ。だれかにゲラゲラ笑われるぜ!」

教授 「じつは、笑いながらレバーを引くという反応もよく見られるものです。笑うことによって現実逃避をし、自分の緊張を解消させるためだったと多くの被験者が証言しています」

大谷 「(笑いながら)おれの場合は違うな。何も緊張なんかしていなかった」

教授 「権威に対する卑屈な愛想笑いだとも言われています」

榑林 「そういやあんた、こちらの先生に怒られたときに、笑いながらそっぽを向いて舌を出してたな。あれが『卑屈な愛想笑い』だったんじゃないか?」

大谷 「だから違うって言ってるでしょう! だいたいおれはあのとき、本当に電流を流しているなんて思ってなかったんだ!」

近藤 「そいつは理に合わないな。だったらレバーを引く必要もないだろう」

大谷 「この人が引け引けってしつこいからだよ!」

教授 「つまり、場の空気に支配されたということでしょうか。日本人は権威に従属するというより、空気に従属しているのかもしれませんね。日本人はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教に共通する神のような、いつでもどこでも従属しなければならない権威を持ちません。日本人にとって空気をつくる者が権威なのでしょう。太平洋戦争の前、日本中にアメリカと戦うべきだという空気ができてしまった。だからどうせ勝てないとわかっている者も口をつぐんでしまった。そして今の日本人の祖先のほとんどは、戦争に協力しました。出征した者だけではありません。軍事工場で働いた者もいれば、教育現場で戦意を高揚させていた者もいます」

緒方 「では、あなたの祖先は戦争中何をしていたのですか?」

左右田「またそんなことを聞いて。めんどくさいことになるのに…」

教授 「あるマルクス主義政党の党員であったため、治安維持法違反で逮捕され、服役していました。戦争に協力はしていません。むしろ税金を浪費させて、国家の体力を少しでも削いでいたでしょう」

左右田「完璧だな」

緒方 「(左右田に)完璧ですね…」

教授 「次に左右田さんですが、実験中言われたことを淡々とやっていました」

左右田「だって考えるのがめんどくせえし」

教授 「自分のやったことによってどういう結果が出るかを考えようとしないという態度ですが、例えば地下鉄サリン事件の実行犯たちは、教団の命令どおり何も考えずに地下鉄にサリンを撒きました。結果死刑判決を受けました」

榑林 「文字通り、『バカっていう罪で死刑』というわけだ」

左右田「(寝転がったまま)あっそ」

榑林 「何だその態度は! おれの生徒だったらぶん殴っているところだ!」

左右田「残念だがおれはあんたの生徒じゃない。あんたは自分の部活では王様かもしれないが、ここではただのヒトだ」

近藤 「つまり、体罰にも権威が必要だってことかな」

榑林 「(近藤に)中国では親や先生だけじゃない。態度の悪い子どもには村の隣人でさえ手を挙げる。昔の日本もそうだった。中国には古き良き時代の伝統が残ってるってことだ!」

近藤 「それでも、『年上』っていう権威は必要だろう。中国では日本よりも『年長者』の権威が強いってだけのことじゃないか?」

榑林 「(左右田に)おまえ、やる気があるのか?」

左右田「ないよ」

大谷 「よくここまで来ましたね」

左右田「タダで東京に来られたからな。帰りに秋葉原に寄っていくんだ」

榑林 「やる気がないなら帰れ! おまえひとりぐらいいなくてもかわらん」

教授 「それは困ります。左右田さんにも、最後まで聞いていてもらわないと」

左右田「『やる気がないなら帰れ』か。いろんなしがらみがあって、どんなにやる気がなくても、あんたの前ではやる気があるフリをする生徒もいるんだろうが、それは学校っていう組織の中での上下関係があるからだ。ここじゃあんたはおれたちと同じだ」

近藤 「そうだ。モルモットだ」

大谷 「だからそんなにかわいくないって」

榑林 「(左右田に)おまえ、仕事は何だ」

左右田「自宅警備員」

榑林 「なんだそりゃ…」

大谷 「ニートのことですよ」

榑林 「(鼻で笑う)おまえの両親はずいぶん甘ちゃんだな。いい歳してブラブラしやがって。おれが親だったら張り倒してるところだ!」

左右田「だから、ここではおれもあんたも同じ立場なんだって…」

榑林 「そんなことはわかってる!」

左右田「本当にわかってるのか、あんた」

   小坂、目を閉じ、耳をふさいでいる。

大谷 「何をやってるんだ、あんた」

   大谷、小坂のふさいでいる手をひっぱる。

小坂 「怒っている人の姿を見るのはいやですし、声を聞くのもいやです」

大谷 「あんたに怒ってるわけじゃないんだが」

小坂 「自分が怒られてるみたいでいやなんです」

大谷 「さっきのこの人の言いぐさじゃないが、いやなら帰ってもいいんだぜ」

小坂 「いえ、いなくちゃならないんです。います!」

   小坂、榑林たちに背を向けながらもその場に経っている。

榑林 「おれは親父に何回殴られたかわからん。それだけじゃあない。担任が替わるたびに『殺しちゃ困りますけど、半殺しくらいならしてくれてもいいです。社会に出る前に人様に迷惑をかけないように躾ておかないと困ります』と言っていた!」

大谷 「教員の体罰は禁止されているはずですが」

榑林 「おれは生徒らにいつもこう言っている。『おれはいつやめてもいいんだ。だから体罰だろうがなんだろうが平気でやるぞ』と!」

佐倉井「つまりそれって、ペナルティーを受けさえすればルールを破ってもいいって生徒に教えていることになりませんか?」

近藤 「いや、それは極論だろう。というより、別の次元の話じゃないか?」

大谷 「極論ではないでしょう。バスケットの監督で、四つまでならファールしてもいいって言ってる人はたくさんいますし」

榑林 「そんなことを言ってるんじゃない! 痛みなしではわからないことがあるんだ!」

近藤 「音楽でも?」

榑林 「当たり前だ。おれはちょっとでも気が緩んでいる部員がいたら容赦なくぶん殴った」

近藤 「もしおれが、自分の部下を『気が緩んでる』とか言って殴ったりしたら、すぐに通報されるだろうな」

佐倉井「何の仕事を?」

近藤 「船舶用クレーンのモーターを造るメーカーに勤めている」

佐倉井「技術職ですか」

近藤 「そうだ」

佐倉井「理系のヒトなんですね。どおりで理屈っぽいと思った」

近藤 「ひとのことが言えるか」

榑林 「だけどおれが与えたのは痛みだけじゃない。うちの学校初の金賞、県大会出場を与えたんだ!」

近藤 「たしかにあんたの言う通り、痛みなしではわからないことがあるのかもしれない。しかし、体罰が禁止されている以上、それを使って県大会に出たというのは、サッカーで手を使って勝ったのと変わらないんじゃないか?」

佐倉井「それこそ極論でしょう」

近藤 「そうだな。おれもそう思う」

榑林 「(佐倉井と近藤を無視して左右田に)おまえ、なんか楽器をやったことがあるか?」

左右田「ガキのころヴァイオリンを習わされた。全然弾けなくてすぐやめちまったけどな」

榑林 「そうれみろ! おれだってピアノを全然弾けなかった! だけど稽古をさぼればボコボコにされる! 泣きながら弾いたんだ! 今のおれがあるのはそのおかげだ! おまえみたいな甘ったれとは違うんだよ!」

佐倉井「なるほど! 音楽をやる人の異常なエリート意識はここから産まれるんですね! みんなが脱落していく中で最後まで残った自分はトクベツってわけですね! この人の話を聞いていても、生徒と自分と成績のことだけですし。音楽って、表現というより技術だから、脱落者である聴衆なんかにどう思われようがどうでもいいんですね!」

近藤 「人それぞれだろう。あんたのいう『エリート意識』を持たない人だってたくさんいるだろうし」

大谷 「確かに文学でも美術でも、表現したいことがある人が、表現するために技術を身につけるわけだけど、音楽はまず、表現したいことなんか何もない子ども時代から技術を身につけないと話にならない。だから徒弟制度みたいなものがあるわけだし、大切なのは師匠と審査員だけなんですね!」

近藤 「あんたらちょっと、偏見持ちすぎだよ…。なんか音楽関係で、いやなことでもあったのか?」

佐倉井「(緒方に)自衛隊ではどうなんです?」

緒方 「旧軍のような体罰は禁止されています。そのかわり、『できるまでやらせる』ということをします。何十回でも何百回でもです」

佐倉井「そっちの方が過酷そうだな…」

緒方 「もっともこれは罰という側面だけではありません。自衛隊には、一つの任務に対してアプローチしていくとき、一回目はある方法を試して駄目ならば次の方法で試し、それが駄目なら別の方法で…、ということを何回でも繰り返して目的を達成していくという行動様式があります」

左右田「それも、めんどくせえなあ」

榑林 「(背後を無視して左右田に)今の親は子どもを甘やかすことが愛だと勘違いしている! そうじゃないんだ! 駄目なことは駄目だと拳ででも教えるのが本当の愛なんだ!」

近藤 「(榑林に)あんたの親があんたを愛したかは、おれたちにはわからない。ただ、あんたが親に愛されたと思っていることはわかる」

佐倉井「正確には、『この人が親に愛されたと思っていると言っている』ことだけしかわかりませんね」

近藤 「やっぱりあんたも理屈っぽいな…」

佐倉井「ネットをやってるとどうしてもそうなるんですよ。会話している相手の表情がわからないから、理屈のぶつかり合いにしかならないんですね」

近藤 「つまりこういうことなのかな。厳しく育てられた子どもは厳しく育てることを愛だとして自分の子どもを厳しく育てる。大事に育てられた親は大事に育てることを愛だとして自分の子どもを大事に育てる」

佐倉井「ということは、どんな育てられかたをしようが、結局子どもは親と同じことをするっていうことですかね」

   碧、「結局子どもは親と同じことをする」と聞いて激しく動揺し、痙攣を起こす。



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