序章 歪な決意
リーリエとの出会いから、五日が過ぎた頃。
強い決意をした筈の彼方は現在、ベッドで絶対安静を強要されていた。
「…………退屈だ」
世界を救うと決意し、その勢いで外へ飛び出そうとした瞬間だった。
自主退院を望む彼方は、突然現れた専属看護師によってベッドに拘束。
話も通じず、そのまま長期の休養を一方的に言いつけられたのだ。
「貴方は自分自身の体について、もう少し客観的に考える必要があるわね」
彼方の耳元で、冷たい言葉が響く。
水差しを取り替えていた看護師は、その表情を一切変えないままにため息をついた。
「過去になにがあったかは知らないけれど、命があるだけでも運がいいと喜ばなくてはいけない程に消耗していたのだから。今は大人しく体力の回復に努めること」
相変わらず一方的にそう言いつけると、そのまま早足でどこかへ去っていった。
その様子をしばらく見つめていた彼方だったが、やがてゆっくりと息を吐く。
現状、彼方が自発的になにかを行える状態ではないのだと理解させられたからだ。
今はただ、休養という選択肢しか許されていない。
ならば一秒でも早くここを出るためにも、なにもせず体を休めるべきなのだが。
「…………退屈だ」
することがないと、時間の進みも遅く感じるものである。
痛みも苦しみもなにもなく、ただ安らぐだけの時間は退屈という名の毒だ。
命が助かったという幸福を噛みしめようにも、流石に限界が近い。
そして。
眠る以外の時間潰しができない苦しみに耐えかねていた彼方を救ったのは、新たな来客だった。
多くの兵士に守られるようにやってきたその男は、一言で言えば好青年といった風貌だ。
少年というほど若くもないが、どこか初々しさに近いものを周囲に振りまいている。
「突然の来訪ですまない」
開幕、そう謝罪する男。
兵士たちはそんな様子を一歩下がった位置で見届けている。
「君の意識が回復したと聞いて、本当はすぐにでも会いたかったのだが……色々と面倒な立ち位置にいるものでね」
「はぁ」
どこか上の空な彼方の様子に、男はふと気づいたように笑う。
「ああ、すまない。私はオルデンという者だ。星食獣に対抗するための多国組織――即席の軍隊のようなものだが、その総司令を勤めている」
その言葉に、彼方は慌てて体を起こす。
己の所属する予定の組織に存在する事実上のトップが、今目の前にいるのだ。
「本来は、君たち英雄には私から軽くこの世界について説明をしていたんだが……君のように、倒れてしまっていた者たちにはこうして個別に挨拶に来ていてね」
君が一番長く意識を失っていたのだよと、オルデンは語った。
「それはどうも、こちらから挨拶に向かえずに……」
申し訳ないと頭を下げる彼方に、しかしオルデンは気にするなと手を振る。
「現状は理解している。クリミア――ああ、あの看護師のことだが。彼女に逆らえる人間はそういないさ、仕方のないことだ」
苦笑いを浮かべるオルデンを見て、奴は誰が相手でもあの態度を変えないのかと彼方は震えた。
国の重鎮を無表情で追い返す姿がありありと脳裏に浮かぶ。
「こうして足を運んだのは、これが理由だ」
そう言ってオルデンが手で合図を送ると、背後に控えていた兵士の一人が荷物を手に歩み寄る。
ドスッという重い音を立てて置かれたそれは、かなりの重さだということを周囲に伝えていた。
「これが君の権利。この世界で生きるための最低限の物資だ」
開かれた箱の中には、様々な物が詰め込まれている。
「この国、ミズガルズの通貨。衣食の配給切符。簡易住居の鍵。まずはこれを渡しておく。その上で聞かせてもらいたい」
そこで、なにかを確かめるように間を空けた。
「君は、世界を救ってくれるか?」
それは、リーリエも口にしていたことだった。
この世界を救う為に、お前は力を貸してくれるのかと。
「命の危険は当然ある。もし嫌だというのなら仕方がない。それでも必要最低限の生活は保障する」
目の前の物資が、それを保障している。
無理に世界の崩壊に立ち向かう必要はないのだと。
だが、それでも戦ってくれないかと問いかける。
だから、彼方の返答は既に決まっていた。
「当然、力を貸しますよ。この世界のためじゃなく、ましてや国のためでもないですが」
その答えを既に予測していたのか、あるいは既に話を聞いていたのか。
オルデンの表情は柔らかいものへと変わっていく。
「ありがとう。そう言って貰えるのなら話は早い」
話は終わったとばかりに、オルデンは立ち上がる。
兵たちに合図をし、最後に彼方へとその体を向けた。
「完治したと同時に、君は訓練と学習を受ける事になる。他の英雄たちは現在既に訓練中だ」
遅れた分を取り戻すようにと、学友に対するような気軽さで語る。
「頑張れよ、この国は実力主義だ。結果を残せば大方の願いは叶う」
見返りは十分に用意していると言い残し、オルデンは手を振って立ち去った。
「願い、か」
なにを望むのか。
なにが欲しいのか。
自分自身の願望すら曖昧な彼方には、その魅力の意味が掴みきれなかった。
だから、とりあえずは体を治そうと眼を閉じる。
これ以上出遅れるのは御免だと。
一日でも早くここから出る為に。
そして、あの白百合の少女と肩を並べる為に。