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彼方で綴る英雄戦記  作者: セイラム
侵攻戦開始
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第三侵攻戦開始

 三度目の侵攻となる、東部侵攻作戦。

 十分な時間をかけて準備されたそれは、手探りの状態だった一、二度目と比べれば比較しようもないほど順調に進むはずだった。


「――どういう、ことだ」

 だが現場に到着した英雄たちが抱いたのは、純粋な戸惑いだけだ。


 特別、なにかがあるわけではない。

 そこには、なにもなかった。


 そう、なにもなかったのだ。


 大地を埋め尽くす星喰獣もいない。

 空を覆い隠す砲撃もない。

 この地を守護しているはずの、ミズガルズ軍の兵士の姿もない。

 

 そこにはただ、広大な緑の絨毯があるだけだった。

 

 何度も場所を確認したが、この地で東部調査隊の通信が途切れているのは確かだ。

 なのに、誰の姿も、どんな痕跡も存在しないのはどういうわけか。


「……周辺を調査するぞ」

 エクレールの声には多量の動揺が含まれている。


 己のすべきことをする。

 それは確かに、正しいことなのだろう。


「調査とは言うが……」

 だがその正しさの齟齬を、玻璃の呟きが十全に物語っている。


 見渡す限りに広がる、広大な平原。

 平和を体現したようなその風景は、戦という概念の対極にあるといっていい。


「なにを調べろっていうんだよ、これ」

 彼方も同じく、動揺と戸惑いを隠せない声を上げた。

 調査をしようにも、目に見えるのは見晴らしのいい自然だけだ。


「これは……」

「ふむ……」

「はぁ……」

 リーリエが、クリミアが、輪廻が、揃って小さく息を漏らす。


 こんな状況で、いったいなにをしろというのだろうか。

 そんな思いが、皆の心に沈殿していた。




 それから数刻。

 一応の調査を終わらせた英雄たちだったが、当然その成果は皆無だ。


 一帯は完全になにもない平原であり、星喰獣どころか獣一匹たりとも姿を見ていない。

 本国よりも平和なのではないかと、エクレールがぼやいたほどだった。


「――どうしようもない、か」

 エクレールは珍しく、諦めた様子で頭を抱える。

 

 異常事態なのは間違いない。

 だが、手がかりが皆無では推論一つ立てられないだろう。


 ここにはなにもない。

 あるべきはずの物も、いるべきはずの者も存在しない。



 そう結論付け、撤退の命令を口にしようとした瞬間。


【そう、諦めるの】 

 

 謎の声が、エクレールの耳元で囁いた。


「――ッ」

 瞬時に振り返るエクレールだが、そこにはなにもない。

 幻聴かと周囲を見渡せば、しかしそうではないようだ。


 彼方が目を見開いている。

 リーリエが驚きの表情を浮かべている。

 玻璃が周囲を警戒し始めている。

 クリミアが輪廻を庇うように立ち位置を変えている。

 輪廻が懐から薬を取り出し、口に含んでいる。


 声が聞こえたのはエクレールだけではなかった。

 姿なき声を皆が聞き、その声を警戒している。


【諦めて帰ればいい。そして二度とこちらへ来るんじゃない】


 再び、耳元で囁く謎の声。

 今度は振り向かず、ただ拳を声のした地点へと振るう。


 だが拳は空を切る。

 周囲には見知った顔があるだけで、それ以外はなにもない。


「……待て」

 だが、そこでエクレールは違和感に気づく。

 周囲を見渡すような皆の仕草。

 それはエクレールと同じものだ。


「今の“耳元で囁く声”だが、お前たちもそうなのか?」

 そしてその疑問は、一瞬の戸惑いと瞬時の理解を皆にもたらした。


「――どうなっている」

 玻璃の声が、低く冷たいものへと変化する。


 そう、この声は“耳元で囁いている声”だ。

 どうして、全員がそう認識している?


 同時に同じ内容で、ある程度離れた六人の耳元で囁いた声。

 その異常性を改めて認識した英雄たちは揃って周囲を警戒する。



 すると、ある一箇所に目が留まった。

 そこはなにもない空間だ。

 だが、なにもない空間であるはずなのに、気配がある。


 最初からあると気づいていなければ見逃してしまうほどの微小な違和感。

 だが、この異常事態だからこそ、英雄たちはその場所を発見できた。


 ジリジリと、少しずつなにもないはずの場所に近づく六人。

 なにが出てこようが対応できるよう、細心の注意を払って。


 鬼が出ようが、蛇が出ようが。

 軍服の男が出ようが、怪物が出ようが。


【なんだ、諦めないの。まったく、不愉快】


 そんな言葉と共に、なにもないはずの場所から影が浮かぶ。

 予想通りの登場に、英雄たちは警戒をいっそう強めて相対する。

 

 現れたのは、一つの人影だった。

 それは人影としか呼びようのない姿だった。


 二本の足に、二本の腕。

 右手には古ぼけた短い杖が握られている。

 手足の先以外は真っ黒なローブに覆われ、その中身を見ることはできない。

 深々と被られたそれは顔すらも全てを黒く隠してしまっている。


 それはまるで、魔女の仮装をした小柄な子供のような体格。


 それが、謎の影の正体だった。

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