回顧録
明晰夢という言葉がある。
これは夢であると自覚して見る夢のことだ。
今宮彼方は自覚していた。
自分は夢を見ているのだと。
水の中に沈んでいるような、地に足の着かない感覚。
光のない完全な暗闇なのに、なぜか自分の体だけは鮮明で。
どうしてと考える頭はぼやけて、意識が定まらない。
これは夢だという認識だけが、強く脳内に焼きついている。
何秒か、何分か、何時間か、何年か。
時間の感覚が希薄になりはじめたころ、変化が訪れた。
視界に暗闇以外のものが混じりだす。
周囲は相変わらず暗闇のままなのに、それを彼方は認識できている。
まるで網膜に直接映像を貼り付けられたような感覚に、彼方は吐き気を覚えた。
だがなぜか体は一切の反応を見せず、ただ純粋な気持ちの悪さだけが精神的に残る。
しばらくの時間が経過し、奇妙な感覚にようやく慣れだして。
そして彼方は、目の前の映像を正しく認識する。
見覚えのある光景だった。
一人の少年が、理不尽に虐げられ続ける悲劇。
それは幼少期の彼方自身だ。
自身の過去を、彼方は第三者の視点から眺めている。
趣味が悪いと、彼方は胸中で吐き捨てる。
誰の仕業かは知らないが、思い出したくもない過去を見せられて笑っていられるほど聖人を気取ってはいないのだ。
その映像は、時系列も視点もバラバラだ。
手当たり次第にアルバムをめくるように、未来へ過去へと時系列が動き回る。
共通していたのはただ一つ。
どの映像の彼方も平等に苦しみ、死に近づいていた。
人形や玩具のように、乱雑に扱われる姿には、人としての尊厳など一切存在していない。
延々と流れる過去の映像に、彼方は強制的にその心を惑わされる。
そして、いい加減に文句の一つでも叫んでやろうかと思った瞬間だった。
「――あ?」
突然、映像が見覚えの無いものへと変化した。
黒く淀んだ景色が一変して、美しい光に包まれる。
映像は少しぼやけていて、その詳細まではわからない。
だがしばらく見ていると、彼方はその光景の正体に気がついた。
これは、リーリエの過去だ。
十年近く過去の映像。
両親に愛されて幸せに育った少女の過去が、彼方の目の前で繰り広げられている。
そして、そう認識したのがきっかけだとでも言うように。
目の前の光景は早回ししたように次々と変化を繰り返す。
視点も時間も全てが混ざり合った乱雑な鑑賞会。
だが意識してみれば、その光景が誰のものかという程度は認識できる。
リーリエの過去が、玻璃の過去が、エクレールの過去が。
断片的な過去がスライドショーのように彼方へと公開される。
そして唐突に、そのスライドショーは閉幕した。
切り替わった映像は時が止まり、一枚の静止画だけが映し出されている。
それは彼方の過去ではなかった。
リーリエのものでも、玻璃のものでも、エクレールのものでもなかった。
それは一人の少女の光景だ。
いつのものなのか、どこのものなのかもわからない。
ただ少女は嘆き、悲しみ、怒り、苦しんでいる。
凝縮された負の感情が、静止画一枚だけで十全に彼方へと伝わっていた。
「これ、は……」
誰のものなのかなど、わざわざ問うまでもない。
これはあの“影”の少女のものだ。
そう彼方が確信したとき、暗闇は晴れ、光が差し込んだ。




