実験
ミルグラムの罠
登場人物
♂ 教授 大学教授 社会心理学の研究を行っている。
♀ 篠原 碧 (しのはら みどり)女子高生
♂ 緒方 祐介 (おがた ゆうすけ)自衛官三等陸曹
♀ 西島 桃子 (にしじま ももこ)主婦
♂ 近藤 理 (こんどう さとる)船舶用クレーンのモーターを造る会社の技術者
♂ 榑林 茂 (くればやし しげる)教師
♂ 小坂 心 (おさか こころ)小説家
♂ 左右田 瑞樹自宅警備員
♂ 大谷 慎也 (おおたに しんや)大学生
♂ 佐倉井悠人 (さくらい ゆうと)商店街の八百屋の店主
開幕
第一場
教授と碧、板付き。
教授、背広の上に白衣を着て下手側に立っている。碧、高校の制服姿。上座側で事務机の前に座っている。デスクの上にはごちゃごちゃした機械があり、レバーが何本かついている。観客に、碧がレバーを引いたことがはっきりとわかる位置にあること。
教授 「(碧に)それでは、実験についてもう一度おさらいをします。この実験の目的は、外界からの刺激と脳の中の記憶との相関関係を調べることです。実験の手順についてですが、手元のプリントをご覧下さい。一番から二十七番までの問題が書かれています。それぞれ四つの選択肢があり正解のみ太字ゴシックで書かれています。これと同じものを被験者に見せて、一時間かけて正解を覚えてもらっています。あなたはここから問題を読み上げてください。別室にいる被験者が答えます。被験者が正解を出したら、そのまま次の問題に進んでください。被験者が間違ったら、次の問題に行く前に手元にあるレバーを引いてください。被験者の手首に電流が流れます。間違いが重なるたびに電圧が高くなります。といっても、安全には十分配慮していますのでご安心ください。…いいですか?」
碧 「(緊張して)はい」
教授 「では、始めて下さい」
碧 「それでは最初の問題です。①いわし雲 ②にゅうどう雲 ③うろこ雲 ④ひつじ雲」
幕内 「いわし雲」
碧 「正解です…」
教授 「続けて下さい」
碧 「二つ目の問題です…。①香草 ②水草 ③雑草 ④薬草」
幕内 「香草」
碧 「不正解です…」
教授 「ではそこの、『かすかなショック』に分類されている、20ボルトのレバーを引いて下さい」
碧 「はい…」
碧、レバーを引く。
教授 「続けて下さい」
碧 「三問目です…。①芋畑 ②キャベツ畑 ③ナス畑 ④すいか畑」
幕内 「なす畑」
教授 「(プリントを見ながら)芋畑が正答なので、被験者の答えは不正解ですね。40ボルトのレバーを引いて下さい」
碧、レバーを引く。
教授 「どんどん続けていいですよ」
碧 「四問目です! ①日光 ②蛍光 ③月光 ④白光」
幕内 「日光」
教授 「わかっていますね。不正解です。次の60ボルトのレバーを引いて下さい。わたしの指示を待つ必要はないですよ」
碧、レバーを引く。
碧 「①空き地 ②宅地 ③更地 ④用地」
幕内 「空き地」
教授 「また不正解です。『中程度のショック』に分類されている、80ボルトのレバーを引いて下さい」
蒼、目をつぶってレバーを引く。
幕内 「あいたっ!」
碧、幕内の声を聞いてビクッとする。
教授 「続けて下さい。六問めです」
碧 「①都会生活 ②地方生活 ③航海生活 ④山岳生活」
幕内 「航海生活」
碧 「(ほっとして)正解です…」
教授 「どんどん続けて下さい」
碧 「①妙香 ②微香 ③芳香 ④薫香」
幕内 「芳香」
教授 「ダメですね。100ボルトをお願いします」
碧 「だけど…」
教授 「レバーを引いて下さい」
碧、レバーを引く。
幕内 「うわあっ!」
教授 「続けましょう。まだ八問めですよ」
碧 「①寝室 ②客間 ③居間 ④土間」
幕内 「客間」
教授 「誤答です。120ボルトのレバーを引いて下さい」
碧、つらそうにレバーを引く。ずっとつらそうな顔をしている。
幕内 「いたっ! ふう…。これは本当に痛いな」
碧、教授の顔を見る。
教授 「(碧に)実験のためです。あなたが続けることが必要です」
碧 「①外階段 ②内階段 ③非常階段 ④螺旋階段…」
幕内 「螺旋階段」
教授 「140ボルトですね。『強いショック』のところにあります。引いてください」
碧 「でも…」
教授 「あなたは引かなければなりません」
碧、目をつぶってレバーを引く。
幕内 「うわっ! 痛いじゃないか!」
碧 「大丈夫ですか!」
教授 「ああ。不正行為を防ぐために問題を読んでいる時以外は、こちらの声が向こうに届かないようにしてあります」
碧 「大丈夫なんですか?」
教授 「大丈夫です。続けて下さい」
碧 「(プリントを上げて)まだこんなにあるんですよ」
教授 「実験のためです。あなたが続けることが必要です」
碧 「だけど!」
教授 「あなたが続けることが絶対に不可欠です」
碧 「わかりました…。①乾燥室 ②冷却室 ③乾燥室 ④消毒室」
幕内 「乾燥室」
教授 「次の160ボルトを引いて下さい」
碧、目をつぶってレバーを引く。
幕内 「いたっ! 畜生! (声に苦痛と怒り)もういい。やめます」
碧 「先生…」
教授 「続けて下さい」
碧 「やめるって言ってますよ!」
教授 「彼は、この実験の被験者になることに同意しました。彼自身がいいと言っているのです」
碧 「だけど、もうやめるって…」
教授 「途中でやめることはできないと、契約書に明記されています。続けて下さい」
碧 「①長椅子 ②車椅子 ③丸椅子 ④籐椅子…」
幕内 「車椅子」
碧 「(心からほっとしたように)正解です…」
教授 「続けましょう」
碧 「①ローテーブル ②ナイトテーブル ③クッキングテーブル ④ダイニングテーブル」
幕内 「クッキングテーブル」
碧 「先生…」
教授 「迷うことはありません。続けるべきです。責任は我々が取ります」
碧、レバーを引く。
幕内 「先生! ここから出して! もうこれ以上実験はやりたくない! もう嫌だ! おれは心臓が弱いと言っただろう!」
碧 「わたしもやめたいです…」
教授 「ショックは痛いかもしれませんが、皮膚組織に損傷が残ることはありません。ですから、どうぞお続け下さい」
碧 「①野生動物 ②愛玩動物 ③使役動物 ④有害動物…」
幕内 「愛玩動物」
教授 「次は200ボルトです。『非常に強いショック』に分類されていますね。どうぞ」
碧、レバーを引く。
幕内 「いたっ! もうたくさんだ。いいですか、冗談を言ってるんじゃないんです!」
碧 「先生! わたしももう限界です!」
教授 「契約どおり続けて下さい」
碧 「①探偵小説 ②冒険小説 ③推理小説 ④警察小説」
幕内 「探偵小説」
碧 「やめます!」
教授 「続けて下さい!」
碧、レバーを引く。
幕内 「うわっ! もう本当にだめだ。聞こえてるんでしょう? ちゃんとわかってます!? やめさせてください!」
教授 「続けてください」
碧 「①スポーツカー ②オフロードカー ③ユーティリティーカー ④コンバーチブルカー…」
幕内 「オフロードカー 」
碧 「やめます!」
教授 「駄目です。引いて下さい!」
碧、レバーを引く。
幕内 「わあっ! 馬鹿なことはやめてくれ! ここから出してくれ! 出してくれ!」
碧 「何と言われようと、やめます!」
教授 「あなたのわがままのために、一千万円以上の金がかかった実験を台無しにさせないで下さい」
碧 「①携帯電話 ②移動電話 ③衛星電話 ④固定電話」
幕内 「携帯電話」
碧、レバーを引く。
幕内 「わあっ! ここから出してくれ! お願いだから出してくれ! こんなところに閉じこめる権利はないでしょう! 出してくれ! 聞いてますか? 出してくれ、畜生!」
碧 「先生!」
教授 「続けて下さい」
碧 「①クラフトペーパー ②ウォールペーパー ③ブロッティングペーパー ④ラッピングペーパー」
幕内 「クラフトペーパー」
教授 「次は280ですから、『非常に強いショック』に入っていますね。引いて下さい」
碧、レバーを引く。
幕内 「教授! 教授はどこです! もうやりたくないんだ! ここから出してください! 出してください!」
教授 「続けて下さい」
碧 「やめます! やめさせてください!」
教授 「あなたがどう思っても、契約どおり続けなければなりません。大丈夫です。あなたに責任を負わせることは絶対にありません」
碧 「①短靴 ②夏靴 ③革靴 ④雨靴」
幕内 「夏靴」
教授 「レバーを引いて下さい」
碧 「このままじゃ、死んじゃうんじゃ…」
教授 「責任は我々が取ります。あなたに責任はありません」
碧 「だけど、もし死んだりしたら、わたしは責任を感じずにはいられません!」
教授 「この実験は、安全に十分配慮しています。続けて下さい」
碧、レバーを引く。
幕内 「ううっ…。やめてくれ。言ったでしょう。もうムリなんだ。お願いします…」
教授 「続けて下さい」
碧 「①東風 ②西風 ③北風 ④南風…」
幕内 「東風」
碧、レバーを引く。
幕内 「ああうっ…。もうやめる。もう答えるのをやめる! ここから出してくれ! こんなところに閉じこめる権利はないだろう!」
教授 「続けて下さい。あなたのわがままのために、一千万円以上かけた設備と、半年以上かけた我々スタッフの努力を台無しにさせないでください」
碧 「①がたがた道 ②のろのろ道 ③でこぼこ道 ④つるつる道」
幕内、答えない。
碧 「先生…」
教授 「無回答は当然正解ではありません。『危険――すごいショック』に分類されている、340ボルトのレバーを引いて下さい」
碧、泣き出す。
教授 「レバーを引いてください」
碧、泣きながらレバーを引く。
幕内 「ああうっ! もう答えたくないって言ったでしょう! もうこんな実験はいやだ! 出してくれ…。出してくれ…。出してくれ!」
教授 「続けてください」
碧 「(泣きながら)①寝台列車 ②夜行列車 ③急行列車 ④普通列車…」
幕内、答えない
教授 「レバーを引いてください」
碧 「いやっ!」
教授 「あなたに被験者に対する責任はありません。あなたの責任は、360ボルトのレバーを引くことです」
碧、泣きながらレバーを引く。
幕内 「(苦しそうにあえぐ)出してくれ! 出してくれ! 出してくれ! (泣いて懇願する)出してくれ! 出してくれ! 出してくれ!」
教授 「続けてください」
碧 「①哨戒機 ②偵察機 ③戦闘機 ④爆撃機…」
幕内、答えない。
教授 「400ボルトのレバーを引いて下さい」
碧、泣きながらレバーを引く。
幕内から何も聞こえてこない。
碧 「先生! 何も聞こえてきません…」
教授 「そうですね」
碧 「もしかしたら、死んじゃったんじゃ…」
教授 「あなたが気にすることではありません。続けてください」
碧 「そうはいきません! あの人の様子を見てきてください!」
教授 「被験者のそばには、スタッフが万全の準備をして待機しています。続けてください」
碧 「①銀河間旅行 ②恒星間旅行 ③天体間旅行 ④惑星間旅行」
幕内、答えない。
教授 「420ボルトのレバーを引いてください」
碧 「あの人の様子を見せてください! 見せてもらえないならば、続けることはできません!」
教授 「そんなことは契約に書かれていません。我々にはあなたに被験者の様子を見せる義務はない。レバーを引いて下さい」
碧、泣きながらレバーを引く。
幕内から何の反応もない。
教授 「続けてください」
碧 「①モバイルゲーム ②パソコンゲーム ③カードゲーム ④ボードゲーム…」
幕内、答えない。
教授 「次は440ボルトですね。『危険――すごいショック』の次にあるレバーです」
碧 「この赤い×印は何ですか…」
教授 「不吉な感じがするかもしれなませんが、ただの記号です。引いて下さい」
碧、泣きながらレバーを引く。幕内からの反応なし。
教授 「続けて下さい」
碧 「①快適空間 ②瞑想空間 ③極楽空間 ④静寂空間…」
幕内、答えない。
教授 「460ボルトのレバーを引いてください」
舞台上が暗くなってくる。碧、レバーを引く。
教授 「最後です。問題を出してください」
碧 「①国宝 ②財宝 ③珍宝 ④秘宝…」
幕内、答えない。
教授 「レバーを引いてください」
碧の泣き声が響き続ける。
暗転。